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№9 ようこそ函館朝市へ!

 結局、新幹線と在来線を乗り継いでいたら、函館の到着は夜更けになっていた。


 まずは三笠木さんが手配してくれた宿に向かい、僕たちは移動の疲れを癒すことにした。もちろん別室で。


 一夜明けての早朝、早速部屋のインターホンが連打される。まだ寝ぼけていた僕が扉を開くと、そこには出発準備万端の無花果さんが待っていた。というか、このひとはちゃんと寝ているのだろうか。


「なにをしているのかね!? このねぼすけめ!」


「……無花果さんこそ、早すぎません……?」


「愚問!!」


 まだホテルの寝間着姿の僕を前に、無花果さんはガッツみなぎる眼差しでこぶしをにぎりしめた。


「函館といえば朝市じゃないか! 起き抜けののっけから海鮮丼、くう、サイコーだね! でっけえどーの朝は早いのさ! ぐずぐずしていないで、早急に準備をしたまえ!」


「はいはい……」


 リードをぐいぐい引っ張る駄犬の勢いで今にも飛び出してしまいそうな無花果さを、これ以上待たせておくわけにはいかない。


 手早く朝の準備を済ませた僕は、くまさんポシェットを装備した無花果さんに腕を引かれて、函館の朝市へと繰り出した。


 ……早朝からこんなにひとが集まるなんて……


 市場はひとでごった返していて、歩くのもひと苦労だった。外国人環境客も多く、道行くひとはほとんどがおのぼりさんか客引きばかりだ。


 ウニの瓶詰めが安いとか、採れたての茹でタラバをクール便でとか、様々な誘惑がそこかしこでシュプレヒコールを上げている。


 放っておいたらなにをしでかすかわからない無花果さんの手をしっかりと捕まえながら、僕たちはなんとかひとごみを泳いだ。


「お、おねえさん、面白い格好してるねえ! うちは海鮮丼豪華だよ!」


 客引きのひとりが無花果さんに呼びかけると、目をぎらぎらさせてまんまとそれに引っかかる。


「おお! 一体なにが乗っているっていうんだい!?」


「そりゃあもう、ウニイクラカニ大トロサーモン、全部乗せだよ! もちろん今朝採れたてだ!」


「くう、なんてことだ! けしからん、けしからんぞそれは!!」


「なんなら少しサービスもするよ!」


 ……そんなに言うなら、食べて行ってもいいか。


「ここにしますか?」


「ここに決まっているだろう!」


「よーし、お客様二名様ご案内ー!」


 客引きは僕たちを屋台の方へと導いた。どうやら人気店らしく、すでにベンチはいっぱいで、かろうじて空いていた簡易テーブルに着席する。


 豪華海鮮尽くし丼を注文してしばらくすると、目的の丼がふたつやってきた。


 ほかほかの白米の上に、丼からあふれるほどの海鮮が乗っている。本当にヤケクソのように盛り付けられていて、なんなら運ばれてきたときにイクラの粒がいくつかこぼれたくらいだ。


「おほー! おほー!!」


 奇声を上げて狂喜乱舞している無花果さんと山盛り海鮮丼を前に、僕はちゃんと準備してきたカメラのシャッターを何度か切った。


 食べ物をおいしそうに撮るのは案外難しくて、テレビや雑誌なんかに載っている写真は、たいていがそれ専用の別物だったり加工がされていたりする。


 僕みたいなフィルムにこだわるカメラマンにしてみれば、そんな細工ができない分、余計に難しい。しかも、現像してみるまでおいしそうに写っているかどうかわからない。


 ……だから面白いんだけど。


 それに、こんなヨダレを垂らしそうな勢いではしゃいでいる無花果さんの前に置かれていては、もういやでもおいしそうに見えるに違いない。


 写真を撮り終えた僕は、無花果さんと同時に割り箸を取った。


「それじゃあ」


「いただきます!!」


 手を合わせて割り箸を割ると、ふたりして猛然とした勢いで丼をむさぼり始める。これはいつものとんこつラーメンと同じだ。


 ウニイクラカニ大トロサーモンが大挙して、出汁醤油と混ざりあって舌の上に押し寄せてくる。どれもこれも特有のうまみがあって、それがいっしょくたになって流れ込んでくるのだから、もうなにかとてもおいしいものを食べているという認識にしかならない。


 それぞれの主張の強さが混じりあって、最上の美味となる。まるで、うちの事務所みたいだ。


 無花果さんはがつがつと海の幸を頬張りながら、


「うまい! うまい! うんまい!!」


 目の色を変えて狂ったように連呼している。それだけお気に召したということだ。


 僕としてはサービスで出てきたカラスミも気に入った。箸休めにはちょうどいい。これもまた、いい具合にまろやかなうまみが出ている。


 米も地場産なのか、とてもミルキーで粒が立っている。炊きたてご飯がこんなにおいしいと感じたのは、いつぶりだろうか。


 とにかく、海の幸を詰め込めるだけ詰め込んで、僕たちはほぼ同時に箸を置いた。


「ああああああああああああああ!!」


「無花果さん、ひとさまに迷惑ですから無駄吠えしないでください」


「だって!! おいしかったの!! だもの!!」


「味皇みたいになってますよ」


「小生だって、出せるものなら巨大化して目からビームを発射したいよ! ああ、この行き場のない充足感、どうすればいいんだい!?!?」


「おいしいものでおなかいっぱい、ってことでいいじゃないですか」


「それじゃあ『表現者』としては満ち足りないよ! なにかこう、食べログ的なものをしたためたいじゃないか!」


「じゃあクチコミでも書いたらどうです?」


「そんなの時間がもったいないだろう!! 次に行くぞ、次だ!! 小生の函館朝市はこんなもんじゃ終わらねえぜ!!」


「まだ食べるんですか」


「当たり前だ!」


 ……本当に、食べないときはとことん食べないくせに、食べるときはここぞとばかりに食べまくるな、このひと。


 しかし、以前の温泉宿のような食事風景とは違って、今回はいつものとんこつラーメンみたいな食べっぷりだ。


 ……ほんの少し、ほっとした。


 またあんなエロスを見せつけられるよりはずっと気楽だ。これなら普通に食事を楽しめる。


「さあさあ! 次は新鮮極まりないイカソーメンでも食べたい気分だねえ!」


「いいですね」


「だろう!? ぷりっとしたイカ刺しだよ! なんたって鮮度が重要だからね、イカは! ここで食べたらさぞかしおいしいことだろうさ!」


「じゃあ、イカソーメンのお店探しましょうか」


「おっし! いっくぞー!!」


 早朝を過ぎて市場がだんだんと静かになっていく。ひとも歩くのに困るほどではなくなってきた。漁師たちも引き上げているのだろう、日が登り始めた港町は、次第に朝の時間帯を抜け出しつつある。


 本当に、函館の朝は早いらしい。


 ……この分だと、早くしないとイカソーメンのお店も閉まってしまうかもしれないな。


 ぐいぐい僕の腕を引っ張る無花果さんだったけど、このままではボッタクリの店にも突っ込んでいきそうだ。しっかりとリードを手にしておかないと。


 なみいる客引きにカモられそうになる無花果さんを制して、宣伝文句をひとつひとつ検分しながら、僕たちは次にイカソーメンの屋台に入った。それ以外にもイカ焼きやらイカの握りやらが置かれている、まさにイカの専門店だった。


 当然のように出てきたイカソーメンも圧倒的においしく、僕は最初の数枚だけ写真を撮ったきり、カメラを置いてぷりぷりの新鮮採れたてイカソーメンを楽しんだ。


 濃厚な海鮮丼のあとにはちょうどいい、さっぱりとしているけど噛み締めれば噛み締めるほどおいしいひと皿だった。


「ああ、やっぱりでっけえどーはこうでなくちゃね! 北海道、サイコー!!」


 ものすごい現金な物言いに、僕はつい苦笑いしてしまう。


 そして、口の端に出汁醤油をつけたままの無花果さんのフルスイング気味の笑みに向けて、ぱしゃり、またシャッターを切るのだった。

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