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№19 正しく『与える』こと

 みんなが食べ終えた食器を片付けてから、僕は今回の写真を現像しに暗室に向かった。


 出来上がった写真を抱えて出てくると、無花果さんが待っている。無花果さんは写真を何枚か手に取って眺めて、


「……いい写真だ」


 とだけつぶやいて笑った。


「ありがとうございます」


「『作品』はもう壊れてしまったけれど、これだけの写真に残してもらったんだ、小生に悔いはないよ」


「めちゃくちゃでしたもんね」


「仕方がないさ」


 ただ額縁に入れただけとはいえ、せっかくの『作品』をぶち壊しにされたというのに、無花果さんには怒った様子もかなしむ様子もない。


 本当に、ただの『排泄物』として認識しているようだ。


 よく創作者は自分の作品を我が子のように感じていると言うけど、無花果さんにしてみればただの『排泄』行為の果てにある副産物でしかない。その『排泄物』にひとびとが勝手に名前をつけて、意味を見いだしているだけ。


 プロフェッショナルの思い入れとは、こんなに軽やかなものなのか。


 僕ならば、自分の写真が燃やされたらかなしくなってしまう。そういう点でも、まだまだ未熟なのだろう。


「……そういえば」


「なんだい、まひろくん?」


 ふと思いついて口にしてみると、無花果さんが反応した。


「結局、あの奥さん、全然よろこびもしなかったですね。死んだと思った自分の夫が生きてるっていうのに」


 自分の伴侶が生きているのだ、こんなにうれしいことないだろうに、あの田舎女はただ怒り狂っていた。家族、とさえ言ったのに、ただ受け取ることしか考えていなかった。


 無花果さんは困ったように頭をかきながら、


「それはね、きっと正しく与えていなかったからだよ」


「……正しく?」


「そう。与える側も、受け取る側の器ってやつを計らなきゃいけない。満タンにしてはいけないんだよ。ましてや、あの奥さんの器にはでっかい穴が空いていた。どれだけ注いだって、そこから出ていくだけだ。だから、与えても与えても満ちることはない」


 そんなむなしい徒労みたいに言われると、こっちまでかなしくなってしまう。


 無花果さんはさらに言う。


「そこを見抜けなかったから、『本体』は際限なく与えてしまったのさ。まわりはきっと、そこまでしなくていいのに、なんて思っていただろう。けれど、『本体』は奥さんを満たそうと必死になって与えた。満ちることなんて絶対にないのにね」


「……それで、結局なにもかも与えてしまった、と」


「うん。なにもかも、ね。自分を削ってまで、本当に持っているものすべてを与えてしまった。それでも満ちることはなかった。だから、もう与えるのはやめにして、逃げ出したんだろうね。両極端なんだよ」


 与えることが苦痛になって、その存在ごと消えてしまった。


 なんだか、与えることに取り憑かれていたような気がする。もしかしたら、問題は田舎女だけではなく、『本体』にもあったのかもしれない。


 そんな、身を削ってまで与えるなんて、僕にはとうていできないことだ。献身と言うのも生ぬるい、文字通り人生を捧げてしまった。その結果が、今回の事件だ。


「……正しく与えるって、なんですか?」


 もう一度無花果さんに問うてみると、うーんとうなったあとに、


「受け取る側の器を見極めることはもちろんだけど、与えすぎないことだね。サボテンといっしょさ。水をやりすぎると根が腐る。同じように、与えすぎてしまっては、ニンゲンの性根が腐ってしまうのだよ」


「ほどほどにしろってことですね」


「まあ、そんなところだ。一度満足を得てしまったら、次はもっともっととなってしまう。そういう生き物だからね。だから、腹八分目だよ。器がいっぱいになってしまってはいけない。そこそこ満ちている状態で、減ったら少しだけ与える。その調節ができないと、与える方も潰れる」


 なるほど。


 ただ与えるだけでは、双方ともにいい結果にはならないのか。


 愛とは無条件に与えること、とはよく言うけど、本当はそこに条件を加えないと真の愛は成立しない。


 バカみたいにサボテンに水をあげすぎては、根が腐ってしまうのだ。


 お互いにとって良くない、不健全な関係になってしまう。


「あの奥さんは、もう与えられることに麻痺してしまったんだろうね。与えられる状態が当たり前になってしまったんだ。だから、供給が絶たれるとパニックになってしまう。なんで、どうして、ってね。我々だって、いきなり水道が使えなくなったらびっくりするだろう。それと同じさ」


 当然のように飲んでいる水だって、明日なくなってもおかしくないものなのだ。けど、僕たちはもう蛇口をひねれば無制限に水が出てくる日常に慣れてしまっている。あって当たり前になってしまっている。


 田舎女にとっては、『本体』の献身は水道水のようなものだったのだろう。望めば望んだ分だけ与えられる。それはあって当然のものだと。


 だから、あんな風にカンシャクを起こして暴れたのだ。なぜ、どうして。そんな混乱の中では、唯一残った『パーツ』に怒りをぶつけることしかできない。


 あの田舎女が間違っていたのは大前提として、『本体』の方も間違っていた。


 正しい与え方をしなかったがゆえに、田舎女はあんな浅はかな『化け物』になってしまったのだ。


「……『本体』、逃げきれますかね?」


 ぽつりと言うと、無花果さんはにやりと笑った。


「それは『本体』次第さ。けどまあ、あんな一世一代の大チャンスを掘り当てた穴掘りだ、もう一度か二度くらい奇跡を起こしたっておかしくはない」


「でも、あの奥さんは地の果てまでも探しますよね」


「だろうねえ。けどお金がない様子だったから、探偵には頼まず警察に頼むだろう。警察だって暇じゃない、行方不明者なんて一日に何人も出ている。本腰を入れて探してくれるようなところじゃない。見つかったらラッキー、くらいに考えているだろうさ、連中は」


「じゃあ、奥さんが自力で探すんでしょうか?」


「そうなると思うよ。きっと在来線を使って、日本各地を探し回る。子供を引き連れて、どこにいるとも知れない『本体』を求めてね。しかし、そんなのは藁の山の中で縫い針を探すようなものだよ。なにかの奇跡が起こらない限りは、見つけることは不可能だろうね」


 そうなると、もう『本体』の勝ち逃げは確定したようなものだ。もしかしたら海外にいるかもしれないのだ。この地球上すべてを探して回るよりも先に、田舎女の寿命の方が尽きるだろう。


 あるいは、その執念が薄らいでしまうか。


 なんとなくだけど、田舎女の執着は一過性のものである気がした。カッとなって探してみたものの、一向に見つからない。


 そうなれば、次にすることは、新しく与えてくれるニンゲンを探すことだ。


 あの炭鉱の街から出ることはないだろう。そんなお金も、根性も、覚悟もない。田舎のニンゲンは、田舎から出ていくことを極端におそれる。なにせ、自分の世界のすべてがその田舎なのだから、出ていくということは世界を捨てるに等しいことだ。


 となると、あの街で新しく伴侶を見つけることになるだろう。


 そう簡単には見つからないかもしれないし、案外あっさり再婚してしまうかもしれない。炭鉱は男手の仕事場だ、男なら有り余っている。


 ……今度は、正しく与えてくれる伴侶であればいい。


 そうしたら、なにかの手違いで腐っていたサボテンの根っこがよみがえるかもしれないのだから。


 水をやりすぎた結果ならば、今度は同じ過ちを繰り返さないよう、切に願う。


 と言ったって、あの穴の空いた器にはどれだけ注いでも満ちることはないのだ。


 そう考えると、あの田舎女も少しかわいそうに思えてくる。


 ただのやるせない気持ちが、無花果さんの見解を聞くことで少しだけ変化した。


 どこかほっとした気持ちを抱えながら、僕たちは海鮮丼を食べたり観光名所でポーズをとていたりする写真を持って、所長にも出来た写真を見せに行くのだった。

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