7 破滅の日
早朝。窓から零れ落ちる透明な光の粒に揺り起こされた。ぼんやりとしてから、今日が断罪の日だと気づく。
魔石を祈りの崖に捧げてから、少し雲が薄くなったようだ。雲を透かして入ってきた陽の光を浴びてわたくしは軽く伸びをした。
「奥様、おはようございます」
「おはようリウィア。今日はよろしくね」
「勿論でございます」
力強く頷く彼女を頼もしく思う。
侍女たちがやって来て、わたくしはどんどん飾り立てられていく。丁寧に丁寧に、体を洗い髪を梳かしドレスを着る。
太陽がすっかり昇りきったあと、ようやくわたくしの用意が終わる。
ソル様の瞳の色である紫のドレスはチュール素材の生地が幾重にも重なり、繊細な刺繍とパールが施されている。肩の部分は余分なレースがなくすっきりとしていて、綺麗なデコルテが惜しみなく晒されていた。
髪は繊細に編み上げられ、ハーフアップにされている。髪と首元に飾られた大粒の宝石が、燦々と光を放った。地味で凡庸な顔が、随分と豪奢になり今日の晴れ舞台に相応しい物となる。
準備が終わったわたくしの元に、オーロラがやって来た。
紫色の瞳を輝かせ、目元を綻ばせた。
「その、とても綺麗です。奥様」
「まあありがとう」
頬を染めながらお礼を言えば、オーロラも少し赤くなった。
部屋から出たわたくしは、侍女や騎士を引き連れ歩く。
もう少しで断罪の時間。とことん捻り潰してあげるとわたくしはうっとりと微笑んだ。
一階に降りれば、エントランスホールでアグネスも出かける準備をしていた。乙女ゲームのスチルで見た格好と同じ、ピンクのフリフリなドレスを着ている。だけどその表情で全て台無しよ? 心の中でそっと窘めておいた。
彼女はわたくしにも気づかず、爪を噛みぶつぶつ呟いている。
「夜会の開始時間が早まってるわ。もう、なんで乙女ゲームと同じ展開じゃないのよ……!」
やはりアグネスは、乙女ゲーム通りに物事が進むものだと思っているらしい。それに囚われているから、足元を掬われていることに気付かない。ほんの少しの出来事で未来は幾つにも分岐するというのに。
貴女が正規の話に戻そうとソル様に毒を盛ったように、ね?
その後も醜く歪んだ顔を惜しげもなく披露してくれた彼女は、ヘレナを伴ってドスドスと夜会に向かった。王太子殿下たちとわたくしを断罪する為の話し合いでも行うのだろう。
「わたくしたちもそろそろ行こうかしらね」
「はい」
馬車に揺られながら、わたくしは流れる景色を眺める。
目の前に座るオーロラがわたくしに話しかけた。
「奥様。私はいついかなる時も、奥様の味方です」
顔を上げ彼女をまじまじと見つめる。
「嬉しいわ……貴女がそう言ってくれるだけで、わたくしは頑張れるの」
「勿体なきお言葉です」
夜会会場はもうすぐ。運命の瞬間が始まる。
◇◇◇
会場に入る。側にはオーロラと、騎士のリーガンに控えてもらう。さっと周りを見渡せば高位貴族たちが談笑していた。
「――お姉様、いえフロレンティア様!」
大声で名を呼ばれた。
ホールの真ん中に、アグネスと攻略対象たちが立っている。わたくしは敢えてたおやかに微笑み、アグネスたちに近づいた。
「まあ、どうかなさいましたの?」
「しらばっくれないでください。もう嘘なんて吐かなくて良いんです。楽になってください」
しんと会場が静まり返る。
アグネスは目に涙を浮かべた。宰相の息子と騎士団長の息子を背後に従え王太子殿下に支えられながら、声を振り絞る。
「お兄様を亡くされてから、お姉様の様子がおかしいのです。まるで、悪魔に取り憑かれてしまったみたいに」
「最近、着飾って何処かに行っているらしいな、アグネスから聞いたぞ。トライトル侯爵夫人は、侯爵を亡くしたショックに耐えきれず悪魔を召喚するという愚行に走ったのだろう!」
宰相の息子が、得意気にありもしない情報を喋り立てる。
わたくしは扇子を音を立て閉じ一笑に付した。
「――いいえ、わたくしの身に悪魔など宿っていませんわ。宿っているとするならば、それは貴女の方では? アグネス様」
「……は?」
ヒロインの仮面が一瞬外れたアグネスだったが、慌てたように眉尻を下げ王太子に縋り付く。
「酷いわお姉様! 何を根拠に私に悪魔が宿っているなんて……」
「ソル様は殺されました。病気ではありません。そしてその犯人はアグネス様しかありえないんです」
ブルブルとアグネスの顔が真っ赤になった。わたくしが淡々としているからこそ、思った通りの展開にならずイライラしているのだと思うと笑みが零れそうになる。
「アグネスが自分の兄を殺すわけないだろう!」
「……っ殿下!」
すかさず王太子殿下が叫ぶ。アグネスが喜色ばんだ声を上げ、猫撫で声で王太子殿下に甘えた。
「私、負けないわ」むんと意気込んだ彼女を攻略対象たちが温かい目で見守る。アグネスがきっとわたくしを射抜いた。
「お姉様、私がお兄様を殺しただなんて言いましたけれど、それならよっぽどお姉様の方が怪しいんじゃないですか!? お兄様を毒で殺して、私も排除して、家のお金を独り占めする気なんでしょ、私分かっているんだから!」
彼女は確かに完璧なヒロインだったと言えよう。そこは称賛に値する。
けれど少しでも現実が物語から外れれば、迷子の子供のように動きも言動も稚拙な物となった。彼女の敗因を挙げるとするならば、どんなことも起こり得る限り起こり得るという簡単な事実を見逃したことだ。
「いいえ、わたくしはソル様を殺したりしませんわ。殺す理由がありませんもの」
「はあ!? ……だからッ」
「だってわたくし、ソル様を愛していますから。愛するソル様を殺す、想像するだけで気が狂ってしまいそう」
頬に手を当てうっとりと呟けば、鬼の首を獲ったようにアグネスが笑った。鼻の穴を膨らませながら嬉々としてわたくしを指さす。
「愛? そんな言葉、誰が信じると思うんですか!」
「――あら、信じてくれないの?」
わたくしの問いかけに、後ろに控えていたオーロラが一歩前に出た。
艷やかな紫の瞳を見開いたアグネスは、暫しの逡巡の末に気づいたようであった。
オーロラの瞳の色が紫なことに。
「ま、さか……」
わたくしの隣に来た彼女――いいや彼が笑う。
「ううん、信じるよ。だって僕も、フローを愛しているから」
ソル様が胸元のブローチに触れる。魔石だったそれは眩い光を放ち、その光が小さくなって目を開けるくらいになった時には立派な衣装を着こなすソル様が立っていた。わたくしのドレスと対になっている服は格好良くて見惚れてしまう。
ソル様の少し乱れた襟元を直すと、彼は気恥ずかしそうに頬をかいた。
「あ、あー。……う~ん、やっぱり声はまだ変わったままだね。流石魔女の薬」
「その声もとっても素敵ですけどね」
「本当? でも少し恥ずかしいなぁ、この格好で女の子の声は」
和気あいあいと話すわたくしたちに呆然とした顔のままアグネスが「なんで」と呟いた。
わたくしは横目で彼女を見た。
「言ったでしょう? わたくしの幸せを奪うなんて烏滸がましい、と」
ようやくアグネスは気づいたようだ。自分はわたくしの作った籠の中で囀っていただけに過ぎない、ということに。