古式ゆかしき緊張緩和の手段
「卿よ、ご苦労であった」
王宮の一角 謁見の間で跪くジャンフランコにリモーネ王が声を掛ける。
その場にリモーネ王国の主要な貴族が詰めかけているのは先日天恵の女神の使徒であることを披露した時と同じだが、無為に騒ぐ者がいないのは、ジャンフランコが纏うローブにスフォルツァ家の紋章が描かれているからだろうか。
それ以前に、今回の謁見に現れるのはリモーネ王国第一王女と隣国スフォルツァ辺境伯令息との婚約に係る使者であると事前に布令られていたこともある。まさか婚約する本人が使者となるとは思いもしなかったかもしれないが。
「スフォルツァ辺境伯はお申し出に深く感謝し、ありがたくお受けいたしますとのことです。詳細はこの後詰めるとして、まずは両家がこの婚約に同意することを約するべく書面を持参いたしました」
領主からの書状を手渡すが、書状にはもう二枚の書類が添付されている。
二枚は同じ書式となっており、そこにはリモーネ王国第一王女レイチェルとスフォルツァ辺境伯令息ジャンフランコとの婚約に同意する旨の文面が記されている。
この場で交わされるのは、あくまで、ジャンフランコが言うように「婚約に同意する」という一事のみで、詳細は別途合意するという、一種の基本合意書の体裁を取った文書である。
既にジョヴァンナと本人であるジャンフランコの署名がなされている文書を拡げると、その場でリモーネ王とレイチェル王女の署名がなされ、一通がジャンフランコに返される。
レイチェル王女のうっとりした顔とリモーネ王の満足気な表情を見ながら、「まだ婚約を確約するまでには一手間も二手間もあるんだけどな」と心の中では苦笑しつつ、表には表さない程度には如才なさを身に着けているジャンフランコである。
この後、急ぎのご用事がなければ昼食を共にしないか、リモーネ側から提案される。形としては提案であるが、ジャンフランコの出席は確定である。もっとも、本日この場を整えるための調整の中に会食の予定も含まれていたので、今更驚くことはしないが。
ジャンフランコとしては、ちょっとしたアクシデントと言っていい存在が視界の隅でチラチラしているせいで一刻も早くこの場を立ち去りたかったのだが仕方がない。
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アクシデントというのは、謁見の間の柱の影からこちらに視線を向ける影のような存在にジャンフランコが気づいてしまったこと。明らかにこの世の者ならざる気配に全身が総毛立ち、逃走本能の尻を蹴り上げられる。
そのすべてを顔には出さないよう耐え続けなければならないというのはなかなかの苦行であった。
一刻も早くこの場を去らなければという衝動に衝き動かされる一方、この場で行なわれていることに対する義務感との板挟みに苦しみ続ける羽目に陥っている。
なるべく視線を「存在」に向けていると気取られないようにしつつ観察すると、フードのついたローブのような服を纏っているからか、その影となった顔は見えない。この世の者ならざる証であるかのように半透明で背景に溶け込んでいつつ、かろうじてそこに存在するのがわかる程度の存在感の薄さだ。ジャンフランコ以外の誰もその存在に気づいてはいないらしい。
間違いなく【死】の女神の加護を得た影響であろうと知識では理解しているけれど、実際に得体の知れない存在を目にしてしまったら、更にはそれが【死】に繋がる存在であると知っていれば、生き物の本能としての恐怖は抑え難い。【死】を怖れるというのは人間の脳に最初から刻まれている衝動。要は、怖いものは怖いのである。
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王宮のダイニング・ルームへと案内される間も、ジャンフランコの最大の関心事は先ほどの「存在」である。
『謁見の間を離れてもついてきたりするのだろうか』
テーブルにつき、如才なく会話を続けながらもそれとなく部屋の中あちこちに向けて、先ほどの影のような存在がいないか確認の視線を送ってしまう。
ひととおり確認しても「影のような存在」が視界に入らなかったことに安心して、正面のレイチェル王女に微笑みかけようとしたその時、彼女の背後 少し距離を置いて、先ほどの「影のような存在」がこちらに視線を向けていることに気づいてしまう。
「どうかされましたか?」
おそらく「存在」に気づいた時に一瞬顔が引きつるのを抑えられなかったのだろう。『見られたかな?』レイチェル王女からは婚約者の顔を目にした瞬間顔を引き攣らせた不実な男、と見えただろうか。
「いえ。何でもありません」
慌てて完全なよそ行きの笑顔を顔に張り付け答えるのが精一杯であったが、何とかその場は誤魔化して他愛ない会話に戻ることに成功する。息災でしたか?ええ、この頃は忙しさも落ち着いて来ました。この子ったら貴方の話をしない日はないんですよ。お母様ったら!
『行く先々についてこられるのなら、いっそのこと使役してしまえばよいのではないだろうか』外から見えないように【死霊使役の鬼神】の【魔法陣】を呼び出す。【魔法陣】に魔力が流れ込み権能が発動する。
不可視の魔力がジャンフランコから「影のような存在」に向けて放たれ、影のような存在を包み込むと「存在」の纏うローブが銀灰色に変わる。これが使役できるようになった証だろうか。
『暫くの間、視界に入らないように離れて』と念じると、それに応えるようにすぅっと動いて壁をすり抜けていき、ジャンフランコからは見えなくなる。
ほっと息を吐くと落ち着きを取り戻すことができた。昼食会の会話に戻る。
ただ、それまでの態度を不審に思われたのであろう。
「ジャンフランコ殿は上の空であったように見えるがいかがされたのか?」
まさか不穏な気配を感じて対処していたとは答えられない。
「これまでこのような場に招かれる時は両親のお供で参っておりましたが、流石に主賓としてお呼ばれしたのは初めてでして、少々雰囲気に飲まれていたのです」
うまく誤魔化すことができたか顔色を窺っていると、話題は旧ソフィア教会の後始末に関することに移る。天恵を得られなかった子たちが無事に天恵を得られたことへの謝意などで盛り上がっている間は、ジャンフランコは安心して会話に参加することができた。
それがいつの間にか話題はミルトンに関する少々微妙な話題へと移る。
「聞くところによると、ミルトン共和国の軍勢をまったく見かけなくなったそうではないか。貴家がスフォルツァ城を防衛する際に、余程手痛い打撃を与えたのであろうな」
「防衛戦においてそれなりの戦力を削ることに成功したと思いたいですね。今は戦よりも内政の充実に力を入れたい時期ですから」
「そういえば軍閥らしき姿も見ていないと言うではないか。貴家の威光は軍閥にも及ぶらしいぞ。なかなか喜ばしいことではないか」
「軍閥も領地の経営に苦しんでるのでしょう。濫りに軍を動かせるほどの余力も残っていないんではないでしょうか」
どんどんと微妙な話題に踏み込んでくるリモーネ王の真意を計りかねながらも、ジャンフランコは必死に当り障りのない内容で返すが、王からとんでもない爆弾発言が飛んでくる。
「旧スフォルツァ辺境伯領から遠く離れた地でもスフォルツァ家の旗が翻っているのを見たという噂を聞いたぞ」
そこまでリモーネ王が踏み込む意図を計りかねる。これは密偵の情報収集でスフォルツァ家の勢力範囲拡大を把握しているという宣言になる。
「いやいや、まだまだ国内の往来もそれ程回復しておりませんし、スフォルツァ領より先に行ける者もほとんどおりませんよ。ただの無責任な噂とはいえ、我が領地の勢いを好意的に評価していただけるのはありがたいですが」
「ふむ。スフォルツァ領以外はいまだ落ち着いておるぬと仰るか」
「リモーネから輸入した文物のおかげで、スフォルツァ領はミルトンの中では豊かな地域になっております。その様を見て近づきたいと思う軍閥が出てきてくれればありがたいですね」
流石に希少魔石で釣って全軍閥の支配地域を奪取したとはまだ開示できない。
その後も一生懸命シラを切るジャンフランコと各所に放って情報収集しているのであろう密偵の報告をチラつかせ隣国の情勢を探り出そうとする王との攻防は続くが、何とか王の追求を凌ぎきり会食は終了した。
会食の中でレイチェル王女への定期的な訪問を再開する約束をかわしたことくらいは、スフォルツァ領の現状を知られてしまうことと較べれば大した問題ではない。旧ソフィア教会の騒動で中断していた訪問の再開であるし、さすがに王族が婚約者から長期間放置されるのは外聞が悪いであろうとの配慮から必要なことだと考えていた。
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会食が終わり、王家一家が退席するのを待つ間、ジャンフランコは目の前から遠ざけた影のような存在との対話を試みる
『君は王宮に住んでいるのか?』
『オレ...多分...ここにいる...ずっと』
暫し間があいた後、掠れたような声が聞こえてくる。
『何と呼べばいいかな?』
『名前...わから...ない』
死者の残滓ではあってもそれほど強い執着を持っていなかったからだろうか。「存在」はそれほど記憶を残しておらず自我も希薄な様子だ。
『じゃあ、君のことは'リモ'と呼ぶことにするよ』
『オレ...リモ...オマエ...ご主人?』
『そうだね。僕はそろそろ王宮からお暇するんだけど、君も着いてくるかい?』
『オレ...ここ...離れ...ない』
『そうか。では近い内に僕の方から来るとしよう』
『分かった...マッテル...』
距離が離れたときに使役が解除される可能性がないわけではないが、それを含め、おいおい検証すればよいと割り切る。得体の知れない存在に怖気づいた結果、亡霊のような「存在」を使役できたようであるが、そのこと自体の優先順位は低い。
今は婚約の基本合意書を交わしたことを報告するために、スフォルツァ邸に戻ることが先決である。
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「婚約も無事に整いましたね。お疲れ様です」
「とりあえず、一仕事終わったよ」
王宮を辞して邸に向かう馬車の中でフレデリカから労いの言葉を掛けられ、やや複雑な心境のジャンフランコであった。
「それにしても、スフォルツァ領の状況について随分と熱心に聞き出そうとしていましたね」
「国境を完全に閉ざしたわけでもないから、ある程度の情報を取られるのは仕方ないよ。密偵の行き来をそれほど放置したくはないけれど、農地や街道の整備状況なんかは遠目で見ても分かるからね。軍閥や共和国軍勢との小競り合いとかも今はまったくなくなっているのは事実だし」
城や砦など主要な拠点に不審な人物の出入りを許すつもりはないが、村落や街道で同じことをするのは無理だ。おそらく、スフォルツァ領各地に放たれたリモーネ王国の密偵は領民に紛れつつ情報収集していることであろう。
「おそらく、密偵の情報を総合すれば、そう遠くないうちに旧ミルトンのほとんどをスフォルツァ家が支配下に置いているとの結論に達するだろうね。王の口ぶりからすると半ば確信しているようでもあったけれど」
「リモーネ王国の立場に立てば、すぐ隣に強大な勢力が出現したとなると、それがそのまま領地の安定を損ねる脅威となりますものね」
数カ月で旧領地の回復どころかほぼ一国を支配下に置いてしまう勢力がいきなり自国の隣に出現したのである。その勢いのまま自国に侵略するのではと疑心暗鬼に陥いる者が出てきても不思議ではない。
一方、隣国リモーネ王国で疑心暗鬼に陥った勢力が優勢となればスフォルツァ領としても警戒せざるをえず、両者の間に緊張状態が生まれてしまう可能性がある。
ここでジャンフランコとレイチェル王女の婚約が効いてくる。
「今回のご婚約、要らぬ緊張をほぐすためにもよかったと思います」
「まぁ、普通は婚姻で家同士を結べば事を構える可能性は低くなるだろうと予測するだろうからね」
リモーネ国内では隣国の脅威を叫ぶ声よりは婚約による両者の結びつきを重視する声が優勢になるだろうし、場合によったら王女の嫁ぎ先が力を増すことを喜ぶ声が勢いを得るかもしれない。
スフォルツァ家にとっても、リモーネ側の疑心を解くことは相互不可侵の約定を再確認する効果を期待でき安心材料となるわけである。後背の憂いなくミルトン共和国を攻めることができる状況を手放したくはない。
『とはいえ、リモーネの密偵が入り放題なのは面白くないなぁ。スフォルツァの側からも国境警備を強化しないといけないのだけれど、人手が足りないんだよね』
メディギーニ商会を通じてリモーネという国の裏も表も把握しつくしている自分のことを棚に上げて不満をこぼしていることに、当のジャンフランコ自身は気づいていない。
今回の新要素:
・ 亡霊(?)を使役できた?(命名:リモ)
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