№18 土産話
しばらくすると、いつものとんこつラーメンの出前がやってくる。小鳥くんが手配してくれたものだ。毎度のことながら手際がいい。
出前の代金を払ってどんぶりを受け取ると、僕はデスクやテーブルに配膳をした。
そうしている間に『調律』を済ませた無花果さんが、いつも通り顔を真っ赤にして怒りながら暗室から飛び出してくる。
「……あんの、ド変態が……っ!!」
……三笠木さんは一体なにをしたんだろうか……?
おそらくは三笠木さんなりの愛情表現をしたのだろうけど、たぶん無花果さんにはねじ曲がって伝わっている。
「しかしあなたは何度も絶頂に達しました」
「またエロ漫画Google翻訳みたいに言いやがって! この人工無能が!!」
『なにか』を結んでゴミ箱に投げ捨てた三笠木さんに向かって、無花果さんが吠えた。
「ケガ人だと思って手加減してやったんだよ!!」
「そういった余裕はなかったように見受けられました」
「るっせ!! デカチンのヘタクソほどタチの悪ぃもんはねえよ!!」
「私はあの行為であなたが満足したことに満足しました」
「ああああああああ腹立つうううううううう!!」
だんだんと地団駄を踏む無花果さんを、ちょうどいい頃合に所長がなだめた。
「はいはーい、いちじくちゃーん。大好きなとんこつラーメン食べて機嫌直そうねー」
「わーい! とんこつラーメン! 小生、海鮮丼も味噌ラーメンも好きだけど、やっぱりこの豚くせえスープが一番ホーム感あるでござるよ!」
とんこつラーメンひとつで即座に機嫌が直るあたり、本当にお安いひとだ。とても毎月何億も稼いでいるニンゲンとは思えない。
席に着いたのを見計らって、僕はそれぞれの前にとんこつラーメンのどんぶりを置いた。全員に行き渡ったのを見届けてから、所長が音頭を取る。
「はーい、今回は北海道まで出張、お疲れ様でしたー。ということでー、みなさん手を合わせてー」
『いただきます』
口をそろえて言ったあと一斉に割り箸を割り、僕たちは猛然と麺とスープに挑んだ。
……たしかに、味噌ラーメンもおいしいけど、やっぱりこのジャンクな味わいこそが『帰ってきた』と思わせてくれる。ジャンル的にはおふくろの味と同じようなものか。
小鳥くんはやっぱりまだラーメンが食べられないので、飲料水にほんの少しだけとんこつラーメンのスープを混ぜて飲んでいる。前よりも少し量が増えたかもしれない。
湯気の立つ熱々のラーメンをすすりながら、だれからともなくいつもの口喧嘩が始まった。
「それにしても、やっぱり北海道の味噌ラーメンはおいしかったなあ! 海鮮丼もおいしいし、小生北海道に定期的に通おうかしら!?」
「当然ながら、それは経費では落ちません」
「なんでだよ!? 社会的にはなんでもかんでも経費って言ったら通るもんだろ!?」
「それは税理士としても公認会計士としても許しがたいことです」
「あははー、三笠木くん、やたらたくさん資格持ってるもんんねー。大卒カードをドブに捨てた僕とは大違いだー」
「逆に問いますが、なぜ所長は普通自動車運転免許証すらも持っていないのですか?」
「なんかさー、嫌いなんだよねー、テストとかさー」
「あっ、小生も小生も!」
「小卒が言ってもなんの賛同にもなりませんからね」
「なんだい! 小卒をバカにして!」
「安心してください、小卒をバカにしているわけじゃないです。無花果さんをバカにしてるんです」
「くきいいいいいいこのクソガキいいいいいいいい!!」
「……ことりは、学校に行ったことがない……どんなところなの?」
「そうだなあ、小生はなんだかんだで小学校楽しかったけどなあ! 昼休みはみんなでドッヂボールやったりさあ! 夏休みのプール帰りの駄菓子屋のアイス、うまいのなんの!」
「それらはすべて娯楽です」
「いちじくちゃん、算数できたっけー?」
「できらい! いちたすいちはに!」
「とは、限らないよー?」
「ひい! 量子力学おぢさんがなんかこわいこと言い出したでござる!」
「そうですよ。所長、急にシュレディンガーの猫化しないでくださいよ」
「あははー、悪い癖だねー。ああ、そういえば、お土産ありがとねー、いちじくちゃーん」
「春原さんの土産物にしては珍しく常識の範疇で、私は驚きを禁じえませんでした」
「そうそう、珍しくマトモなお土産だったよねー」
「てめえら、そこまで言うんなら返せよお土産!?」
「冗談です」
「てめえの冗談はわかりにくいんだよ!」
「まひろくんはどうだったー、北海道ー?」
「食べるものみんなおいしくてびっくりしました。あと、けっこう撮影スポットも多くて」
「あとで撮った写真見せてねー」
「はい。だいたい無花果さんが写りこんでますけど」
「まひろくんの旅の思い出にはねちっこく絡むからね、小生は! 消えない爪痕を残していくスタイルだから!」
「それはおそらく、日下部さんにとっての災難です」
「あー、さてはてめえ、留守番だったの根に持ってんだろ!? 私も北海道に行きたかったです、とか言えよ!」
「必要がなければ、特に行きたいとは思いません」
「まーた『必要』かよ、つまんねえ男だな!」
「……ことりは、ちょっと行ってみたかった」
「いけませんよ、小鳥くん。移動は大変ですし、なにより小鳥くんには北海道の食べ物は刺激が強すぎます」
「そうだよ! ありゃあパンチのある美味だったからねえ!」
「……興味が、わいてきた……」
「じゃあ、いつか外の世界に慣れて、宇宙服が脱げるようになったら、いっしょに北海道に行きましょう」
「小生も!」
「……まひろと、いちじくと、ことり……三人で、北海道行く……」
「そんときは経費で落とせよ、ポンコツメガネ!」
「却下します」
「いちじくちゃーん、そうなんでもなんでも経費で落とせると思ったら大間違いだよー。知らんけどー」
「所長、法人関係は三笠木さんに丸投げしてますからね」
「はっはっはー。 ヌシたるもの、そのような世俗的なことは知らんぷりするんだよー」
「すべてを私に押し付けないでください」
「だってさー、三笠木くん、デキる男なんだもーん」
「所長所長! こいつ、褒めたってなんも出てこねえから! 出すような面白いもん持ち合わせてねえから!」
「はい。私は褒められて木に登る豚ではありません。いつか所長にも庶務を学ばせます」
「強制なのー、それー!? ううー、勉強嫌いなんだよねー、僕ー」
「京大院中退がなんか言ってるねえ! これは空耳かい!?」
「あそこはねー、変態か変質者しかいなかったからねー」
「変態と変質者の違いはなんなんだい!?」
あれこれとにぎやかに会話をする面々を見て、なんだか無性にほっとする。胃に落ちていくとんこつラーメンのスープがあったかい。
たしかに北海道で食べるものはなんでもおいしかったけど、このとんこつラーメンがないと僕たちは始まらないのだ。
麺をすすり終えてスープを飲みながら、まだまだ続く口喧嘩に安心する自分がいる。
旅をして、危ない目にもあったけど、こうして帰ってくるホームがある。
僕の『たましい』のありかは、たしかにこの『庭』なのだ。
おそらく、『いのち』が尽きても、行き着くのはここでしかない。
それは、無花果さんも、三笠木さんも、小鳥くんも、所長も同じだろう。
『庭』の『共犯者』ならば、『たましい』が最後にたどりつくのはこの場所だ。
たとえ『庭』にパラダイス・ロストが訪れたとしても、その朽ち果てた廃墟に帰ってくるはず。
こころは、いつもここに。
旅の疲れもあってか、あたたかいスープで満腹になった僕は、うとうとと眠気さえ感じていた。
少し眠っていこうか。
そんなことを考えながら、僕は輝かしい日常の中でうっとりとまどろむのだった。




