№16 『浅はかな』理解
『アトリエ』に連れて来ると、額縁で装飾されただけの『作品』を目にした田舎女は、なんのことかわからない様子できょとんとした。
「……なんですだか、これ……?」
指をさして僕に問いかける。
「最初に約束したでしょう。ご主人の死体を『作品』の素材にさせてもらうって」
「……でも、これは……」
そう、田舎女がはるばる北海道から持ってきた、ただの右腕だ。『パーツ』でしかない。
だが、状況そのものが『パーツ』を『作品』へと装飾していた。
「生きてるんですよ、ご主人は」
「……生きて……はあ……?」
まだ理解が及ばないらしい。僕は、『本体』が落盤事故に乗じて『死』を偽装したこと、みずからの手で右腕を引きちぎり、アイヌの隠し通路を使って現場から脱出したこと、おそらくはどこか別の土地で新しい人生を送っていることを噛み砕いて説明した。
「……そんな……主人は、まだどこかで、生きてるだか……?」
目を丸くして真っ青な顔をする田舎女に、最後のダメ押しをする。
「はい」
そう答えた僕の目の前で、田舎女は両手で顔を覆って崩れ落ちてしまった。泣いている、というよりも、ショックで血の気が引いた、という方が近い。
しばらくの間、田舎女はよろこぶでもなくかなしむでもなく、じっとしていた。
「……逃げ出した、だな……?」
ぽつり、静寂の『アトリエ』に問いかけの声が響く。
「はい」
「……おらたつは、見捨てられただな……?」
「はい」
僕はただ、淡々と答えた。
そして次の瞬間、スイッチが切り替わったかのように田舎女が真っ赤になった顔を上げる。
「あんの、バカ亭主があああああああああ!!」
茫然自失から一転、激怒の表情で、『作品』が乗っていたイーゼルを蹴り飛ばす。がしゃん!と額縁のガラスが割れて、中から『パーツ』が飛び出してきた。
「おらたつを見捨てただな!? よくも、よくも!! バカにすて!! 自分ひとりだけしあわせになろうってんだな!?」
喚き散らしながら、田舎女はその『パーツ』をめちゃくちゃに踏みつけにした。腐りかけた肉が骨から外れてぐちゃぐちゃになっていく。
それでも、田舎女は死体となった右腕を蹴り続けた。
「そうはいかねえぞ!! おらたつは家族だ!! うんめいきょうどうたいだ!! 死ぬときはいっしょに殺すてやるだ!! ちくしょう、絶対に見つけ出すて慰謝料ふんだくってやるだ!!」
もう『パーツ』が原型を留めていない状態になったところで、田舎女は息を荒らげながら唾を吐きかけた。
そして、そのまま 僕たちにはなんの言葉もかけず、ずかずかと『アトリエ』から出ていく。
「行くだよ、おまえたつ!! まずはひっちはいくさすてウチさ帰ぇるだよ!!」
そんな叫び声と喧騒、ドアが乱暴に閉められる音が『アトリエ』まで届いた。
……嵐が去った。
終始ぽかんとしているだけだった僕は、はっとして踏み荒らされた『作品』に駆け寄る。
「……無花果さん、『作品』が……!」
「……かまわないさ。形あるものはいずれ壊れる。『作品』だって、例外じゃない」
これを作った当人の無花果さんは、そんな風にうそぶいて、まったく気にも留めていない様子だ。
……まあ、写真にはしっかり残してあるから、問題ないといえばそうなんだけど……
『表現者』としては、『作品』は我が子のようなものというのはよく聞くけど、本当のプロフェッショナルはそうでもないらしい。無花果さんにとっては、これはあくまでもただの『排泄物』でしかないのだ。
「……それにしても、まさかあんな風に怒り出すなんて……」
肩を落とす。なんだか、やるせない気持ちでいっぱいになった。もっとよろこんでもらえると思ったんだけど。
無花果さんはからだを揺らして苦笑いして、
「……そんなものさ。『作品』なんてものは、いかようにも受け取れる……受け取り手次第で、その意味が変わる。今回は、ごく浅いレベルで伝わった。それだけのことだよ」
これもまた、どこ吹く風といったようにつぶやく。
なるほど、伝わるには伝わったか……しかし、あの田舎女が浅はかなばかりに、それは深い理解ではなかった。
背景もなにもかも伝えた上で、ああいう理解の仕方をしたのだ。浅慮以外のなにものでもない。
結局、あの田舎女はどこまでも『受け取る』ことしか考えていなかった。『与える』ことなど、考えもしなかった。
だから、『受け取る』ことができなくなって、あんなカンシャクを起こしたのだ。それは幼子が『乳が飲めない』とぎゃんぎゃん泣きわめくのと同じだった。
守られて当然、与えられて当然だと思っている。
自分がいかに恵まれているかではなく、自分がどれだけ損をしているのかしか考えていない。
内省もせず、ただ口を開けて待っているだけ。
ゆえに、あんな浅いレベルでしか『作品』を読み解くことができなかったのだ。
まさに無花果さんが言っていた『浅はかさ』が露呈した形になる。
田舎女は、地の果てまでも『本体』を探しに行くだろう。それこそ、ヒッチハイクでもなんでもして、取れるものは絞りつくしに行くだろう。
ついに顔も知らないまま『作品』になってしまった『本体』に思いを馳せる。
今ごろは、ようやく生まれ直して第二の人生を送っている、すべてを捨てた男。
その捨てたはずのものが、過去が追いかけてくるのだ。
今もこころのどこかで怯えていることだろう。過去に追いつかれるのではないかと。『アンノウン』としての生活を奪われるのではないかと。
……このまま、逃げ切れたらいいな。
いつの間にか、僕はすっかり『本体』の方に肩入れしていた。心底同情していたというのもある。
そのまま、平穏無事に『アンノウン』として天寿をまっとうできればいいんだけど。
どうか、せっかく捨ててきたものに、新しい人生をめちゃくちゃにされませんように。
「……なあに、それは『本体』の運次第さ」
僕の考えを見透かしたように、無花果さんがつぶやいた。
「あんな奇跡じみたチャンスを掘り当てたんだ、きっと次もうまくやるだろう」
「……だと、いいんですけど」
「それよりも、まひろくん」
と、無花果さんは視線でめちゃくちゃになった『作品』を示した。
まさかとは思うけど……いや、今回はあらゆる『まさか』が的中している。
「……これも、『記録』するんですか?」
おそるおそる、指をさして聞いてみると、無花果さんは当然のように首を縦に振った。
……なるほど、結末も含めての『作品』ということか。
もしかしたら、あの田舎女に壊されてしまったこの姿こそが、真の最終形なのかもしれない。
それくらい、あの『パーツ』だけの『作品』には、たくさんの物語が詰め込まれていた。
最小限の装飾で、最大限の一撃を。
すべては、研ぎ澄まされたプロの犯行だった。
岩盤に、小さなドリルで穴を開けるような、極小の『暴力』だ。
僕はそれに敬意を表するように、元『作品』に向けてシャッターを切る。
もはやただの残骸でしかないそれは、たしかに一連のストーリーを『表現』していた。
無花果さんにしては、珍しく愚直な『作品』だった。いや、愚直というよりは素直というか……しかしお利口さんなだけではない生々しさは、さすがといったところだ。
それくらい、同じ『表現者』としての『本体』に対してまっすぐなリスペクトを示したということか。
ならば、僕も。
ぱしゃり。
気取らない構図で残骸を撮影する。
ぱしゃり。ぱしゃり。
ただ、ありのままを。真実の『光』と『影』を追う。
そうして、すべての物語を『記録』し終えたころ、僕のカメラのフィルムもようやく尽きるのだった。




