2 貴方が選んでくれた物なら
「はじめまして、アグネス様」
「はじめまして。フロレンティア様のような素敵な方がお姉様になってくれるなんて嬉しいです!」
屋敷で、使用人に見守られながら挨拶を済ませる。
ソル様との初対面の後、わたくしはすぐトライトル伯爵家に来た。取り敢えず婚姻の手続きはし、ゆっくり結婚式の用意をするつもりだ。
歓迎ムードの使用人たちに笑顔で手を振ると、一人の侍女がすぐ傍に来た。
「奥様、はじめまして。奥様付きの侍女になりましたリウィアと申します」
キリ、とした顔のリウィアに「ええよろしく」と声をかける。
「奥様の部屋はこちらとなっております」
着いた部屋は、萌黄色の壁紙で白を基調とした家具が置かれた部屋だった。
「お気に召したでしょうか?」
「ええ、とても素敵な部屋ね」
真新しい壁紙にわざわざ張り替えてくれたのだと分かるが、緑色は別に好きではないなと思った。
そういえば、ユーテリル侯爵家で使っていた自室も緑だった。お父様にとって、わたくしが生活する部屋など何色でも構わないのだろう。
「気に入って貰えたなら良かった」
少し低い声が耳を擽った。
振り返ると杖をついたソル様が微笑んでいる。
胸がキュンと音を立てた。夫婦になるのだから敬語は取って話して欲しいとお願いしたのだが、やっぱりソル様は自然体の話し方が一番素敵。少し痩けた頬に頬擦りしたい気持ちをぐっと堪える。
危ない、わたくしでなければ耐えられなかったわ。
「ごめんなさい。本来なら出迎えに僕もいないといけないのに、どうしてもやらなくてはいけない仕事があって」
「謝らないでくださいな。こうして今来ていただいただけで幸せですから」
凄い。わたくしソル様と同じ空気吸ってる。
ニコニコと愛らしく笑ったままのソル様が壁紙に目を遣る。
「壁紙だけどね、女性が気に入るデザインが分からなかったから、ユーテリル侯爵に聞いてみたんだ」
「ソル様がしてくださったのですか?」
「うん。妹のアグネスはこういうのを決めるのが苦手だって言うし。……あ、でも勿論フロレンティアの好きなようにして良いからね」
名前を呼んで貰えた。嬉しい!
「いいえ! さすがソル様、とっても素敵ですわ。わたくし緑色の中でも萌黄色が一番好きですの! わたくしの好みを熟知してくれている方がわたくしの旦那様になる人だなんて、嬉しいです」
「良かった」
いつの間にかリウィアは下がっていて、部屋で二人になる。
ソル様は立っているのも辛いと思ったからソファに座ることを勧め、二人で腰掛けた。さり気なく腕に手を回すとソル様の頬が赤らむ。
彼が頬を指でかく。
「フロレンティア様の瞳の色が素敵な萌黄色で、その色にしてもらったんです」
「まあ」
好き好き好き好き好き、好き!
わたくしの瞳の色を想って選んでくれたなんて、幸せで令嬢としての笑みが崩れてしまう。
「ソル様。ずっと先の未来でも、一緒に生きましょうね」
骨張った肩に体を預ければ、ソル様の固い声が降ってきた。
「――それは、無理だと思う」
「何故ですか?」
「僕は病気でこんなナリだし、それに――もう空がこんなに薄暗くなっている」
灰色の空。この空が闇に落ちた時魔王が現れると言われている。乙女ゲームでも見た景色。
ソル様の心配はもっともだろう。
「ソル様。萌黄色の壁紙に陽の光が当たったら、それはそれは綺麗でしょうね」
「確かにね。けど急になんでそんなこと」
「わたくしは諦める気はないです。病気も、魔王も。だってソル様とずっと一緒にいたいから」
乙女ゲームを思い出す。
大丈夫、出来ることは沢山ある。
「わたくしに全てお任せください」
ソル様とのイチャラブ生活の為にも!
◇◇◇
三日後。リウィアに取り寄せて貰った物が届いた。木箱いっぱいに入った黒の石を木のトングで持つ。そんなわたくしをリウィアは不可解そうな目で見つめた。
「奥様、言われた通り持ってきて貰いましたが、この石を何に使うのですか?」
「ソル様の病気の治療の為よ」
リウィアの顔がさっと青くなる。
「いけません奥様。この石には呪の力があり、持っているだけで体調を崩してしまいます!」
「いいえ大丈夫よ」
この石はリウィアの言う通り、確かに持つだけでも体調を崩す。
しかしだからこそ魔力過多症のソル様の治療に使えるのだ。
この世界では魔法はまだ神秘の領域にある。魔力が体の中で異常に生産される魔力過多症という病名はあるみたいだが、ソル様を診た医者は魔法に疎かったのだろう。この病名にまで辿り着けなかった。
そして魔力過多症にはこの石を使うということは誰も気づかなかったようだ。乙女ゲームでも、ヒロインの偶然によってこの治療法は発見されていたくらいだから。
「この石は魔力を吸い取るの。だから体調不良を起こす。けれどその魔力が多すぎる人には有効な手立てとなる筈だわ」
ソル様が魔力過多症なことは外伝で明かされていたから間違いない。
リウィアは話が掴めないのか首を傾けている。
わたくしは小さな麻袋に石を入れ、ソル様の下へ向かった。
辿り着いた執務室からはソル様ともう一人誰かの声がする。アグネス様と話しているようだった。
「お兄様、あんなに素敵な方がお嫁さんに来てくださって良かったですね」
「うん。僕には勿体ないくらいの人だよ。アグネスが勧めてくれたお陰だ」
わたくしの話をしていたらしい。
いつ入ろうかウロウロしている間にも、二人は談義に花を咲かせている。
「お兄様はお姉様のこと、好きですか」
心臓が跳ねた。
「……好きだよ」
言葉の破壊力が凄まじい。声を上げないように注意しながらも悶えてしまう。
「お熱いようで良かったですわ。じゃ、私はお茶会があるからまたねお兄様」
「いってらっしゃいアグネス」
出てきたアグネス様と鉢合わせする。
ソル様と同じ輝くような銀髪に紫水晶の瞳を持つ彼女は乙女ゲームのスチルと寸分変わらない美しさを持っていた。
服装も乙女ゲームの設定資料集に載っていたドレスと一緒で思わず見入ってしまう。
「まあごめんなさいお姉様。お兄様との時間を奪ってしまいました……」
「気にしないでください。わたくしはこれを渡したかっただけですから」
「それはなんですの?」
きょとりと目を瞬かせるアグネス様にわたくしは言葉を濁して「病気が良くなるおまじないです」とだけ言った。
「……病気が良くなるおまじない」
「どうかなさいましたか?」
「いいえ、なんでもありません」
一瞬彼女の顔から表情が消えた様であったが、もういつもの笑顔に戻っていた。気の所為だと思うことにして、侍女と共に歩くアグネス様の背を見送る。
「取り敢えず今はソル様よ」
ノックしてから入れば、ソル様は書類を捌いていた。
「お時間少しだけ頂いても宜しいですか?」
「勿論だよ。フロレンティアが手伝ってくれるお陰で、少し余裕も出来てきたんだ」
「それなら良かったですわ」
侍女に紅茶を二人分用意してもらい、ソル様が一息ついた所でわたくしは麻袋に入れた石を差し出した。
「これを肌身離さず持っていてください。他の人には触らせないでくださいね」
「これは……?」
「ソル様の病気の治療に役立つものです」
わたくしの言葉に、弾かれたように彼が顔を上げた。
「そんな、まさか……」
「嘘ではありませんわ。中に入れてある石を定期的に替えれば、日常生活を送るのに支障が出ることはありません」
この石は魔力を吸い取るため、魔力を内に秘める魔石と違って価値が限りなく低い。沢山採れ安く手に入る為、永続的にこの治療方は使えるだろう。
まだ信じられないのか麻袋を呆然と握りしめるソル様をそっと抱きしめる。
――約二ヶ月後にソル様が毒殺されるとも今のわたくしは思わず、ただ幸福に微睡んだ。