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№12 童貞、あだとなる

 とにかく、まずは喘息の発作をなんとかしなくてはならない。話はそこからだ。


 ええと、喘息患者の発作をなんとかするには、どうすれば……?


 それは無花果さんが一番よくこころ得ていた。


 ぜいぜいと息を荒らげながら、


「……すまないが……げほっ、ブラの、ホックを、はずして……げほっ、くれないかい……」


「わ、わかりました」


 そうか、衣服の締めつけをなんとかしないと。


 さいわいにもここは暗闇だ、なにも見えない。もちろん、こんな状況で無花果さんが『その気』になることも有り得ない。


 僕は無花果さんのシスター服を手探りで脱がせると、下着姿にしてしまった。


 なにも見えてないから、なにも見えてないから……


 言い訳のように胸の内で必死に唱えながら、僕は背中にあると思われるブラジャーのホックを探した。


 どこだ? ええと、これはタグだよな……


 ……ええと、ええと……


 ……ホックがどこにも見当たらない……


 そもそも、おっぱいを守る神聖な鎧であるブラジャーなんて、今までおそれ多くて触れたことがなかった。


 童貞なので、当然ながら今まで外す機会もなかった。


 そんな『経験不足』がここへ来てあだになるとは……!


「あああああああああ!!」


 じれったさが限界を超えて、僕はつい吠えてしまった。頭を抱えて、


「どうして僕は童貞なんてやってたんだよ!?!?」


 そんな間抜けな叫びを上げる。身も世もない慟哭とはこのことだ。


 しかし、それで状況がほんの少し、動いた。


「……ぐふっ……ぎゃは、は……げほっ、ごほっ……!」


 無花果さんが、笑った。


 まだ息は苦しそうだけど、それで緊張が解けたらしく、次第に喘息の発作がゆるやかになっていく。


 ……僕としては不本意極まりないけど。


「……げほっ、こんな、もの……っ、こうして、やるっ……!!」


 無花果さんは咳き込みながら、ブラジャーに手をかけてちからを込めた。ぶち!と音がして、前の部分が弾け飛ぶ。どうやら、ホックは前にあったらしい。そりゃあ背中を探してもないはずだ。完全な罠だった。


「……ごほっ……これで、すこしは、らくに……げほっ、なった、かな……」


 今現在、無花果さんはぱんいちで横たわっている。


 同じ空間にぱんいちの女性が寝ているという状況、男ならば一度は妄想したことがあるだろう。


 しかし、そんなことを言っている場合ではない。


 だいたい、僕は無花果さんに劣情を抱くことなんて死んでもないだろうし。


 とにもかくにも、なにも見えない暗闇で助かった。


 だんだんと、無花果さんの呼吸が落ち着いてくる。もう峠は越したようだ。


 それでもまだ安静にしている必要がある。それに、この空間に閉じ込められている状況にも変わりはない。


 次の問題はそこだ。


「……血痕を、たどりたまえ……」


「け、けっこん……?」


 ひゅうひゅうと喉を鳴らす無花果さんの指示内容に、僕はつい戸惑ってしまう。そんなもの、この暗闇でどうやって見つければ……?


「……小生はアナログ派だが……君はデジタル派だろう……左腕についているのは、時計ではなく飾りかね……?」


 そうだ。スマートウォッチの光源……!


 慌てて確認すると、まだぎりぎりバッテリーは残っていた。ライトモードにして辺りの地面を這いつくばる。頼むから充電、切れないでくれよ……


 無花果さんの言う通り、そこには土に深く染み込んでいるらしい赤黒いシミがあった。土砂をどかしても消えないほど大量の血液となると、これは死体の『本体』の血だろうか。


「……その血痕を、たどりたまえ……どこかで、途切れているはずだ……」


 わけがわからないけど、今は言う通りにするしかない。


 たしかに、血痕はぽつぽつと続いていた。暗闇の中の頼りないあかりひとつでその痕跡を辿っていくと、やがて大きな岩の真ん前に来た。


 血のシミは、そこで途切れている。


「ここまでですけど……この岩がどうしたんですか?」


「……押してみるといい……」


 言われるがままにぐっと体重をかけてみると、わずかに岩が動いた。さらに体重をかけて、思い切り押してみる。


 すると、岩がどいたその向こう側に、ぽっかりと道が続いていた。空気が通り抜ける感触がある。それに、血痕が道の向こうへと点々と続いていた。


 ……抜け道だ。


 なぜこんなところに?


 どうして血痕はこんなところに続いている?


 それに、なんで無花果さんがこの隠し通路のことを知っていた?


 疑問は尽きないけど、これは起死回生の活路だ。これでこの密閉空間から抜け出せる。


 暗闇の中の死神が、舌打ちをしながら遠ざかっていくのが見えた気がした。


 僕は急いで無花果さんに肩を貸すと、その狭い通路をずりずりと進んだ。


 ……どれくらい、隘路を行っただろうか。


 このまままた別の閉鎖空間に出るんじゃないかという不安を何度も拭った。


 この道が永遠に続くんじゃないかという妄想を、必死で押さえ込んだ。


 そして目の前に現れたのは……また、大きな岩だった。


 今度は、言われなくてもわかる。


 ちからを振り絞ってその岩をどかすと、その隙間から光が差し込んでくる。血のように真っ赤な、夕日の色だ。


 たまらなくなって足で強引に岩を蹴りやると、その隙間にからだをねじこむ。


 そうして、僕たちはとうとう閉鎖空間から解放された。


 どうやら崖の突端らしく、茜空にはかあかあとカラスが群れを成して飛んでいる。風の感触に、新鮮な空気のにおい。


 肺に酸素を取り込むごとに、ああ、生き延びたという実感が湧いてくる。


 やった、僕たちは生き残ったんだ。


 ざまあみろ、死神め!


「ああ、シャバの空気は一等うまいねえ!」


 すっかり回復した無花果さんが、大声で言いながら深呼吸をする。


 …………ぱんいちで。


「い、無花果さん、ふく、服っ!」


「ああ、その程度のことか。もっとよろこびたまえよ、我々は無事生還して……」


「これを着てください!」


 僕は着ていたジャケットとジーンズを脱いで無花果さんに押し付けた。今度は僕がぱんいちとなるわけだけど、男のぱんいちごとき屁でもない。無花果さんが乳房を満天下に晒しているという事実の方が、よっぽど問題がある。


「ぎゃはは! まったく、これだから童貞は面白い!」


 言いながらもおとなしく服を着てくれたのは僥倖か。僕の服は丈はちょうどだけど胸がぱつぱつになっていた。それでも、ぱんいちよりはマシだ。


「ああはいはい、着たよ! これでいいんだろう!?」


 僕の服を着ている無花果さんなんて、もちろん見るのは初めてだ。この際言っていられないけど、なんだか新鮮だった。


 へくちっ、とくしゃみが出る。ぱんいちにとって、秋の北海道は寒い。特に、こんなふきっさらしの崖の突端なんてところにいつまでもいては、下手をするとまた風邪を引いてしまう。


 ……けど、レンタカーに戻る前に、どうしても聞いておきたいことがあった。


 しかも、山ほど。


 ここまで来たら、鈍い僕にだってわかる。


 ……死体の『本体』は、この隠し通路から崩落現場を脱出したのだと。


 つまり、『本体』はまだ、どこかで生きている可能性が高い。


 わからないのは、なぜそんなことが無花果さんに予見できたのかだ。


 一体、どういう思考をトレースしたらこんなとんでもない結末にたどりつけるっていうんだ?


 風邪を引いてもかまわないから、とにかく説明をしてほしかった。無花果さんは例のごとくいやがるだろうけど、僕には聞く権利と義務がある。


 そっと目をそらす無花果さんを、じいっと見つめる。


 きちんと『種明かし』をしてもらわないと、テコでもここを動かないぞ、という念を込めて。


 ……無花果さんは、やがて渋々とその口を開き、事の顛末を説明し始めるのだった。

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