№4 裏も表もない
「……主人は炭鉱夫でしただ……北海道の山奥の鉱山で、家族で暮らしてますだ……明日食うもんにも困っでで、わだすは子供たつの世話でいっぺえいっぺえで、主人は毎日顔真っ黒にして穴掘ってましただ……」
なるほど、暮らしはずいぶんと苦しかったようだ。北海道の鉱山となると、コンビニすらもロクにないのだろう。文明とは遠く隔たった生活だ。そこだけ時間が昭和で止まってしまっているような、そんな場所。
田舎女はため息をひとつついて続けた。
「……その日も、主人は穴さ堀りに行ったですだ……だども、落盤があって……その事故で、主人は生き埋めになってしまったですだ……救助のひとたつがなんとか掘り出しでぐれだのが、この腕ですだ……それ以外は、どごにも見つからなかったですだ……」
そうか。事故とは、鉱山の崩落事故だったのか。
昔の炭鉱夫の話をなにかで見たことがあるけど、崩落事故というのは悲惨きわまるものだったらしい。なにせ、生きたまま土に押しつぶされてしまうのだから、死体なんて出てこない。腕だけでも返ってきたのが奇跡と言える。
そんな事故も、炭鉱夫たちの間では『よくある話』だ。からだを張って、いのちをかけて仕事をしているのだ。多くのひとは、日銭を稼ぐために。肉体労働の局地とも言える、過酷な仕事。
田舎女が言う通り、毎日毎日、顔を真っ黒にして重労働をしていたのだろう。なにもない田舎で、家族を食わせていくために、仕事は選べなかったはずだ。
そして、田舎女はまた重々しいため息をついて、
「……こんな腕だけ残ったって、仕方ねえだよ……やりきれねえだ……子供たつにも、なんて説明すりゃあいいか……葬式もあげられねえ、お国も『死んだ』って認めてくれねえ、おらはどうすりゃええがわがんねえだよ……」
それはそうだ。
たしかに、崩落事故があったのならば、『本体』は限りなく高い確率でもう死んでいるのだろう。ここへ来た理由もおおよそは理解できた。
しかし、残されたのは右腕の『パーツ』だけ。
たとえぐしゃぐしゃの肉塊になっていても、『本体』が出てこない限りは正式に死んだものとして扱えない。
法的な問題は僕にはよくわからないから三笠木さん辺りに聞くとして、これでは骨も拾えず、満足な葬儀もおこなえない。当然、残された子供たちにも『死んだ』とはっきり説明できない。
田舎女が頭を抱えて途方に暮れて、わざわざ北海道からこんなアヤシイ探偵事務所を頼ってきたのも、まあうなずける。
話はさらに続き、だんだんと愚痴の様相を呈してきた。
「……主人が死んで、生活も立ち行かなくなっただ……ほんのちょっとの貯金さなぐなりゃあ、もう明日から食うもんもねえだ……飢えて死ぬか、そうでなきゃ一家心中か……」
「ちょ、奥さん、早まらないでくださいね?」
「……わがっでますだ……だから、『本体』さ見つけ出して、そうしたらほけんきんがおりるだ……組合の共済さ入っでだがら……そうすりゃあ、しばらくの間は食いつなげるだ……子供たつも、飢えはしねえだ……」
ことは一家心中を考えるところまで来ているらしい。本気で明日食べるものすらない状態だ。貧困もここまで極まれば生きるか死ぬかの二択になってくる。
そして、『生きる』ことを選ぶためには、死体の『本体』が必要なのだ。
保険金だけの話じゃない。
死者に見切りをつけて、生者として再出発するために、ちゃんとした葬儀は必要な儀式だ。
僕たちも『墓の上で踊る』者、他人の死をないがしろにするつもりは毛頭ないけど、『生きる』ために利用できるものは利用する、それも理解できる。
『生きる』ために、死体を探す。
これは、そういう依頼なんだ。
「……とにかく、はっきり『死んだ』ことにしてえだ……死体の『本体』がありゃあ、主人はきっぱり死んでるってわがる……お国だって、『死んだ』って認めてくれる……ほけんきんだって、年金だってもらえる……おらたつが生きていくためには、どうしても必要ですだ……」
こんこんと語る田舎女に、僕はかすかな違和感を覚えた。
夫の死体を『本体』と呼んだり、やたらとお金にこだわったり、貧乏なのに子供をたくさん産んだり、とにかくなにがなんでも『生きる』ことに必死でしがみついていたり……
なんだろか、このかすかな胸のざわめきは。
正体不明の不安に、僕は少しだけ首をかしげた。
必要なのは、夫の『死体』ではなく『本体』。
はっきりと『死んでいる』と認められるためのパフォーマンス。
他人に『死んだ』と説明するための材料。
……なんだろう、その『死』のとらえ方が、僕たちとは食い違っている気がする。
なによりも、もう死んだとはっきり語っているその口で、『やりきれない』とつぶやくのは少し間違っている。
死んだものは仕方がない、ともう割り切っているのに、周りが認めてくれないから渋々死体の『本体』を探している。
……そんな風に、僕には聞こえた。
これは、まだ隠していることがあるのかもしれない。
なにか裏がありそうだ。
……そうやって一瞬疑ってかかった自分に、自己嫌悪の感情がわいてくる。
相手は夫を亡くした未亡人だぞ?
それを『裏がある』だなんて、下衆の勘繰りが過ぎるだろう。
なによりも、そんな程度のことでは死体探しの依頼は覆らない。
死体を探しているひとがいる。
だったら、僕たちはそれに応えるまでの話だ。
それが、この『庭』のレーゾンデートルなのだから。
……まあ、死体は素材として使わせてもらうんだけど。
それだって、『死』を受け入れるためには必要な儀式だ。
ここへ来るのは、みんななにかしらの『ワケアリ』ばかり。
死者だって、一筋縄ではいかない死に方をしている。
だれにも頼めないことを、僕たちが受け入れる。
この『庭』は、そんな駆け込み寺としての機能も果たさなければならないのだ。
田舎女は再び平身低頭して、
「……どうか、どうかおねげえしますだ……おらたつが明日もおまんま食うためには、どうしても死体の『本体』さ必要ですだ……潰れてぐちゃぐちゃんなっででもええだ……なんとかして、見つけ出してくんろ……」
「わかりました、わかりましたから。奥さん、顔をあげてください」
僕が必死にとりなすと、田舎女はようやく顔を上げる。それでもぺこぺこと何度も頭を下げて、
「……へえ、へえ……」
「もう依頼は成立してます。成立した以上、必ずご主人の死体は探し出してみせます。土砂を掘ることになったって、絶対に」
「……おねげえします……」
……今回、無花果さんの出番はないかもしれない。なにせ、もう疑いようのない事故が起こっているのだ。死因も死体のありかもわかっている。あと必要なのはちから仕事だ。
三笠木さんの手も借りたいところだけど、さすがに死にかけてからの復帰明けで肉体労働をさせるのも気が引ける。
だとしたら、僕が必死こいて土をかきわけなければならないわけだけど……
やるしかない、か。
いつも無花果さんに頼っていたけど、僕だってやれることがあるのだ。今回は『探偵』にはお休みいただいて、僕が汗を流して労働にいそしもう。
『創作活動』のために同行はしてもらうけど、基本的には無花果さんにはなにもすることがない。
それくらい、決定的な『死』なんだから。
だとしたら、いつもの『質問攻め』も必要ない。思考のトレースも必要ない。
無花果さんは、『創作活動』のためにただ黙って見ていればいい。あとは全部、僕がやる。
こんな裏も表もない単純明快な事故、深く探ったってなんの意味もないのだ。
……だというのに、僕の中のざわめきは消えてくれない。
これはどういうことだといぶかしんで、僕はそっと自分の心臓に指を這わせるのだった。