№10 ドライブのお誘い
いちじくちゃんが指摘してくれたおかげで、可能性の幅が随分と広がった。
殺害時間は昼まではなく、夜から朝にかけて。いちじくちゃんが0時に先輩から腕時計をプレゼントされたと言っていたから、おそらくはそのあとだろう。
日付が変わって、いちじくちゃんが起きてくるまで。
それまでに、すべてにケリをつけたのだ、奥さんは。
眠っている海斗先輩を刺殺し、死体をどこかに棄てて、着替えを済ませ、何事もなかったかのようにいちじくちゃんを朝食で迎える。
これだけのことをひと晩でやってのけるとは、奥さんも相当タフな人物だ。
……ともかく、これで『どうやって』死体を運び出したかがわかった。
夜の間ならひと目もないし、朝が明けるまでとはいえ時間はある。ある程度時間をかければ、女手ひとりでもニンゲンの死体を遠くに運ぶことはできるだろう。
そうなると、担いでどこかに捨てに行く必要性はなくなる。車を使ったと考えるのが自然だ。
助手席に夫の死体を乗せ、深夜のドライブ。
……なんて、悪趣味なことを考えてしまったのは、小生が悪い。
問題は、『どこに』棄てに行ったかだ。
そればかりは、皆目見当がつかない。
小生が知っているのはあくまでも海斗先輩のことであって、奥さんやいちじくちゃんのことはよく知らない。
知らない人物が先輩の死体をどこに棄てに行ったかなんて、想像しろというほうが難しいのだ。
もしかしたら、手がかりは車にあるかもしれない。
「……いちじくちゃん」
「ドライブ、行くんでしょ?」
またしても内心を言い当てられて、小生はみっともなく目を白黒させてしまった。
……この子は、他人の考えていることを追いかける、ある種の天才なのかもしれない。
しかし、それは『顔色をうかがうこと』とイコールではない。
空気といっしょで、あえて読まないこともできる。
他人がなにを考えていようとも、いちじくちゃんの中には確固とした軸が存在している。だから、考えが読めたとしてもそれに合わせて自分を変えるなんてことはしない。
幼さゆえの柔軟性のなさと言えるかもしれないし、芯の強さ、我の強さとも言えるかもしれない。
どちらにせよ、いちじくちゃんの前ではだれも隠し事ができないのだ。
「車の鍵はどこにあるか知ってる?」
もう隠し立てすることをあきらめた小生は、素直にいちじくちゃんに聞いてみた。
するといちじくちゃんは、部屋にあったくまさんポシェットを取ってきて、肩にかけると、
「あっち」
玄関の方を指さして、小生を先導した。
靴箱の上に置いてあった車のキーをひっつかんで便所サンダルに足をひっかけると、いちじくちゃんに続いて外に出る。
久しぶりに、血のにおいがしない空気が吸えた。ついでにタバコも吸いたい。カーシェアは基本的に禁煙だろうから、ここで一服しておこう。
玄関先でポケットからタバコを取り出し、火をつける。壁にもたれかかりながら煙を吐き出すと、一気に思考がクリアになった。
しかし、近くからひどいせきが聞こえてきたので、思わず目を見開いてしまう。
見れば、いちじくちゃんが胸を押さえて激しく咳き込んでいた。
「どうしたの!?」
近寄ろうとすると、ものすごい目でにらまれた。
「……それ、たばこ」
げほげほと息を乱して涙目になりながら、いちじくちゃんは前世の仇のようにタバコの火を見やる。
「……わたし、ぜんそくだから……それ、きらい」
「ああ、ごめん! 知らなくて! すぐに消すから、ごめんね!」
慌ててタバコを踏み消して、煙をあおって散らす。
いちじくちゃんはしばらくの間咳を続けていたけど、やがてそれも収まってきた。
ぐじぐじと涙目を拭って、いちじくちゃんがこぼす。
「……わるいおとな」
「ごめんってば」
拝み倒すように謝って、やっといちじくちゃんは機嫌を直してくれた。
それにしても、案外からだが弱い子だったんだな、いちじくちゃんは。先輩からはなにも聞いていなかったけど、どうやら生まれつきの喘息持ちらしい。
それで溜飲が下がったのか、気を取り直したいちじくちゃんは颯爽と小生の腕を引いて、
「こっちに車ある」
マンションの裏手の駐車場へと案内してくれた。
カーシェアのブースには、二台の車が停まっている。このどちらかを使ったのだろう。最初の二択だ。
「……これは、とても簡単」
そうつぶやいて、いちじくちゃんはタイヤのあたりにしゃがみ込んで指先で触れた。
「雨が降ってたのは、今朝少しの間だけ。ママが傘持っていくか聞いてきたから、いらないって言った。だから、夜の間は降ってない。こっちの車はタイヤが濡れてるから、雨が降ったあとの水たまりを踏んだ。だから、タイヤが乾いてるこっちが正解だと思う」
……つくづく、とんでもなく理詰めでものごとを考える子だ。
この歳にして、独自のロジックで行動している。
大人でもなかなかできるひとはいないというのに。
いちじくちゃんの意見には、小生も賛同した。
「そうだね、昨日の夜は雨が降ってなかった。乾いた道路を走ってそのままなら、タイヤは濡れていなくて正解。だから、こっちはハズレだ」
立ち上がったいちじくちゃんといっしょに、もう一台の車の方へ向かう。カーシェアのシステムがよくわからないけど、たぶん看板に書いてあるコードを読み込めばなんとかなるだろう。
……というわけで、小生たちは無事車に乗り込むことができた。
シートには案の定、大量の血が染み込んでいて、昨日の夜からひとが乗っていたらきっと大騒ぎになっていただろう。いちじくちゃんの二択推理は大正解だった。
父親の血液がべったり残っている助手席にいちじくちゃんを座らせるのは気が引けたけど、当の本人がなにを気にするでもなく当然のように座ってしまったので、気を使うに使えない。
まずは車のエンジンをかけて、オドメーターをチェックする。カーシェアの車は毎回リセットされているのだろうか、まんまと前回の走行距離が表示された。
ここからそう遠くない距離を往復している。当然ながら、いちじくちゃんが起き出してくるまでというタイムリミットがあるので、そんなに遠方まで出かけている暇はなかったのだろう。
「……そこ、レシート挟まってる」
いちじくちゃんは、またしても細かいところに気づいた。シートの隙間には、真新しい紙切れが引っかかっている。
拾い上げて見てみると、それはガソリンスタンドのレシートだった。カーシェアはレンタカーと同じく、ガソリンが満タンの状態で返さなくてはならない。
ということは、死体を棄てに行った帰り道に寄ったガソリンスタンドがあるはず。深夜のセルフスタンドならほぼひとがいないだろうから、なんの問題もない。
レシートに打刻されているのは、夜明け前の時間だった。
そして、場所は……
「……それ、駅前のガソリンスタンド」
横から覗き込んできたいちじくちゃんが口にする。たしかに、レシートに記されているのは駅前店のガソリンスタンドの名前だ。
この車は、駅方面へ向かったらしい。それがわかっただけでも大収穫だ。
……大収穫といえど、他になにもないからこその大収穫なわけだけど。
「……とりあえず、向かってみようか」
「おじさん、車の免許ある?」
「ない。無免。おまわりさんに見つからないように気をつけよう」
堂々と無免許運転を宣言しておいて、小生は車のハンドルを握る。運転の仕方は、他ならぬ海斗先輩が教えてくれた『悪い遊び』の中の必修科目だったので、よく知っている。さいわいにもオートマ車だし。
警察に目をつけられたらややこしいことになるから、慎重に車を発進させた。スピードは出さないように、交通法規を守って、安全運転だ。
律儀にもシートベルトを装着したいちじくちゃんは、助手席で足をぶらぶらさせながら、窓枠に肘をついて車窓をながめている。こっちには見向きもしない。
……こんなので、なにかわかるのだろうか。
多大なる不安を抱えながら、小生はとりあえず、最後に給油をした駅前のガソリンスタンドへと車を走らせるのだった。




