6 花を摘む
信頼出来る騎士と侍女だけを連れ、魔女の下へ向かう。
森に足を踏み入れようとする騎士を手で制す。
「リーガン、此処からはわたくし一人で行くわ」
「ですが、相手は魔女です。どんな手を使ってくるか分かりません」
魔女は、悪魔と同じような存在だと信じられている。だが彼女たちは魔力が強く、それを理由に迫害を受けたに過ぎない。
「いいえ、大丈夫でしょう」
彼女たちは知性ある人だ。ここでわたくしを害する理由がない。
風が吹き、しだれた木の葉が揺れる。わたくしは少しの荷物を持って、森の中に入った。
◇◇◇
目的の場所にはすぐ着いた。来ることを拒まれていないという判断で正しいのだろう。
焦げ茶の日に焼けた扉をノックする。
コンコン。
「ごめんください。わたくしはフロレンティア・トライトル、貴女に話があって来ました」
沈黙が落ちる。ピチチと鳥の鳴き声が木々の間で囀った。
「入りな」
しわがれた声がわたくしを招く。
「こんにちは、魔女様」
「ふん」
入れば、黒いローブを深く被った老婆が立っていた。木造の家には薬草の香りが巡っていて、深く息を吸う。
わたくしは籠の中から紙を取り出した。スズランの絵。魔女の印。
「このスズランのイラストが入った毒を作ったのは、貴女ですね」
「何を根拠に、」
「ああ、そういうのはどうでも良いんです。今日は貴女にお願いがあって来ました。この毒と同じ見た目であり、かつ無毒の物を作ってください」
覇気のない顔でわたくしを伺っていた魔女が一転、険のある顔つきになった。
「そんな物作って、どうする気だい?」
「憎い人を、これ以上のさばらせない為です」
わたくしは訥々と話す。魔女は時折首をゆらりと動かしながらわたくしの話に耳を傾けた。
「……なるほど。この毒を売ったお嬢さんは随分と恨みを買ったようだね」
「はい。だからこの毒を、無毒の物に置き換えたいのです」
毒が失くなったとなれば、彼女は真っ先にわたくしを疑う。そうなれば計画に綻びが出来てしまう。じわじわと絡め取る為にも、それでは駄目だ。
また、追い詰められた彼女が本来の使用用途以外には使わないとは言い切れない。楽に逃げることは許さない。泣いて叫んで絶望して、たんと苦しんでもらわねば。
「そうですね。入れ替えた中身は……声変わりの薬などは出来ますか?」
「出来るけど、それで良いのかい?」
「はい。これが良いのです」
救いを求めたのに、飲んで得られるのは声変わりだけ。毒を飲んだという事実の露呈を防ぐには普通に喋ることもままならなくなるその状況は、彼女からしたら随分と屈辱的だろう。
「ちょうどいい。声変わりの薬が一人分あるんだ。同じ瓶に入れてくるからちょっと待ってな」
「ありがとうございます」
なんて運が良いのだろう。日ごろの行いが良いせいだろうか。
作業部屋に入っていった魔女は、言葉に偽りがないことを裏付けるようにすぐ出てきた。
渡されたダミーの毒は、部屋で見た毒と同じ色をしていた。傾けるとどろりと流れる。
「うふふっ」
これでもう毒は使えない。暫く笑い続けるわたくしを、魔女は奇異の目で見つめた。
ひとしきり笑ったわたくしは、籠の中に入れていたもう一つを魔女に差し出した。
麻袋に詰まっていた中身が、じゃらりとなだれ落ちる。
「これは……!」
「わたくしからの、ほんのお気持ちですわ」
魔女は差し出された金貨の山に困惑しているようであった。
「だけど、こんな量……」
やはり賢い人だと嘆息した。魔女は金貨を眩んだ目で捉えているのに、ここまでの報酬を渡したわたくしを警戒している。
「可愛いお孫さんがいらっしゃるのですよね?」
魔女の肩が面白いくらい跳ねた。ローブの下からすくうようにわたくしを睨みつける。
「それがどうした。まさか、私を脅すつもりか? 力のないただ優遇されてきただけのお嬢様が」
「まさか! そろそろ魔女業を引退してお孫さんと一緒に暮らしたいのではと思いまして」
事前に調べておいた魔女の身辺。彼女には病弱な孫がいるらしい。孫の治療費を稼ぐ為に魔女の仕事を続けているという報告を受けた。
これだけの金貨があれば十分だろう。わたくしがユーテリル侯爵家にいた頃に貯めていた個人資産の一部がこんな所で使えるとは、うっすらと笑みが浮かぶ。
まだ渋りきっている魔女の肩を叩いた。耳に顔を寄せ言葉を流し込む。
「本当に遠慮は要りませんのよ? ――だってわたくし、とても怒っているんですもの。あんな女に毒を売った貴女のことを。わたくしの愛しくて大切他の誰よりも一等特別なただ一人の人を害す化け物に売るだなんて、随分と目が腐っているのでは?」
「……ッヒ」
体を離し、いつもの完璧な笑みを浮かべる。ゆったり首を傾けた。
「ここらで、魔女業からは手を引くべきでは? だって次に同じようなことをされたらわたくし、魔女様をなぶり殺してしまいそうなんですもの」
「わ、分かったよ」
「まあ、分かっていただけたようで嬉しいです」
舌打ちした魔女に手をヒラヒラ振る。
無事森を抜けて来たわたくしを、リウィアと騎士二人が出迎えた。
「奥様、ご無事で良かったです」
「ただいまリウィア」
わたくしは高々と紙を掲げた。
「ちゃーんと書いて貰って来たわよ!」
「流石です!」
「良かったです!」
騎士のリーガンとレイモンドが喜色満面の笑みを浮かべる。
わたくしは大事な証拠となる紙を撫でた。これは魔女の売買証明書。魔女の真名を使い嘘をつけないという誓約で縛られた、信頼出来る証明書。
『魔女リリフィスの名の下に、アグネス・トライトルが下記の毒を購入せしことをここに証明す』
下には毒の効能がつらつらと書かれていた。ご丁寧にソル様の病気をなぞらえる症状だ。確かにお医者様が、ソル様が昔は吐血していたことを示唆させる内容を口にしていた気がした。
「んふっ」
ああこれでようやく舞台は整った。……あとは彼女がどう出るか、それにわたくしは委ねる。
わたくしの愛おしいソル様。もう少し、もう少しですからね。
◇◇◇
わたくしはユーテリル侯爵家の侍女であるオーロラの手を取った。ソル様の葬式以降、わたくしを支える為に彼女にも来てもらっていた。
御仕着せに身を包んだ彼女は、リボンに着けられたブローチに手を添え微笑んだ。
「よろしくね」
「はい。フロ、いえ奥様」
わたくしが最も信頼する彼女に口角が上がる。
「では、行きましょうか」
紫色の淡いドレスに身を包んだわたくしはオーロラに手を取られ歩き出す。
「……あら」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、なんでもないわ」
馬車に乗り込むわたくしたちを、昏れた目で監視するアグネスを見つけた。窓越しに此方を伺うアグネスは、自分が見られていることには気づいていないようだ。
侍女長のヘレナからは、アグネスは学園で攻略対象である王太子殿下や騎士団長の息子、宰相の息子とよろしくやっているという旨の報告が上がっている。人目を憚り、わたくしを断罪する為の相談をしているとも。
彼女はまだヘレナが裏切っていると気づいていないらしい。やすやすと話を聞かせているなど。
取り留めのないことを考えていればガロガロと回っていた車輪が止まった。オーロラに支えられながら揺れを堪える。窓から覗けば、目的地のようだ。わたくしは緩んでいた気を引き締めた。
着いた頃は太陽が真上にあったのに、今は月と交代する為に低い位置にある。わたくしは全てを終え茜色の光を背負い帰宅した。張り詰めていた糸が解け深いため息をつく。
「奥様」
刹那、わたくしよりも上背のあるオーロラがわたくしを庇うように前に出た。視線をついと上げれば、階段の上にアグネスが立っている。険しい顔をするオーロラに「大丈夫よ」と耳打ちした。
ヒロインらしい顔をした彼女は、真っ直ぐに響く声でわたくしを糾弾し始めた。
「……お姉様。お兄様が亡くなってからまるで人が変わってしまったようですわ」
「そんなことないわよ」
表面上にこやかに答えれば、さっとアグネスの顔に朱が走る。
「じゃあ今日も、そんな豪華な格好をしてどこに行っていたんですか!」
「貴女にそれを言う必要がある?」
「ほらやっぱり! 何かやましいことでもあるんでしょう?」
やましいことなど何もない。わたくしの全てはソル様の為にあるのだから。
「――お姉様、まるで悪魔に乗っ取られてしまったみたい……」
顔を俯かせたアグネスが苦しそうに言う。でもわたくしは見逃さなかった。愉悦に歪んだ彼女の表情を。
なるほど。アグネスは……いやヒロインはどうしてもわたくしを『乙女ゲームのフロレンティア』と同じ様に断罪したいらしい。今の会話はその為の布石とでも言うべきだろうか。
「話したいことはそれで以上かしら? でしたらわたくしは行くわね」
穏やかに笑いながらも彼女からは目を離さない。アグネスもまたわたくしを前髪で表情を隠しながら睨みつけていた。
階段を登りながらわたくしは扇子で口元を隠す。
ヘレナは言った。アグネスと攻略対象たちは、今度の夜会でわたくしを断罪するだろうと。乙女ゲームと同じ夜会。確か攻略対象の隣国の王太子が来る夜会。
わたくしが悪魔として殺され、アグネスが光属性の魔法に目覚める日。
徹底的に叩きのめして、わたくしのソル様に手を出したことを生涯をもって後悔させてやる。
――夜会の日まで、あと一週間。準備は整った。あとはもう迎え撃つだけ。
さあ来なさいヒロイン。貴女の愛する物語ごと、ぶっ潰してあげる。