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№20 獣性の勝利

 今回、あの田舎女は写真なんて要らないと言うだろうけど、とりあえず撮ったものは整理してキャビネットにしまっておいた。


 今まで依頼人が犯人だったりもう必要がなくなったりしたことはあるけど、今度みたいなケースは初めてだ。


 おそらく無花果さんたちはそういうニンゲンも見てきただろうけど、初遭遇した僕からしてみればなんともモヤモヤの残る結末となった。


 帰り支度をして、まだ残っている所長たちに挨拶をして事務所を出る。


 外はすっかり秋を通り越して冬の到来を予感させる風が吹いていて、僕は半袖でやって来なかった自分を密かに褒めてやった。


 この分だと、そろそろジャケットも出さないといけない。衣替えのシーズンだ。当然のように時は進み、季節は変わっていく。


 そういえば、僕もそろそろひとつ歳をとるんだった。誕生日が間近に来ているけど、無花果さんたちに知られてはまた面倒くさいことになりそうだったので、僕から主張することはないだろう。


 涼しいどころかもはや肌寒い空気に身を晒しながら、つい一週間前まで夏日だったことを思い出す。北海道に行っていて体感温度がバグっていたけど、こっちでは先日まで三十度を超えていたのだ。


 つくづく、令和の気候はおかしなことだらけだ。


 今年も大雪なんかにならなければいいんだけど。


 大きくざわめく風を切り、僕は自宅までの道のりを歩き始めた。


 同じ空の下で、『本体』も季節の変わり目を思っているのだろうか。だれとも知れぬ『アンノウン』として。


 たとえば、僕だったら死んでもカメラは手放さないだろう。『たましい』の『死』は『いのち』の終わりと同義だ。『たましい』をなくしてまで生きていたいとは思わない。


 つまり、写真が撮れなくなったそのときには『死』を選ぶということだけど、無花果さんはどうなんだろう?


 もしも、『死体装飾家』として死んでしまったら、同じくニンゲンとしての無花果さんも死んでしまうのだろうか。


 ……たぶん、ごく当たり前のように死ぬのだろう。


 少なくとも、死にたいとは思うに違いない。


 僕たち『モンスター』は、『アンノウン』のようにアイデンティティを、『表現』を捨ててまで生きてはいられない。


 けど、もしそのときが来ても、僕は簡単には無花果さんを死なせないだろう。


 自分のことは棚に上げて、『生きろ』と言うだろう。


 とても冷酷なことだけど。


 ニンゲン・春原無花果に、生きていてほしいと思う。


 『死体装飾家』でなくなったとしても、無花果さんというニンゲンはそこにいて、息をしている。


 それはまさしく『いのち』であり、それ自体が奇跡のようなものなのだから。


 そう考えると、もしかしたらアイデンティティなんてものは余分な装飾なのかもしれない。『いのち』を飾りつけるための手段でしかない。


 今回、無花果さんは『パーツ』に関してほぼ装飾を施さなかった。それは、ごてごてと飾り付けるにはあまりにも鮮烈な『いのち』だったからだ。


 自己同一性を手放した、むき出しの『いのち』。そこには一切の装飾は不必要で、逆に邪魔になってしまう。


 ただ生きることに特化した、動物としてのニンゲン。


 アイデンティティを手放すということは、ひどくおそろしいことだ。自分が自分でなくなってしまうのだから、それこそ生きていく意味なんてどこにも見当たらなくなってしまう。


 『本体』は、そんな生きる意味さえ、理由さえかなぐり捨てて、ただ単純にいのちを繋ぐことだけを考えた。


 それは動物としてはとても自然な選択だけど、ニンゲンとしては決死の覚悟が必要だ。


 そう思うと、『本体』はえらく思い切ったことをしたものだ。『いのち』に意味や理由なんて必要ない、ただその輝きを享受せよと体現して見せたのだから。


 丸裸になった『いのち』は、きっとものすごく傷つきやすい。治るのにも時間がかかる。


 取りすがる杖がないのだから、歩くのだって困難なはずだ。


 それでも、『本体』はニンゲンとしての生身の両足で地面を踏みしめて歩くことを決めた。


 もう、『モンスター』としての素養はどこにも残っていない。ただのごく普通の、取り立てて特筆すべきところのない、没個性的な男がいるだけだ。


 しかし、そんな男だってたしかに生きている。そこにはなんの価値もないのかもしれないけど、とりあえずは死なないでいる。


 『死』とは、人生という物語の終わりそのものだ。


 だからこそ、僕たちは死に様を生き様として『作品』にしている。結局のところ、エンドマークに名前をつけているだけなのだ。


 ゆえに、無花果さんは『本体』を装飾しなかった。


 ただ、右腕に宿った『たましい』を昇華した。


 その『たましい』そのものが、エロ漫画家としての『本体』の死に様なのだから、余計な装飾は一切必要ない。ただシンプルに、ありのままの『死』を完成させたのだ。


 このエンドマークには、もう名前がつけられていた。


 『アンノウン』として生きていく、『決別』という名前が。


 本来、『たましい』と『いのち』は不可分なもののはずだが、『本体』は見事にそれを切り離して見せた。


 きっと、みずからの手で腕をねじ切るなんて、想像を絶する痛みだったに違いない。そして、自分のアイデンティティたるエロ漫画家の『たましい』を置いていくなんて、余程のことがない限りできやしない。


 そこまでしてでも、『本体』は生きたいと願った。


 まさに、『いのち』の、獣性の勝利だ。


 『たましい』を捨て去った瞬間に、『いのち』はまばゆいばかりの輝きを見せた。猛り狂い、飛び出していった。


 もう意味も理由も必要ない。


 ただ、生命そのものを意味に、理由にして、支えもなく歩いていかなければならない。


 そのために、『本体』は足ではなく腕を選んでねじ切ったのだから。


 きっと、僕たちみたいな『モンスター』には、そんなことできっこない。


 『たましい』の『死』と同時に、『いのち』もまた朽ち果てるのだろう。


 それは僕も無花果さんも、三笠木さんも所長も小鳥くんも同じだ。


 『たましい』が死なないように、『いのち』を繋ぐために、あの『庭』にいて役割を果たしている。


 ただのケモノにはなり得ない、『かわいそう』な『モンスター』たち。


 ニンゲンにもなりきれない、半端者の集まり。


 それゆえに、僕たちは傷を舐め合うようにして同じ場所に帰っていく。あのぬくもりにあふれた『庭』の柵の中でしか生きていけないのだ。


 ……涙が出そうなくらい、滑稽だった。


 肉体に宿っている以上、『たましい』にだって終わりは来る。無花果さんが『創作活動』をすることができなくなる日だって来るはずだ。


 そんなとき、僕はきちんとニンゲンとしての無花果さんを留めておくことができるだろうか。


 『いのち』だけの存在として生きていくことを、納得させられるだろうか。


 ……たぶん、できないんだろうな。


 そのための努力はするし、言葉も尽くすだろうけど、最終的には無花果さんはニンゲンとしても死ぬことを選ぶに違いない。


 僕は、無力だ。


 『相棒』であったとしても、無花果さんを止められないんだから。


 ……少し、考えすぎた。歩くのが遅れている。このまま冷たすぎる秋風に当たっていては風邪をひいてしまうだろう。


 途中のコンビニで、そろそろ始まっている肉まんでも買って帰ろう。


 おなかがいっぱいになれば、きっとこのかなしい気分もどうにかなるはずだ。


 夜食に味噌ラーメンでも買っていこうか。


 北海道旅行のことを思い出すと、少しだけ気が楽になった。


 そして、僕は風に吹かれながら、誘蛾灯に吸い寄せられる虫のようにコンビニの明かりに向かっていくのだった。

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