プロローグ
冒頭のワンシーン。リライトしてみました。
「当社からのご説明は以上です。ご静聴ありがとうございました」
やりきった…予定していたプレゼンの内容を説明しきった瞬間、フッと身体が支えを失ったような感覚に襲われる。ここに来れば楽になる......そう誘うように視界の端が色を喪い、霞む。
そのまま身を任せたくなる衝動は抗いがたいほど魅力的。ただ、倒れた先に待つであろう絨毯の感触の記憶がオレを踏みとどまらせる。薄い絨毯に隠された硬い床、倒れて強かに打ち付けた時に襲われるであろう痛み、おそらくは安楽な意識喪失とはほど遠いであろう苦痛、ご破算になるここ何週間かの苦行の成果。
『まだだ.......まだだよ』ギリと奥歯を噛み締めて誘惑に抵抗する。
「ご質問等ございましたらお願いいたします」
とある企業からのRfP(Request for Proposal 製品やサービスなどの提案をほかの企業に依頼すること)に応える機会をもらえて一仕事終えたところ.....だが、まだ一通りプレゼンを終えただけだ。
ギリギリ笑顔に見えるだろうか、記憶を頼りに顔筋を動かすが気力を総動員しても思い通りの顔が作れない。
弱小ベンチャーに突然声が掛かった、ちょい大き目案件のRfP。受注の困難さを思いながらも応じるからにはと無理に無理を重ねた結果が今現在のオレの体調なわけだが、受注出来た場合の旨味はそれに報いて余りある。
収益の確約、サービイン後も「運用業務」の名の下に数年は続く安定した契約。何より数年は次の案件を探し回らずに済むだけの大型案件。余裕を社員の教育に回してもいいし、新たな従業員を雇う余裕も生まれる。
このプレゼンを発注にまで結びつけるにはどうすればいい?簡単だ。この後の底意地の悪い質疑応答を乗り切りすればいいだけだ。
その前にプレゼンそのものの反応はどうだ?推し量るために会議室を見渡すが、判で押したような仏頂面だけが並ぶ。会社員として組織の歯車として長年過ごした結果、個性も意思も何もかもすり減らして、ついには「サラリーマン」の鋳型に押し込むに至った顔。こいつらの量産型サラリーマン顔は会社の中に自分の居場所を確保し、生き残るための処世術の一種だ。
案件そのものは「AIを活用した社内業務の効率化」なんて、まぁ担当者が三分くらいで件名だけ思いついて、実装をどうするかなんて欠片も考えずにRfP出したような代物。実質的な中身はプラットフォーマーに金払えば揃うから、こっちの仕事はWebアプリで組んだフロントエンド周りとAIプラットフォームとの繋ぎ部分だけだ。
「だけ」なんだがな…。
弱小ITベンチャーの御定まりとして、ギリギリ会社としての体はなしているが、戦力になるのはオレの他は後ろでハラハラして座ってる二名の社員で打ち止めだ。
必定、俺自身がほぼ全部の作業をメインで回し、後ろの二人が出来るのはオレのサポート…と言えば聞こえはいいが、言ってみればPCの手配やらAIプラットフォーマーとの契約など、お使いに毛の生えた仕事程度しかさせられなかった。
それもこれも忙しさを言い訳に社員育成を疎かにしていたツケだ。
もう少し時間があれば育成を兼ねて部品の一つ二つくらいは受け持たせられたんだが…。
今回の準備期間〜大手なら難なくこなせる。だが、弱小ベンチャーには無理筋な〜の中で、RfPの要件の精査からプロトタイプ作成とプレゼンの準備までを実質オレ一人の作業で完遂させられる羽目になった。体力は削りに削られたが…無事プレゼン先の会社に辿り着けて、プレゼンを終わるところまでは限界ギリギリで持ちこたえた。今のところは体力ミリ残りで立っていられるわけだ。まったくもう…。
社員2人のハラハラ顔も、プレゼンの成否よりもいつぶっ倒れてもおかしくない俺の顔色を心配してのものだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ありがとうございます。この短期間にここまで準備いただき感謝いたします」
俺の正面で挙手して発言するのは、ほぼ無茶ぶりに近い提案依頼を出してきた発注側チームのリーダーと思しき兄ちゃんだ。
「短期間」というのは、こういう時のテンプレでしかなくて、奴は欠片も「短期間」だなんて思っちゃいない。「感謝します」も右に同じ。
え~っとこの兄ちゃんの名前は?思い出そうとするが、睡眠不足と過労が常態化していたせいで、頭は既に霞がかかったようになっている。このところ30分以上連続して睡眠をとれない状態が一週間以上続いてるせいだ。
「国沢真一さん、でしたね」
オレが担当者の名前を思い出せない代わりに、向こうがオレの名前を憶えていてくれた。だが、会社ではなくオレの名前をここで出す理由は何だ?
「いえね。以前同業者と呑んだ時にお噂を聞いていまして。少々の無茶ぶりは難なくこなすくらい能力はあるけど、成果物が独特に過ぎて一度貴社に発注すると他社に乗り換えができなくなるってね。それも込みで検討させていただくのですが…」
おいおい、勘弁してくれよ。どこの案件だ?このところプレゼンまではこぎつけても受注に至らない案件が増えたのはそういう理由か。
どっちにしろあんまりいい傾向ではない。いい傾向ではないと言えば、さっきから立ったままの身体を支える足がブルブル震え始めた。下腹に力を込めて持ちこたえてはいるが、いつまで保つか?
「とはいえ、ご提案内容に問題はありません。基本的に、御社に発注する方向で進めさせていただきたいと思います。ただ…」
よっしゃ!契約の言質取れた...ん?「ただ」と言ったか?嫌な予感に心臓がドクリと音を立てる。
「ただ、社内の稟議を通すために要件定義を一部見直す必要がありまして……。詳細はこちらをご確認ください」
古ぼけた壁紙の会議室に似合わない、磨き込まれたローズウッドのテーブルの端を掴んで身体を支える。テーブルに映るオレの顔は...客先で浮かべるものにしてはギリギリ合格点の無表情。担当者の兄ちゃんはテーブルをぐるりと回った反対側だ。そこまで取りに来いってか?いいだろう、体力はギリだが歩いて行ってやろうじゃないか。
おずおずと差し出された紙をひったくり読み込んでいくにつれて目が血走っていく。RfP時点の要件からの変更点は…。出来の悪い発注者とお付き合いすると嫌というほど目にする変更内容。
要は「要件マシマシ。お値段据え置き」だ。
「これでは何もかも前提が変わってしまうではありませんか!プロジェクトの規模が大きく変わるから予算も開発期間も全部最初から見直しが」必要、と言おうとしたのに、そこで息が続かない。続きを喋ろうと息を吸い込んでも引き換えに出るのは咳ばかり…コレ、マズくないか?
「はぁ、午前中の二社からも同じことを言われて断られてまして。もう多少のことには目を瞑ってでも御社に発注させていただくしかないのですよ」
断られるのは当たり前だろう!こっちだって願い下げだ!と怒鳴りたい。
怒鳴りたいんだが、怒鳴るには空気が必要だ。その空気が吸えない。
息の吸い方を忘れたわけじゃないはずだ。ただ、もう一度息を吸い込もうとすると胸が締め付けられるように痛む。比喩でも何でもなく血の気が引いていくのが判る。
頭の中を覆う霞が濃くなるような感覚。ヘラヘラ笑いの兄ちゃんの姿がゆっくり傾いていく。それだけじゃない、視界全体の彩度がすーっと下がっていく。目に見えるあらゆるものが色を失ってモノクロに。灰色に。
「「社長!」」「国沢さん!」叫び声が繰り返し聞こえるがそれもどんどん遠くなる。
次はやたらめったら明度が上がっていき、今度は視界が白一色に塗りつぶされる。そういえば何も聞こえなくなったか…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
…誰かの叫び声が聞こえる。
いや、泣き声か?うるさいなぁ。どうせ俺はぶっ倒れたか何かだろ?少しは静かにして放っといてくれ…と文句を言おうとして、その泣き声の発生場所を探ったところ、自分の喉のあたりが震えている。それだけじゃない。泣き声がデカすぎて頭に響く。勘弁してくれ。
それに、アラフォーのおっさんに似つかわしくない甲高い声…幼児?それどころじゃなくて赤子の声だよな、これ。
俺が赤子のように泣いてるとでも?ちょっと待て。いい年したおっさんが客先で晒していい姿じゃないぞ。
けど、オレの自制心は仕事をしてくれない。いや、身体が言うことをきかないのか。オレの意思に関係なくひたすら息を吸っては叫ぶように泣き声をあげ続ける。
何だか情けないというか泣きたくなってきたよ。
「#$%”’&」ふいに俺の泣き声以外の声が聞こえた。柔らかな女性の声。だが、何を言ってるのかまでは分からない。
日本語じゃないのか ? 外国語?オレの知ってる言語?頭の中でいくつかの単語を思い浮かべようとした途端、落ち着いた女性の声が意味のある言葉としてすっと頭に入ってくる。
「元気な男の子です。おめでとうございます」
その声が聞こえた瞬間から、頭の中が「泣きたい」「生きたい」単純な衝動に塗りつぶされていく。記憶も、感情も、「オレ」を形作る様々なものがどこかに追いやられていく...。
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