5 スノードロップを貴女に
騎士に抱えて貰い、慌てて部屋に帰った。
急いで侍女に呼んで貰ったお医者様が、固く目をつむる。
「お坊ちゃまも最近は、血を吐くこともなく回復したと思っていましたのに……」
ボロリと大粒の涙がわたくしの目から零れ落ちた。
「脈が、ありません」
耳を塞ぎたくなるような痛みが脳を穿つ。
「息をしていません……」
こうしてソル様は亡くなった。
◇◇◇
黒のドレスに身を包んだわたくしは、ソル様の葬式に臨む。
百合を一輪持ち、棺で眠る彼に近づく。白い布を顔にかけられたソル様はやはり動かない。
顔の横に花を手向ける。ぽたりと落ちた涙は彼の顔にかけられた白い布に吸い込まれていった。
「……っどうして」
嗚咽が漏れる。降り出した雨が、教会をしとどに打つ。
わたくしは人目も憚らず声を上げて泣いた。
ソル様に縋り付くわたくしを慮るように、神父がアグネス様などに声をかける。
「暫くの間、私たちは席を外しましょう」
皆眉尻を下げ、退室する。アグネス様だけが、此方を透明な瞳で見つめていた。
雨がとめどなく降り続けている。掘り返された土の中に、ソル様が入った棺が入れられた。
「……ソル様」
リウィアに傘をさされながら、わたくしはぼんやりと棺に土がかけられるのを見届けた。
わたくしは一つの確信と共に腹の底で憎悪が煮えたぎるのが分かった。
「アグネス様」
葬式が終わった夜。暗い回廊で話しかければ、彼女は歩みをとめ振り返る。
「どうかしましたの、お姉様」
「朝食、まだ皿が洗われていなくてあの後厨房を覗かせていただきました。――そこでスプーンが錆びているのを見ました」
ソル様の病気は回復していた筈だ。それなら彼は病気でこの世を去ったのではない。殺されたのだろう、毒を盛られて。
目の前に立つ、兄が亡くなってからまだ一度も涙を流していないアグネスに。
「貴女が、ソル様のスープに毒を盛ったのですか?」
「まあお姉様酷いですわ! お兄様が亡くなって悲しいのは分かりますけど、私を犯人にしようとするだなんて!」
目を潤ませて庇護欲をそそる顔をする彼女にぶわりと不快感が込み上げる。
「……ヒロイン如きがわたくしの幸せを奪うなんて、あまりにも烏滸がましいとは思わないのでしょうか?」
「――貴女も、転生者なの?」
わたくしの呟きを彼女が拾い上げた。
愛らしい顔は鳴りを潜め、三日月のようにアグネスは口角を吊り上げる。
うふふっ、あははっ。
軽やかな声が反響した。
「それなら分かるでしょう? ここは私の為の世界。私の為の物語。完璧な幸せを掴む為に、話が途中で変わっては駄目なの」
指でバッテンを作ったアグネスはわたくしの耳元で囁いた。
「ごめんなさいねぇ、お姉様」
ドンと体を押された。よろめいて尻餅をついたわたくしを彼女が上から見下ろす。
「ぜーんぶ、無駄な努力にしちゃって」
くすくすくすくす。
彼女が去っていく。ねっとりとした声が絡みついたままの耳を押さえた。
「……許さない」
わたくしの大切な人を。誰よりも愛おしい人を。
地獄に叩き落としてやる。
◇◇◇
月だけがひっそりと佇む静かな夜。わたくしの自室に侍女長を招いた。
「奥様。何か御用でしょうか」
「それ、本気で言っているの?」
わたくしの冷たい瞳に、侍女長は僅かに怯む。
「わたくしへの他の侍女からの扱いに、思う所はないのかしら?」
単刀直入に問えば、顔を俯かせた彼女は「申し訳ございません」と一言だけ口にした。
典型的な答えに心の中を冷たいものが吹き荒れる。
「あの者たちは、即刻解雇させます」
「いいえ、それは駄目よ」
「……何故ですか?」
無理に捕まえるよりも、わたくしの作った水槽の中で泳がせる方が管理が楽だ。
「罰するのは後よ。全てが終わってから。その代わり侍女長、いいえヘレナ。わたくしに忠誠を誓いなさい」
「なっ……私はアグネスお嬢様に、」
「あのお嬢様を、本当に盲信しきっているの?」
荒ぶった彼女は、わたくしの言葉にきつく唇を噛んだ。
妙齢のヘレナは、皺が浮かんだ手を強く握りしめ葛藤している。わたくしに着くのか、そのまま敬愛するお嬢様に着くのか。
そうだろう。ヘレナだって本当は分かっている筈だ。彼女は敬愛し忠義を誓うに足るだけの主人なのか。
ヘレナはそれっきり言葉を失くしてしまった。
今日はここまでか。
「もう帰っていいわ。今の話は他言無用――」
「奥様に、わたくしは忠誠を誓います」
はっと彼女の顔を見れば、既に決意が固まっていた。
「……お嬢様を小さい頃から見てきました。その時から感じていたことがありました」
躊躇うように唇を湿らせてからヘレナは話を切り出す。
「子供らしくなく時折良くわからないことを言ったりして、とても怖い子だと思っていたのです。それでも真心を込めて仕えてきました。ですが聞いてしまいました。先代の旦那様と奥様が馬車の事故に遭った日に、『ああ良かった』と言っているアグネスお嬢様の姿を」
ヘレナが頭を下げた。
寸分の狂いもない礼は、確かにわたくしへの忠義の表れだった。
「何処までもお供致します、奥様」
「心強いわ。それなら先ずはわたくしが信頼しても良い侍女、騎士をリスト化してちょうだい」
「かしこまりました」
「それから、ヘレナは今まで通り変わらずアグネス様に仕えて。何か怪しい動きをしたらわたくしにすぐ教えて」
「かしこまりました。奥様の仰せのままに」
彼女は乙女ゲームではヒロインに良く尽くす侍女として描かれていた。第二の母親のような存在だと。
そんな彼女がわたくしの味方になったことは大きい。良く働いてくれることだろう。
三日後。リスト化した書類を渡すと共にヘレナに耳打ちされた。
「お嬢様は最近、首からチェーンを下げています。チェーンに付けてある鍵を、誰にも触らせまいとしているように見えました」
「なるほど。その鍵、借りることは可能かしら」
わたくしの問いかけに、ヘレナは首を横に振ることで返答した。
「それは無理でしょう。随分と鍵には気を割いているようでした。ですが、お嬢様が入浴中でしたら一瞬だけ可能です」
お風呂まで鍵を持ち込む趣味はないのか。
そう納得すれば、ヘレナが自分の胸元に手を添えた。
「私が粘土で、鍵の型を取ります」
わたくしは目を見開く。そしてゆっくり笑みを深めた。彼女は一度引き入れればわたくしに有利になるとは分かっていたが、ここまでの働きをしてくれるとは。
「ありがとう。よろしく頼むわね」
ヘレナが何食わぬ顔で戻っていくのを見送ってから、わたくしはリストを見る。
リウィアは勿論のこと、それ以外にもかなりの数の侍女がいてほっと息を吐く。信頼出来る侍女は身分が低い者が多く、その為水面下で分からなかっただけなのだろう。
騎士は数名、名前が書かれていた。確かにソル様の身体を支えたりしているのを見たことがあった。この情報に間違いはないのだと息をつく。
このリストに載っている者たちを呼ぶことにした。
◇◇◇
翌日。型を取った粘土に金属を流し、鍵を作成する。息のかかった者たちに見つからないよう気をつけながら彼女の部屋を漁らせて貰うことにした。
部屋の中は、可愛い物で統一されていた。ピンクの壁紙に、真っ白なくまのお人形。
見渡せば、机に備え付けの引き出しの一番上に目が留まる。
複製したそれを鍵穴に差し込めば、難なく回った。中には、瓶がコロリと入っていた。ラベルにはスノードロップの花が描かれている。
見覚えがあった。乙女ゲームの中でヒロインに解毒薬やライバル令嬢に媚薬を売ったりする魔女が、自身の薬にスノードロップを描いていたのだ。
「うふふ。とっても邪魔な魔女ね。わたくしの為にも消えて貰おうかしら」
魔女の居場所は知っている。わたくしは会いに行くことにした。