インクで稼いで資産運用して
インク製造は子供のアルバイトでは済まなくなりました。
ジャンフランコが寝込んでいる間にシュナウツァー工房では【魔法陣】を描くためのインクの残量が心許なくなっていたようだ。メディギーニ商会経由でメッセージが届いていた。次のインクの発注である。
メディギーニ商会に預けていたインクの在庫もほぼ底をついていたため、必要なインクを作ってからシュナウツァー商会へ向かうことになる。【魔導書】の解析が終わり次第メディギーニ商会に向かうことについては朝のうちに先ぶれを出していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
トレレス商会が被害に遭ったインク盗難事件は、トレレス商会が同業者に警告した効果で魔道具関係の商会が揃って警戒を強め、被害の発生に歯止めがかかった。警告を発した時点で既に盗難の被害に遭っていた商会もいくつかあったが、少なくとも事業継続に影響を受けた商会はなかった。トレレス商会からメディギーニ商会を紹介され、ほぼ原価で被害分のインク調達できたからである。ジャンフランコ由来のインクが大いに役立ったことは言うまでもない。
必要な現金の調達ができなかった商会も無かった訳ではないが、メディギーニ商会が手形での決済を容認したことで、インク盗難騒ぎによる混乱は最低限に抑えられたのである。
また、シュナウツァー商会に現れたような高値でインクを売りつけようとする輩は、盗難被害に遭った他の商会にも現れていた。しかしトレレス商会の情報伝達が素早かったことがここでも功を奏し、「インク転売ヤー」からインクを購入した商会は一つもなかった。ちなみに「インク転売ヤー」は前世で度々苦い思いをしたジャンフランコが行動様式の似ている破落戸の呼称として提案したものである。
すべて丸く収まったかのように見えたが、「インク転売ヤー」の一味はいまだに捕まっていない。盗品の転売で荒稼ぎしようとしたがアテが外れインクの不良在庫だけを抱えた彼らが次にどのような行動をとるか、誰も予想できていない点には不安が残る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
馬車でメディギーニ商会に移動し、少し遅めの昼食を摂る。今日はフレデリカのほかはメディギーニ父子が同席する。昼食を摂りながら、ジャンフランコが寝込んでいた間の動きについてメディギーニが説明してくれる。
「魔道具のための魔法のインクは、短期間にすっかり当商会の商品として定着しました。魔道具を扱う商会から見ると原材料を『原価』で調達できることは大変魅力的なようです。また、品質面でも売却先の商会からも軒並み好評をいただいております」今日のメディギーニはなぜかいつもの口調を封印して紳士モードだ。
「メディギーニ商会にとっての実質的な原価はほぼゼロなんですけどね。実際の原材料は僕の余剰魔力のみですから。ただ、『インク転売ヤー』の被害を恢復する分の需要はもう満たしてしまっていませんか?これからはさすがに大手相手の商売は期待できないように思いますが。シュナウツァー商会のような事情のある商会相手の商いを続けるだけでしょう?」
インク生産に従事できる働き手が出勤しなくなって困っていたところを助けたのが、ジャンフランコとシュナウツァー商会との付き合いの始まりであった。
「実は、いくつかの商会から引き合いがありましてね。インクを作れる魔力持ちを雇用し続けるのはどの商会にとってもなかなか大変なようで、当商会のインクは相当魅力的なようです。魔力持ちへの給与とほぼ同額で調達できますから」
働き手がいなくなるなどのリスクを負担しなくていい分「お得」との判断だ。
「わかりました。当座の必要分以外にも少し多目に在庫分を作って置いておくことにしましょう。しかしそうなると、魔道具を借りたままというのは具合が悪いですね。元々はシュナウツァー商会の魔道具を守るためにお預かりしているだけなのですから」
預かっているだけの魔道具を使って無断で他商会のためのインクを作るのは信義則に悖る行為だ。少なくとも事情を知らないシュナウツァー商会からはそう見えてしまう。実際にはジャンフランコが疑似魔道具でインクを生産するわけで、借りている魔道具は使わないのだとしても。
「ええ。シュナウツァー商会と交渉して、魔道具を借り受ける契約を結びましょう。交渉はジャンフランコ様にお願いいたします」
「魔道具の賃料って、相場はどのくらいでしょうかね」
「インクの魔道具の貸し出しなんて聞いたこともないですからね。相場はあってないようなものですね」
「では、シュナウツァー商会長と交渉ですね」
『最悪、魔道具なしでもインクは作れるんだけどね』
それと、と前置きしてメディギーニが気になる話題に触れる。
「シュナウツァー商会を始めとした各商会からの通報と情報提供により、『インク転売ヤー』の捜査が始まっています。インクの売却を試みた人物の足跡が教会の裏門の手前で消えていることについても情報提供していたのですが、犯人の潜伏場所が教会の敷地内にある疑いが浮上しています。教会騎士団による内偵も始まっているとのことです」
内々に当商会への協力要請の打診もありました、と付け加える。
昼食後は魔道具を置いた部屋に籠り、魔道具ではなく自前の疑似魔道具を使ってインクを製造していく。事前にメディギーニから聞いていた他商会からの受注見込み分込みだ。神測の能力が上がった効果か、インクを製造する速度も格段と向上していた。一斗樽相当の桶に四杯分のインクを製造するが、出来上がりはあっという間だ。
シュナウツァー商会からの受注分を移した容器をフレデリカに持ってもらって部屋を出る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジャンフランコが暴走の末に生み出した一斗樽五杯分のインクは「インク転売ヤー」の被害者救済用途で完売している。代金の総額は大金貨二十枚になるのだが、これが最終的にはジャンフランコ自身の収入となった。これは既に六歳の子供の小遣いでは済まない額になっていたため、ジョヴァンナが運用する莫大な基金の中にジャンフランコ名義の「口座」が開設され基金の一部として一体運用されることになる。ジョヴァンナの指図で運用する基金は運用成績もよく、着実に益を出すことが見込まれている。
ジョヴァンナの運用する基金は、元々は旧スフォルツァ辺境伯領から持ち出された旧辺境伯領及び旧辺境伯家の資産であり、内容は貴金属・宝石類 リモーネ王国の通貨建て債券など)である。ちなみにこの時点までに旧辺境伯領がミルトン王国内で発行していた手形は同国内の決済システムが崩壊したために単なる紙くずと化している。
旧ミルトン王国で発生した政変から2年が経過した頃にはコルソ・マルケ砦周辺の戦況は膠着状態に陥り、その周辺はミルトン共和国も気軽には手出しを出来ないエリアとなった。その結果、コルソ・マルケ砦の影響下にあるエリアを経由してリモーネ王国領に避難した商会を通じて、国境を挟んだ人や物資の行き来が円滑に行われるようになっていた。
このタイミングで旧辺境伯家の旧家臣団は旧辺境伯の資産をリモーネ王国側に持ち出し、リモーネ王国内での隠れ蓑とするため設立した商会に管理を移す。政変による領都からの撤退戦から始まる2年間の籠城でコルソ・マルケ砦でも軍需物資などの備蓄が底をつきかけており、物資をリモーネ王国内で調達する必要があったためである。この時期は、ジョヴァンナはまだロドリーゴに庇護されてリモーネ王国の首都で雌伏しており、旧辺境伯領や旧家臣団の情報を掴めてはいない。
旧家臣団は当初資産を少しずつ現金化して軍需物資に換えていたが、ジョヴァンナと接触を果たしてからその運用方針が大きく変わる。預かり資産の名義がジョヴァンナに書き換えられた後、旧辺境伯の資産を元手にジョヴァンナ名義の基金が設立される。基金の運用が始まり、資産を単純に費消するのではなくなったため、資産残高の減少にも緩やかに歯止めがかかっていく。
実はジョヴァンナ名義の基金 は最初から成功が約束されていた。
出資先の選定にあたっては、彼女の内縁の配偶者であるロドリーゴ・ボルツァ枢機卿が持っている情報が大いに役に立った。教会というのは、国内の政財界の情報が集まる場所であり、代替わりで力を増す可能性がある貴族家とそこを得意先とする商会はどこか、王国の政策転換で調達の増えそうな物資と調達先となる商会はどこか、今でいう内部者情報を好きなように入手できた。ジョヴァンナは教会の中枢で働く配偶者経由で情報を入手し利に換えることが可能だったのである。
現代日本では完全に違法であるが、もちろん、異世界は金融商品取引法の適用範囲の外である。
基金の運用成績は期を経るごとに少しずつ上向き、ジョヴァンナが運用を始めて3年が経つと、運用益だけでコルソ・マルケ砦の軍需物資の調達費用を賄えるまでになっていた。ジャンフランコの「資産」はジョヴァンナが運用する基金の極々一部でしかないが、いずれは預けた資産の運用で益を得た手応えを感じることができるであろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
シュナウツァー工房に着く早々、まずは受注していたインクを納品して納品関係の書類にシュナウツァーのサインをもらう。
次は、魔道具職人の技術を習得するための課題について用件を済ませる。
フレデリカと二人とも課題を提出しシュナウツァーの合格をもらう。
次回に向けての課題は、予想通り拡大鏡を使ってのもの。宿題のお手本と合わせて二人分の拡大鏡を渡される。拡大鏡は片眼鏡のように片目に嵌めるタイプだ。よく見ると小さな魔石がついており、それ自体が魔道具になっていた。
「シュナウツァーさん、今日は一つご相談したいことがあります」
預かっているインクの魔道具を使って、シュナウツァー工房以外から受注したインクを生産することについて許可がもらえるよう相談する。
「そっちの商会に預けた以上、好きに使って構わんよ。ただし、1点だけ気をつけてほしい」
メディギーニ商会で預かっている間、インク生産に魔道具を使う分には構わないと言ってもらえた。ただし、この大きさの魔道具で許容量を超えて大量のインクを一度に作ろうとすると、連続して魔道具を使う負荷に耐えられず壊れてしまうらしい。
「さすがに、大手の商会相手のインク製造に、この魔道具では力不足かもな」
シュナウツァーがニヤリと嗤う。
「さてさて、何だかどこぞの大商会に大量のインクを卸した商会があると聞いたがな。さ~て、どうやってインクを調達したのかねぇ」
『探られてるね』
「まぁ、うちの魔道具でも休み休み慎重に使えばなぁ?」
「ええ。壊しては元も子もありませんからね。大事に使わせていただいておりますよ」
「ふーん。どんだけ使っても壊れない魔道具が別にあるんじゃないかい?この間もジャンフランコ坊ちゃんがすげー魔法使ってたじゃねーか。あんたなら魔法でインク作るくらいお手の物じゃないのか?」
「まぁ、仕掛けがないわけではないのですが、今はご容赦ください」
「あー、まぁ、言えない事情があるんなら仕方ねぇか。ま、いつか教えてくれればいいや。もしかしたらお前さんが手当たり次第に魔道具を触りたがるのと関係あるのかもな」
「そう言っていただければありがたいです」
「んじゃぁ、あんたのお愉しみにご案内するぜ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
シュナウツァー工房の闇魔道具コレクションを見せてもらう。
今回は時間に余裕があるので残る魔道具約二百個を一気に神測で読み取っていく。前回と合わせて約二百五十個。闇属性の魔道具ばかりではあるが、【魔法陣】のサンプルが増えることを素直に喜ぶ。分析のための材料は多いに越したことはない。それは【魔導書】と【魔法陣】の関係で経験済みだ。
数を揃えることは分析する上では強い武器になる。そう考えると、もう少し増やしたいところではある。考えているとシュナウツァーのニヤニヤ笑いが目に入る。
「いや、あんたがこっちも見たがると思って用意しといたぜ」
以前「魔道具の墓場」があった工房裏側のヤードに案内されると、少し様子が違っていた。
広い範囲にテントが張られており、「魔道具の墓場」はその陰になっていて見えない。
テントの入り口をくぐってみて驚いた。
そこは、魔道具の残骸が無造作に積み上げられた「墓場」ではなく、遺跡か何かの発掘現場の様相を呈していた。以前はゴミの山のように積み上げられていた魔道具は、属性別に七つの山に分けられて綺麗に並べられている。まるで遺跡からの出土品のようだ。
「どうだい?ここにも籠りたくなったんじゃないかい?」シュナウツァーのニヤニヤ笑いが目に入る。「ちぃとばかし一人になってみるかい?気に入ったものがあったら持って帰ってもらってもいいんだぜ?」
シュナウツァーの申し出にジャンフランコが駆けだそうとすると、後ろから咳払いが聞こえる。
「あー。入り口はわたしが見ておりますので心行くまでどうぞ」メディギーニが請け合い、呼応するようにフレデリカも頷く。二人はテントの入り口両側に立ち、ジャンフランコを護衛する構えだ。
「じゃぁ、そういうことな。邪魔者は工房の方に戻っているからごゆっくり」
シュナウツァーが戻り、その背中が見えなくなる。
「それでは、少し僕に時間をください。終わったらお声掛けします」ジャンフランコがメディギーニとフレデリカに声を掛け、二人が頷くのを確認してから防諜魔法を展開する。
ジャンフランコはテントの下に並べられた魔道具をさっと眺めると、軽く息を吐いてから最初の一つを手に取る。
手が汚れる。
服が汚れる。
テントの下に並べられていた魔道具は全部で100近くあったが、お構い無しにひたすら魔道具に魔力を流し【魔法陣】を読み取る。
頭の中にどんどんと【魔法陣】が流れ込み蓄積されていく。「墓場」に捨てられていただけに、どこかしら【魔法陣】が途切れている魔道具がほとんどだったが、生活用の魔道具だったものが多いのか同じものがいくつかあり、重ねれば完全な【魔法陣】が再現出来そうではあった。【魔法陣】にまったく欠陥がないものもあり、全部が闇属性だ。魔石の魔力切れが原因で廃棄されたと思われる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
帰りの馬車の中でジャンフランコはニヤニヤ笑いが止まらなかった。
闇属性に偏っているキライはあるが、全部で三百を超える魔道具の【魔法陣】が揃った訳で、ただ頭の中で次々並べているだけで幸せになれる。
これだけ揃えば、魔道具の、【魔法陣】の謎に少しでも迫れるはず。
そう思えるだけの【魔法陣】がジャンフランコの神具の中に揃っているのである。
なお、馬車の中には足の踏み場もないほどの魔道具が積まれていた。
工房に運び込む前にジョヴァンナに見つかったら特大の雷が落ちること必至である。
初めての作品投稿です。
誤字・脱字など見つけられた場合は、ご指摘をいただければ幸いです。




