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№8 鏡よ鏡

 さて、どうしたものか。


 万策尽きたとはこのことで、小生としては今すぐホールドアップしたい気分だった。


 しかし、海斗先輩の死体を行方知れずのままにしておくわけにもいかない。なにより、いちじくちゃんが不憫すぎる。


 ……にしても、突破口がない。


 死体をばらばらにしたという考えはもう捨てた。いちじくちゃんが『それはない』と断言したから。


 だとしたら、他にあるはずだ。死体をこのマンションからひと知れず運び出す方法が。


「……おじさん」


「お兄さんね。なにか思いついたの、いちじくちゃん?」


 ベッドに腰かけて小生の方をじっと見ているいちじくちゃんに視線を返し、尋ねる。


 すると、いちじくちゃんはいきなり、


「質問して」


「しつもん?」


 よくわからないことを言い出した。ここでいちじくちゃんに対して、なんのインタビューをすればいいというんだろう?


 要求の意図をはかれないままでいると、いちじくちゃんは凡人の小生にもわかるように噛み砕いて説明してくれた。


「たくさん質問して、わたしが答える。関係ない質問でもいい。もしかしたら、出てきた答えが関係あるかもしれない。なにもわからないと思ってるだけで、こころの底ではなにかわかってるのかもしれない。けど、わたし自身じゃそれはわからない。だから、おじさんが質問してわたしが答える」


 ……なるほど。潜在意識にアクセスする、一種のブレインストーミングというわけか。


 ひとりで考えるには限界がある。他者からの問いかけによって呼び覚まされるものはあるはずだ。共同作業でしか手に入らない真実が。


 いわば、小生はいちじくちゃんの鏡になるのだ。覗き込めば左右対称の自分の姿がくっきりと浮かび上がる、磨き上げられた鏡面。


 ひとは、鏡がなくては自分の姿を視認することができない。


 『モンスター』は、みずからの深淵を覗き込もうとしている。


 小生は、それに協力しなくてはならないらしい。


「……承知したよ」


 現実問題、今のところこれしか解決の糸口はないのだから、うなずかざるを得ない。


 小生がそう答えると、いちじくちゃんは足をぶらぶらさせる動きを止めて、スカートのままベッドの上であぐらをかいた。ぱんつが丸見えだ。


「じゃあ、始めよう。できるだけなんでもたくさん質問して」


 つまりは、質問を止めることなく矢継ぎ早に問いかけろということか。考えるひまもなく、ただ思い浮かんだことを次々と。


 本当に、深層意識に呼びかけようとしている。


 こんなこと、たった十年しか生きていない女の子が考えつくものなのか。


「はやく」


 いちじくちゃんに急かされて、小生は慌てて最初の質問をした。


「ええと、パパとママは仲が悪かったのかい?」


「ふつう。別に仲良しでもケンカしてるんでもなかった。わたしが知らなかっただけかもしれないけど、ふつうにいっしょにご飯食べて、いっしょに眠って、朝はおはようって言ってた。出かけるときはいってきますのハグしてた」


 それだと、殺害の動機が見当たらなくなってしまう。世間的にはごく普通の夫婦が、一方を殺す理由が消える。


 そもそも、なんで奥さんは海斗先輩を殺したんだ?


「次」


「ああ……そうだな、今日はいちじくちゃんの誕生日だよね? なにかお祝いをするつもりだったのかな?」


「ママはレモンケーキ作ってくれるって言ってた。わたしが好きなやつ。けど、作ってくれてなかった。パパは昨日、夜の12時になったときに、腕時計プレゼントしてくれた。これ」


 いちじくちゃんが差し出した左の手首では、大きすぎて引っかかっているだけの腕時計が時を刻んでいた。きっと、大人になっても使えるようにと子供用は選ばなかったのだろう。


 いつまでも、この時間が続きますように。


 いつかは、この時間が終わってしまうよ。


 その両方の想いを込めて。


 ただ、今を一生懸命に生きろと、海斗先輩ならそういうメッセージを託していそうだ。


「次」


「ええとええと、今朝は家族でどんな話をしたんだい?」


「パパはねぼすけだから、わたしが学校に行く時間はいつも寝てた。だから、今朝もわたしとママだけ。パンとベーコンエッグ食べながら、今日は何時くらいに帰ってくるのかとか、10歳になったから記念にどこか旅行に行こうかとか、エアコン壊れちゃう前に冬が終わりそうだから良かったとか」


 海斗先輩は、これから殺されることを知らないまま、覚めることのない眠りの中にいた。前日にプレゼントを渡せたことだけが救いだ。何時くらいに帰ってくるかというのは、きっと首を吊るタイミングを……


「次」


「わかってるよ! ええと、あんまり旅行とかは行かないおうちだったのかな? 今までどこか行ったことある?」


「わたしが生まれてからは、行ったことない。一番遠くに行ったのは、死んだパパのお母さん、おばあちゃんのお墓参りに隣の県まで電車で行ったくらい。そのときに初めてひと晩だけお泊まりした……次」


「ああ、うーん、家電って壊れるときは一斉に壊れるよね。エアコン調子悪かったみたいだけど、他は大丈夫だった?」


「うん。冷蔵庫もずっと使ってて壊れないし、レンジも大丈夫だし、家の中で壊れてるところはなかった。電化製品だけじゃなくて、家具とかも特になにもない……次」


「ええとあの、あれだ、今朝のご飯はベーコンエッグだったね、他にはなに食べたか覚えてるかい?」


「覚えてる。パン焼いたやつと、ベーコンエッグと、りんご。ママは今日はうさぎさんのりんごしてくれなかったから、そのままかじった。おいしかった。あと牛乳飲まないと背が伸びないって言われてたから、いやだけど飲んだ……次」


「えっとね、えっと……いちじくちゃんは家のことお手伝いとかしてたの?」


「してたよ。お料理はまだ危ないからってさせてもらえなかったけど、テーブルふいたり、自分の部屋掃除したり、お洗濯物たたんだり。今朝はテーブルふいて、けどお洗濯物はいいよって言われたからたたまなかった……次」


「そうだな、うーん……ママはいちじくちゃんのこと、『かわいそう』って言ってたみたいだけど、ちゃんとかわいがってもらってたかい?」


 聞いてから、しまった、と顔をしかめる。


 首を吊って死んだ母親は、君を愛していたかい?


 ……そんな質問、あまりに残酷すぎるだろう。


 しかし、いちじくちゃんは深く考え込んだ。目をつむって、あぐらをかいたまま迷走するように思いを巡らせ、ママについての記憶を探る。


 それから目をぱちりと開くと、いちじくちゃんははっきりとした言葉で断言した。


「うん。ママはね、わたしとは違って『ふつう』だった。きっとわたしは、気味の悪い怪物だと思われてた。でもね、ママはそれでも、わたしのことちゃんと認めてくれてた。わからなくても、そこにいていいよって。意味不明だけど、それも含めて全部許してくれてた。だから、私とママとパパは家族だった」


 ……奥さんには、いちじくちゃんのことが理解できなかった。なにせ、『呪い』を継承してしまった子供だ。同じ『呪い』に関わっている小生だって断片的にしかわからないのに、関係のない奥さんには『かわいそう』だとしか言えない。


 しかし、理解できないなりに存在を認めてくれていた。


 わからない、けど、許す。


 そんなの、母親でもない限りできやしないことだ。


 忌避と慈愛。


 恐怖と母性。


 その真っ只中に立たされて、それでも奥さんは『母親』であることを選ぶことができた。


 ……前言撤回しよう。


 奥さんは、無責任な母親失格なんかじゃなかった。


 ちゃんと正しくひとを愛せる、『ふつう』の母親だった。いちじくちゃんの母親は、絶対にあのひとでなくてはならなかった。


 だから、海斗先輩も奥さんを選んだのだろう。


「……この辺で終わりにしない?」


 息を切らせた小生が提案すると、いちじくちゃんはちょっと不満げな顔をしてから、


「……まだちょっと足りないけど、だいたいわかった。だから、いいよ」


 ……やっと解放された。


 がっくりと肩を落としながらも、正直とても興味深かった。


 さっきの意味の取れない質問から、いちじくちゃんはどんな理解を得たのか。


 『モンスター』が覗き込んだ自己の深淵からは、どんな真実が見えたのか。


 ……小生には考えもつかないな。


 しかし、根性なしの小生には、説明してほしいと視線で訴えかけることしかできないのだった。

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― 新着の感想 ―
今回は今までと違って本当にわからない。 無花果ちゃんには何が見えたのだろう。。。
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