8 全てをつまびらかにする
わたくしは、ソル様が恢復した時に一通の手紙を王家に送った。内容は、魔力過多症の治療法についてと魔王侵攻を止める為の魔石があること。
治療法については、隣国の王太子こそが魔力過多症の患者だからだ。今日の夜会で彼と出会ったヒロインが、魔力過多症の治療に取り組むストーリーに乙女ゲームではなっている。
彼の病気は、隣国の国王陛下が躍起になって治療法を探している為に貴族であれば大体の人間が知っている。だからわたくしが治療法を送ったとしても不自然ではない。
予想通り、王家からは感謝の手紙が届いた。
そして侍女たちからのボイコットがあった次の日にわたくしは侍女長ヘレナを味方につけ、魔女の薬を手に入れた。
そこまで説明しても、気が動転して青くなっているアグネスは上手に言葉を呑み込めていないようだった。
「つまり、貴女の計画は最初から知っていたということですよ。ソル様を殺そうとしているかは、結局は最後まで賭けでしたけど」
わたくしを殺す可能性もあった。だけどアグネスは何よりも乙女ゲームと同じ展開に進むことを望んだ。そんな彼女にとっては、生きているソル様の方が邪魔な存在だっただろう。
実の親が死んでも、ストーリーに忠実だからと「良かった」と言う様な女なのだから。
「わたくしは商人に二つのモノを作らせました。一つはロケットペンダント。……もう一つは血糊です。これをソル様に口に含んで頂いて、噛めばまるで血を吐いたかのように見せたのです。勿論、お医者様には協力してもらいました」
王太子殿下から体を離したアグネスが、ヒロインの仮面も忘れ吠える。
「じゃあ、棺に入っていたお兄様はどう説明するのよ!」
「あら、まだ気づきませんか? あの時わたくしは一人になる時間があったでしょう? 神父様の呼びかけで」
「――……ッ!」
アグネスがはっとなって口元を手で覆った。
勿論神父様も仕込みだ。わたくしとソル様だけにしてもらって、その間にソル様と重りを入れ替えた。
「ああ、で。何でしたっけ? わたくしが何処かへ行っていたのは悪魔を呼び出す為、でしたか」
わたくしの声に応えるように、国王陛下と王妃様が前に出てきた。
「わたくしがオーロラの姿をしたソル様と会いに行ったのは、国王陛下と王妃様ですわ」
「ああ、トライトル伯爵夫人には借りがあった。だから我々も手を貸したのだ」
「うふふっ。ええ、ええ。ちょっと面白かったわ」
王妃様が子供のように無邪気な声を上げる。
「どういう、こと……」
茫然自失となったアグネスは、もう取り繕うことすら上手に出来ていない。
「アグネス様。この夜会、何かおかしいとは思いませんか?」
「……へ」
問われたアグネスが辺りを見渡すが、泣きそうな顔で首を傾げている。代わりに、さっきまで黙っていた王太子殿下が呟いた。
「高位貴族しか、いない……?」
「正解ですわ。夜会が始まる、少し前の時間を特別に頂きましたの。ここにいる皆様は、貴女がどんな罪を犯したかも知っていますわ」
ソル様に毒が盛られたと分かった日。レイモンドに早馬で駆けてもらって事前に伝えていた毒殺事件が本当に起こったことを報告した。
そしてアグネスが此度の夜会でわたくしを断罪しようとしていることをソル様と一緒に王城に行き話し、この場を設けてもらった。
でなければ、隣国の王太子殿下も出席するような大きな夜会で断罪など出来ない。国際問題に発展してしまう。今頃、体調が良くなった隣国の王太子は生まれて初めて、病人食ではない豪華な食事を堪能していることだろう。
結局の所アグネスは、わたくしの用意した舞台で踊っていただけに過ぎない。
「アグネス様。これでもう終わりですわ」
「……それはどうかしら」
わたくしは片眉を上げる。アグネスは乾いた唇を舐めた。瞳には爛々とした卑しい光が宿っている。それは彼女からしたらこう呼ぶべきなのだろう。――『希望の光』と。
「お姉様随分自信満々なようでしたけど、全部お姉様の妄想に過ぎませんわ。だって証拠なんて何処にもありませんもの!」
まあ。そうわざとらしく言ってからわたくしはソル様から紙を受け取る。
「魔女の売買証明書に貴女の名前がしっかり書いてありますけど?」
「そんなの信用出来ないじゃない! 汚らしい魔女の書いたモノなんて!」
それはそうだ、とわたくしは納得してしまった。
笑みが浮かぶ。念には念を入れておいて良かった。
「確かに、結局は存在自体秘密が多い魔女様の書いたものですからね」
「そ、そうでしょ」
「では……上級書記官の書いたものなら?」
手を叩けば、軽く会釈をして一人の壮年の男が出てきた。
上級書記官とは会話などを記録する者の中でも高位な存在で、彼らの記した紙は信頼出来る証拠品として扱われる。
「わたくしは最初、ソル様が殺されたとしか言いませんでした。ですがアグネス様は言いました。『お兄様を毒で殺して』と」
「はい。間違いなくそう言っていました」
「……ッ、それは、病死に見せかけるのなんて毒殺くらいしか!」
まだ言い訳をしようとしたが、彼女ももう流石にこれ以上の嘘は通用しないのだと分かったのか、方向転換し王太子殿下たちに縋り付き始めた。
「ねえッ殿下たちは私を信じてくれますよね!?」
「い、いや……」
彼らはアグネスから距離を取る。その顔からはありありと自分たちは騙されたとでも言いたげな被害者意識が見て取れた。
「や、やめてくれ! 俺は騙されていただけだ! 何も知らなかったんだ!」
王太子殿下がアグネスを突き放した。
ふらりとよろめいた彼女は、次に宰相の息子と騎士団長の息子を捉える。おぼつかない足取りで二人に手を伸ばした。
「そ、そんな。……あ、ねえ二人は私を信じてくれるでしょう? だってあんなにも私に親身になって助けてくれたよね。お姉様の断罪だって正しいって言ってくれたじゃない……」
「うわあああああッ、この悪魔めが!」
バキッ
「ぎゃあ!」
顔を真っ赤にした騎士団長の息子がアグネスの頬を拳で殴った。
ソル様が息を呑む。殴られたアグネスはじわじわと赤くなっていく頬を押さえながら床に転がった。髪は乱れ手負いの獣のような醜い姿に、周りの貴族たちは一歩距離を取る。
「馬鹿、おい!」
「煩い! 俺が悪いわけないだろう! 糞女め俺を騙しやがって!」
宰相の息子が焦って声を上げるが、騎士団長の息子は暴れまわるだけ。
見るに堪えない。わたくしが手を叩けば、騎士たちが攻略対象たちをすぐさま捕獲した。そのまま自分は悪くないと訴え続ける彼らが何処かへと引きずられていく。
誰にも起こしてもらえず床の上に転がったままのアグネスが、虚ろな目でわたくしを映した。
「どうして、どうしてぇ? なんで私を邪魔するの? 幸せになりたいだけなのに」
「わたくしはソル様に仇をなす人間を許さない。ただそれだけですわ。彼はわたくしの、幸せの全てですから」
ぽ、と顔を赤らめるソル様が愛らしくて彼の腕に手を絡める。
幸せなわたくしたちに、唇を噛み締めたアグネスが襲いかかろうとする。リーガンがそんな彼女を押さえつけた。だが押さえつけられて尚、アグネスは身をよじり此方に噛みつく勢いで来る。
なんてエネルギッシュなのかしら。いっそ感心してしまう。
「私の幸せを奪って、自分たちだけ幸せになろうだなんて許さないわ! 私は幸せになるべきなの!」
瞬間、アグネスから眩い光が散った。瞳に星が宿る。
周りがどよめいた。
「これは!」
「まさか、光魔法の覚醒……!」
アグネスの光魔法が本当に開花するとは。
きらびやかな星の粒に体を包まれたアグネスが愉悦を零す。
「やった、やったわ。私は聖女よ……! この世界を救う救世主なの! 分かったらさっさと私を起こしてよ!」
愚かな女だ。幼稚で救いようがない。
くすり。扇子で顔を隠し笑ってしまった。
それすらもわたくしの想定の範疇だと気付かないなんて。
「あら、この世界を救ってくださる聖女様が現れましたのね」
国王陛下も頷いた。
「ああ、そのようだな。――この罪人への刑は、祈りの崖に飛び降りてもらうこととしよう」
「は、え? ……あッ!!」
ようやくアグネスも思い至ったようだ。
乙女ゲームでのバッドエンドルートを。
この世界には、魔王の侵攻を止めるには、光魔法が宿った魔石を投げ入れるのに倣って、聖女様を祈りの崖に投げ入れるという方法しか考えられていない。前例がないからだ。
だから乙女ゲームのバッドエンドルートでは、聖女となったヒロインが崖に身を投げ、世界の平和の代わりに死亡するエンドとなっている。他のルートでは、それ以外のやり方を確立し魔王を倒しに行くのだ。
アグネスはこのバッドエンドルートをすっかり忘れていたのだろう。
「ま、待ってよ。別の方法があるの……!」
必死に身を投げる以外の方法を提示する彼女だったが、すぐにもう一度リーガンが捕まえ手に力を込め床に押し付けられる。
当たり前だ。トライトル伯爵家当主殺害未遂、そして夜会での一歩間違えば国際問題に発展するような行い、この国の司法をなぞらえれば彼女は死刑となる。そんなアグネスの為に、身を投げる以外の方法を探す意味がないのだから。
「いやあッ。いや! 離して、離してよぉ!」
涙と鼻水を垂れ流しながら引きずられていくアグネス。彼女は必死に抵抗し身をよじり、四方八方の人間に助けを求める。
その動きが、ある一点で止まった。
「お兄様……!」
舌打ちしたくなるのを堪えた。これ以上彼の心に傷を負わせようとするなんて、なんて醜い性根なのだろう。
ソル様の前に出た。しかしそんなわたくしの肩に手を置き、彼がわたくしの隣に来る。
「ねえ私は妹でしょう!? そんな女の側にいないで助けてよ! ずっと可愛がってくれたじゃない。ねえねえねえッ!」
「ごめんアグネス」
真っ直ぐ、ソル様が頭を下げた。
「君に向き合うことをずっとしてこなかったことが、僕の罪だ」
「な、なにを……」
「僕は、フローと生きていく。――もう一度アグネスに出会えたら、次はもっとちゃんと、向き合いたいと思う。兄として力及ばず、本当にごめん」
意味が理解出来ない幼子がするように首を傾けたアグネスは、瞬間憤怒し声を荒げた。聞くに堪えない罵声に、貴族のご夫人が眉を顰める。
「―――はあッ!? なに自分だけ幸せになろうとしてるのこの人でなし! 全部お前のせいだ! お前が死んでくれれば私はヒロインとして生きていけたのにお前のせいなんだよ。さっさと死ねよ、生き汚いッ。きっしょ! きっしょ! お前もだよフロレンティア! あんたなんかただのモブだった癖に出しゃばりやがって! 人の物語ぶっ壊すんじゃねえよ! 許さない、絶対に呪ってやるぅッ!!!」
「連れて行ってください」
ソル様が顔を伏せて言葉を紡ぐ。
まだ何かを喚きながら、アグネスは連れて行かれた。
こうして、ヒロインの断罪は終わった。