プロローグ
「当社からのご説明は以上です。ご静聴ありがとうございました。」
やりきった…予定していたプレゼンの内容を説明しきった瞬間、フッとからだが支えを失ったような感覚に襲われる。そのまま身を任せたくなるが、まだその誘惑に負けるわけにはいかない。
「ご質問等ございましたらお願いいたします。」
とある企業からのRfP(Request for Proposal 製品やサービスなどの提案をほかの企業に依頼すること)に応えるためのプレゼンを一通り終えた俺は、今できるギリギリの笑顔を貼り付けて会議室を見渡す。
俺は国沢真一。Webアプリ開発をメインに取り扱うベンチャーを経営している…が、俺のほかの戦力はというと、俺の後ろでハラハラして座ってる2名の社員しかいない。
必定、俺自身がほぼ全部の作業をメインで回し、二人には指示に従って動いてもらうことになるわけだ。
今回もほとんど準備期間を与えられない中で、RfPの要件の精査からプロトタイプ作成とプレゼンの準備までを完遂した結果、体力を限界ギリギリまで削られた状態で、今ここに立っている。
社員2人のハラハラ顔も、プレゼンの成否よりもいつぶっ倒れてもおかしくない俺の顔色を心配してのものだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ありがとうございます。この短期間にここまで準備いただき感謝いたします。」
俺の正面で挙手して発言するのは、ほぼ無茶ぶりに近い提案依頼を出してきた発注側チームのリーダーと思しき兄ちゃんだ。
え~っとこの兄ちゃんの名前は?思い出そうとするが、睡眠不足と過労が常態化してるせいで、頭は既に霞がかかったようになっている。このところ30分以上連続して睡眠をとれない状態が1週間以上続いてるせいだ。
それでも、倒れそうな体の揺れを下腹に力を入れて抑え込み次のセリフを待つ。そうだ、せっかく発注してくれるんだ。名前くらいは思い出してあげようじゃないか。発注…するよな?
「基本的に、御社と契約させていただきます。ただ…」
よっしゃ!契約の言質取れた...ん?「ただ」?嫌な予感に心臓がドクリと音を立てる。
「ただ、社内の稟議を通すために要件定義を見直す必要がありまして。
詳細はこちらをご確認ください」
会議室のテーブルの反対側まで大股で移動する。おずおずと差し出された紙をひったくり、血走った目で読み込んでいくにつれて絶望が広がっていく。
要は「要件マシマシ。お値段据え置き」だ。
「これでは何もかも前提が変わってしまうではありませんか!プロジェクトの規模が大きく変わるから予算も開発期間も全部最初から見直しが」必要、と言おうとしたのに、そこで息が続かなくなって咳き込む。
「はぁ、午前中の2社からも同じことを言われて断られてまして。もう残るのは御社だけなのですよ。」
当たり前だろう!と怒鳴ろうとして、息が吸えないことに気が付いた。
もう一度息を吸い込もうとすると胸が締め付けられるように痛む。
頭の中を覆う霞が濃くなるような感覚。ヘラヘラ笑いの兄ちゃんの姿がゆっくり傾いていく。いや、視界全体が色を失ってモノクロに。灰色に。
「「社長!」」「国沢さん!」叫び声が繰り返し聞こえるがそれもどんどん遠くなっていく。
視界が白一色に塗りつぶされる。そして何も聞こえなくなった…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
誰かの叫び声が聞こえる。
いや、泣き声か?うるさいなぁ。どうせ俺はぶっ倒れたか何かだろ?少しは静かにして放っといてくれ…と文句を言おうとして、その泣き声を自分が発していることに気づく。
それに、アラフォーのおっさんに似つかわしくない甲高い声…幼児?いや赤子の声だよな、これ。
俺が赤子のように泣いてる?ちょっと待て。いい年したおっさんが客先で晒していい姿じゃないぞ。
けど、自分の意思では止められそうにない。オレの意思に関係なくひたすら息を吸っては叫ぶように泣き声をあげ続ける。
何だか情けないというか泣きたくなってきたよ。
「#$%”’&」ふいに俺の泣き声以外の声が聞こえた。が、日本語じゃないのか何を言ってるのかまでは分からない。
外国語?オレの知ってる言語?、と考え始めた瞬間、落ち着いた女性の声が意味のある言葉としてすっと頭に入ってくる。
「元気な男の子です。おめでとうございます。」
その声が聞こえた瞬間から、頭の中が「泣きたい」「生きたい」単純な衝動に塗りつぶされていく。その一方で、記憶も、感情も、「オレ」を形作る様々なものがどこかに追いやられていく...。
初めての作品投稿です。
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