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№6 ルームツアー

 そして、海斗先輩のマンションで、最初の死体探しがおこなわれた。


 いちじくちゃんに先導してもらって、小生はまずバスルームへと向かう。


 薄暗い脱衣所の電気をつけると、かすかに血のにおいがした。もしかしたら、浴室が殺害現場なのかもしれない。


 脱衣所の先の浴室に踏み入ったけど、そこには血の一滴も落ちていなかった。よく掃除の行き届いた清潔なバスルームだ。


 ここで殺害したわけではないらしい。じゃあ、血のにおいはどこからしたんだ?


「……これ」


 背後のいちじくちゃんが指をさしたのは、ドラム式の洗濯機だった。ぴったりと蓋が閉じてあるけど、たしかにここからにおってきている。


 洗濯機の蓋を開くと、そこには洗濯物が溜まっていた。


 ……正確には、血まみれのワンピースが。


 たぶん、返り血なのだろう。かぴかぴに乾いた赤黒い血が染み込んだ、どこにでもありそうな黒のフードワンピースだ。


 漂っていた鉄錆くささはここからだった。


 取り出して広げてみると、前側にべったりと血が飛び散っている。


 これだけの出血量ということは、刺殺だろうか。絞殺や撲殺ではこんなに血は出ないし、少なくとも毒殺では返り血は浴びない。


 しかし、これも偽装工作の可能性があることも考慮のうちに入れておかなければならない。


 これで、バスルームは一通り見終わった。


「……次、案内してくれるかい?」


 小生が言うと、いちじくちゃんがこくりとうなずく。


 バスルームを後にした小生たちは、今度は夫婦の寝室へと向かった。


 ドアを開いた途端、むせ返るような生臭さが鼻腔を突き刺す。


 並んでふたつ置かれたシングルベッドの片方は、血の海だった。もう乾ききってはいるけど、白い寝具は赤で染められている。カーテンにまで血飛沫が散っていた。


 そして、ベッドの上には出刃包丁が転がっている。


 ただし、肝心の死体は忽然と消えていた。


 ……間違いなく、ここが殺害現場だ。


 こんなにも殺害現場らしい殺害現場が他にあってたまるか。


 しかし、いささかわかりやすすぎやしないだろうか。


 なんだか、『これでござい』とご開帳されているような気分になるのは小生だけだろうか。


 不安になった小生は、ついいちじくちゃんの意見を求めてしまう。


「……ここかな?」


 言葉少なに問いかけると、いちじくちゃんはなんの躊躇もなく血まみれのベッドに乗り上げて、丁度枕のすぐ下あたりを指さして言った。


「……ここ。ちょっと裂けてる」


 言われてみれば、シーツとその下のマットレスには、わずかな裂け目が見て取れた。血痕もそこから広がっている。


 寝ているところを、首の真ん中を刺し貫いた。貫通した包丁の刃先が、シーツを裂いた。


 そう考えるのが自然だ。


 これが偽装工作なら、果たしてここまで綿密に気配りをするだろうか?


 小生がいなければ、この殺害現場を見るのは小学生の女の子と警察くらいのものだ。お役所仕事の警察は、そこまで細かく見ることはないだろう。


 あとはいちじくちゃんの目を欺けばいいだけだ。まさか小学生女児がこんなところに気づくとは思うまい。小生が発見することだって予想外だったはず。


 ……ということは、偽装工作の線はかなり薄くなってくる。これは単純に考えていい事件なのかもしれない。


 奥さんは、眠っている海斗先輩の喉笛を、出刃包丁で刺した。大量出血をして、気管も脊髄も貫かれた先輩は、おそらく即死だっただろう。


 血まみれになった部屋をそのままにして、奥さんは返り血を浴びたワンピースを処分した。凶器は放り出したままだ。


 着替えた奥さんは、いちじくちゃんに宛てた遺書を書き、そしてそのまま首を吊って死亡した。


 そして、帰ってきたいちじくちゃんがその死体を発見して、小生に電話をかけてきた。


 携帯があるのも当たり前だ。このマンションで殺害したのだから、それくらいは自由に持ち去れる。


 ……問題は、ある。


 この時系列で、正解なのかどうか。


 殺害、死体遺棄、遺書、自殺、発見。


 すべてはいちじくちゃんがいない間におこなわれた。でないと、話が通らない。


 ということは、殺害時刻は朝から昼にかけてだ。いちじくちゃんが帰ってくる直前ということはないだろう。それにしては血が乾ききっているから。


 そうなると、死体の行先も限定されてくる。


 まさか、真昼間に死体を担いで街を歩くわけにはいかない。海斗先輩の家はカーシェアをしているという話だったけれど、それだって死体を乗せて走っていたらひと目に止まる。


 だとしたら、死体はまだ近くにあるはずだ。行けてゴミ捨て場だろう。昼日中のひと目につかない範囲に、必ず死体はある。


 ……案外、呆気なく見つかりそうだ。


 他の部屋に死体があるのかもしれない。


「……他、探そうか」


 小生がうながすと、いちじくちゃんは小さくうなずいて寝室を出ていった。


 それに続いて、今度は子供部屋へと向かう。


 部屋の主であるいちじくちゃんが扉を開くと、そこはいかにも小学生女児の居室だった。小さなベッドと勉強机、漫画の並んだ本棚。花柄のカーテンは閉じている。


 壁にはずらっと描いた絵が貼られていた。どれもこれも、『お絵描き』レベルではない、充分に芸術作品として通用するようなシロモノだ。


 やっぱり、いちじくちゃんはただものではないらしい。勉強机に敷かれている変身ヒロインアニメのシートにだまされてはいけない。


「……ないね」


 だが、ここに死体はなかった。


 海斗先輩は、どこにも転がっていない。


 ……さすがに、娘の部屋に父親の死体を捨てるほど、奥さんも人間性を捨てていたわけではないらしい。


 いちじくちゃんは、ぽすり、とベッドに腰掛けると、


「……ここになかったら、あとはおトイレだけ。リビングは台所から見えるから」


 リビングダイニングというやつだ。たしかに、キッチンとダイニング、リビングは繋がっていて、さっき見たときには死体なんてなかった。


 ……一応、トイレも見ておくか。


 立ち上がったいちじくちゃんに導かれて、小生は最後の一室であるトイレへと向かった。


 個室の扉を開くと、死体が出てくる……わけもなく、そこも掃除の行き届いた清潔な便器しかなかった。


 ……おかしい。


 死体は、一体どこへ消えた?


 万が一、ゴミ捨て場まで捨てに行ったにしても、今ごろはだれかに発見されているだろう。そうなると、すでに警察に通報されて然るべきだ。


 騒ぎになっていないということは、ゴミ捨て場という可能性は低い。


 だったら、死体はどこへ行ったのだろう?


 このマンションには見当たらなかった。


 ひと目を避けてどこかへ運んだ?


 真昼間、死体を担いで目立たないなんてことがあるのだろうか?


 車を使うにしても、死体なんて乗せていたらだれかが目に止めるだろう。


 だとしたら、なにか死体に手を加えたのか?


 目立たないように、死体と気づかれないように。


 酔っぱらいを介抱している風を装ったのかもしれない。昼間から飲んで潰れた亭主を家まで運ぶ妻を装って……


 いや、それにしたって、酔っぱらいと死体の違いぐらいだれでもわかるだろう。死体の血を洗い流した痕跡は、浴室になかった。ということは、どこかへ運んでいる最中も、死体は血まみれだった。


 そんなもの担いでいたら、どうしたってひと目につく。どこかへ運ぶことは不可能だ。


 ……けど、このマンションのどこにも死体はなかった。


 おかしい。


 この一件、一筋縄ではいかないらしい。


 奥さんは、どうやってひと目のある昼間のマンションから死体を消したのか?


 大いなる矛盾を目の当たりにして、小生はしばらくの間、トイレの個室にうずくまって眉間を揉むのだった。

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― 新着の感想 ―
ふむ。 でも無花果さんはこの頃から推理も鋭いんだね。
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