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№11 二次遭難

 翌朝、ようやく僕たちは死体の『本体』を探しに行った。昨日は夜中に大雨だったらしく、ホテルの前には水たまりができていた。


 手配してもらっていたレンタカーを運転して、広大な北の大地をひたすらに走る。


 大きな道路を通り過ぎると、だんだんと道が閑散としてきた。マクドナルドが100キロ先にあるなんて看板、なんの冗談だろうか。


 だだっ広い平原を抜けたあとは、山に入る。険しい山岳地帯は、さすが北海道と言うだけのことはあった。とはいえ、鉱山ともなればまだひとが出入りできる標高の山だ。そこで働き、生活しているニンゲンがいるのだから。


 ごつごつした岩肌の山道は曲がりくねり、延々と続いているように思えた。しかし、目的地はそろそろのはずだ。


 ほんの少しだけ、ひとが住んでいる気配が見え隠れする地帯まで来た。10キロおきに、ぽつりぽつりとオンボロの家屋が建っている。商店のようなものもあった気がする。


 そんな文明の香りを抜けて、たどり着いたのは石炭が取れる採掘場だった。


 車で進むのはそこで限界だったので、僕たちはレンタカーをおりて徒歩で現場に向かう。


 山にはいくつもの大きな穴が空いていて、ところどころにリヤカーやスコップ、掘削機などが置かれていた。


 その中のひとつ、立ち入り禁止の看板が立っている穴を見つけて、僕たちはなんの躊躇もなく黄色と黒のトラロープをくぐり抜けた。


 穴の中の土砂はすでに脇にどけられている。穴は奥まで続いていて明かりもなかったので、僕はスマホのライトでゆく道を照らした。


 どん詰まりには、崩落した土砂が積まれている。まぎれもなく、落盤事故の形跡だ。


「……ここで、亡くなったんですね」


 この土砂をかき分けるのは骨が折れそうだ。それでも、僕は穴の出入口付近で拾ってきたシャベルを握りしめた。


 スマホのライトで照らし出された土砂は、いかにも重そうだ。ところどころに大きな岩もまじっている。せいぜい筋肉痛の心配をしておこう。


「早く、掘り起こしてあげないと……」


「うん? うん?? さっきから、君はなにを言っているんだい、まひろくん?」


「……だから、この土砂を掘り起こして、死体の『本体』を……」


「小生、一言もそんなことしろって言ってないよ?」


「……え……?」


 どういうことだ、それは。


 そんなの、まるで……


 そのときだった。


 ごごご、と地鳴りがして、足元が揺れる。暗闇がうごめき、僕はついスマホを取り落としてしまった。噴出した冷や汗が背中を流れ落ちる。


 光が途絶えたのは一瞬の出来事だった。


 元から地盤が弱く、しかも昨日の大雨で緩んでいたのだろう。低いうなりと共に、入ってきた穴の出入口が地すべりでふさがってしまった。


 なにもかもが、あっという間だった。


「え? ええ??」


 地鳴りが収まったあと、真っ暗闇に取り残された僕は、ただ間の抜けた声を上げて戸惑うばかりだ。現状も正しく認識できない。というか、脳が理解を拒んでいる。


 落としたときに壊れてしまったのだろうか、スマホは沈黙しているようだった。なんの光もない、まったくの無明。どこか石炭の香りがする空気が、すっかり密閉されている。


 僕たちごと、だ。


「……そ、そんな……!」


 手探りで岩肌を伝って、出入口付近まで進む。途中つまずきながらも指先が行き当たったのは、濡れた土砂の感触だった。しかも、ちょっとやそっとではどかせないような厚みだ。重機でもない限りは掘り起こせない。


 ……閉じ込められた。


 完全に二次遭難だ。


 とうとう、僕はその事実を受け入れた。というか、そうせざるを得なかった。


 呆然としていると、穴の最奥で咳き込む声が聞こえてくる。無花果さんの声だ。


「大丈夫ですか、無花果さん!?」


 再び暗闇の中を手探りで戻り、無花果さんらしき布の感触をつかまえる。どうやらその場にうずくまっているらしく、無花果さんはぜいぜいひゅうひゅうと喉を鳴らしている。


「……げほっ、ごほっ……すまんね……ごほっ、からだはこの通り、五体満足だが……げほっ、小生、また、ぜんそくの、ほっさが……」


「しゃべらなくていいです! とにかく、落ち着いて深呼吸してください!」


 この状況で落ち着くもクソもないだろうけど、とにかく呼吸に収集してもらおうと声をかける。背中らしき場所をさすって、その手のひらに肺が痙攣しているような手応えを感じた。


 こうなると、無花果さんは動けなくなる。普段は健康そのものといった顔をしているけど、こんな状況下では持病の発作が出ても仕方がない。


「……吸入薬は……!?」


「……ごほっ、くるまの、なかに……」


 ひどい喘鳴を上げながら、無花果さんが言った。


 しまった、くまさんポシェットごとレンタカーの中か。こんなことになるなんて予想もしていなかったから、だれにも文句は言えない。


 カメラだけは持ってきたけど、この場面でサバイブするためにはなんの役にも立たない。


 そうしている間にも、無花果さんの発作は酷くなっていって、もう呼吸すらままならなくなってしまう。


 ……このままじゃ、まずい……!


 無花果さんの発作はもちろんのことだけど、僕だってこの空間の空気が尽きれば終わりだ。もちろん、所長たちは僕たちがここへ来ていることを知っているけど、まさか二次遭難しているだなんて想像もしていないだろう。


 救助が来るのが先か、ここの空気が尽きるのが先か。


 いや、無花果さんが呼吸困難でアウトになるのが一番早い。


 ……本当に、まずい……このままじゃ……!


「無花果さん、無花果さん!」


 僕がしっかりしなければ。無花果さんは病人なのだ、発作を起こして動けないでいる。動けるのは僕だけ、だったらなんとかしなくては。


「とりあえず、横になって、楽な姿勢になってください!」


 暗闇の向こう側でうなずく気配があった。


 ごつごつした地面に横たわって、丸くなる無花果さん。それが一番楽なポーズならそれでいい。


 こうして、なんとか喘息の発作が収まるのを待つことしかできない。


 収まったとて、土砂に生き埋めにされているという事実は揺らがない。もう死体の『本体』を探すだなんて言っていられないのだ。


 ことは、生きるか死ぬかの二択にまで発展している。


 もしかして、もしかしたらだけど……


 ……だれにも知られず、ここで窒息死するなんて未来も、有り得るといえば有り得るのだ。


 僕は、真っ暗闇の中に死神の大鎌のきらめきを見た気がした。


 いや、焦るな、日下部まひろ。


 所長たちはここへ来ていることを知っている。


 僕たちとの連絡が途絶えたとなると、なにかあったと思って助けに来てくれるはずだ。


 ……それが、遅いか早いかの違いは大きいけど。


 いやいやいや、動揺するな。


 きっと大丈夫だ。


 まずは、無花果さんの発作のことを心配しよう。ここから出る手段を探すのはそのあとだ。


 吸入薬もなく、発作が極限にまで達した喘息患者はどうなるのだろうか?


 考えたくもないけど、まったく息ができなくなって、最悪死んでしまうのでは……?


 『死』。


 そのすぐそばまで降りていったことは、何度もある。


 しかし、いつだってそこにはいのち綱があった。


 今回はそれがない。


 今、僕たち自身が『死』という現象の当事者になっているのだ。


 散々見てきた死体と同じ、温度を失った肉になるのだ。


 これは死に様なんてものじゃない。ただの事故だ。ここにはなんの意思もないし、意図もないし、心情も信条もない。


 こんなところで死んでしまっては、おちおち『作品』にもなれやしない。


 ……死んで、たまるか……!


 ここは僕たちの死に場所じゃない。


 だったら、生き延びてやる。


 『死』に際して、僕の中の『生』が燦然と燃え上がるのを感じた。


 こんなにも生きているということを実感している。『死』の当事者になるというのは、そういうことだ。


「無花果さん、大丈夫ですか? とにかく、落ち着いて息をしてください」


 横たわる無花果さんの背中をさすりながら、僕は暗闇の中の死神をじろりとにらみつけるのだった。

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