№3 素材のカケラの物語
「まず、この事務所のシステムについてはご存知ですか?」
いつもの定型句で尋ねると、田舎女はふるふると小刻みに首を横に振った。
「そったらこと、知らねえですだ……」
「では、ご説明しますね」
「お金の話はやめてけれ……?」
「大丈夫ですよ、代金は取りませんから」
どこまでも費用が心配らしい。
けど、ここはそういう場所じゃない。
……代わりに差し出してもらうものはあるけど。
そういうことを理解してもらおうと、僕は務めて静かな声で説明を始めた。
「この探偵事務所では、死体を捜索するに当たっての費用は一切いただいていません。遺産相続ですとか、法的手続きですとか、そういったものの代行には別途費用がかかりますが、基本的にはそれはオプションで、死体を探し出すことについてはお代はもらっていません」
「おぷしょん? そういうのはいらねだ……」
「まあ、話を最後まで聞いてください……お金はいただいていませんが、その代わりひとつ、条件があります」
「……条件?」
ぴ、と人差し指を立てた僕に、田舎女が不振そうな顔をする。なにか法外な取引を提案されるのではないかと疑っている様子だ。
……まあ、ある意味では『法外』なんだけど。
ないしょ話をするように、僕は顔を寄せて小さく告げた。
「……見つけ出した死体を、現代アートの素材として提供してください。条件はそれだけです」
「……げんだい、あーと……? なんだべさ、それ……?」
芸術というものに触れたことが、人生の中で一度もないであろう田舎女が不思議そうな顔をする。
僕はなるべく噛み砕いた言葉で再度説明した。
「美術品です。絵だったり、彫刻だったり、壺だったり……そういうものですよ。この春原無花果さんが、世界的に有名な芸術家なんです。それで、その『作品』はナマの死体を素材に使ったもので、それがないと『作品』が作れないんです。なので、僕たちとしてもナマの死体はどうしても欲しいんですよ」
僕の言葉が脳に届いたのか、田舎女は絶句して目をぱちりとさせた。
「はあー……そったらものがあるべさな……都会はやっぱ、おそろしいとこだべ……そんな上等なお芸術なんて、おらにはわがんねえ……」
「どうしますか? それでも依頼しますか?」
僕が悪魔の取引を持ちかけると、田舎女は意外にも即答した。
「んだな……ここ以外にこんなことおねげえできねえし……お金は払えねえし……どうせ、死体はなあんも文句言わねだ……葬式出す骨がありゃあ、それで充分ですだ……」
……なんだか、詐欺師になったような気がしてきた。
なにも知らないうぶな田舎女を、良いように騙している気がしてなけなしの良心が少しだけ傷んだ……気がする。
それでも僕はうなずき返して、
「じゃあ、依頼は成立ですね。契約書を出してもらいますので、サインをお願いします」
「んだ……おら、さいんなんてすんの、初めてだあ……」
「直筆で名前を書いてもらうだけですから」
三笠木さんからもらった契約書にボールペンをそえて、テーブルの上に置く。
田舎女はロクに内容も読まず、ボールペンをぐーで握りしめ、ごりごりとひどく汚い字で自分の名前を記入した。
「……これでええだか……?」
「はい、たしかに」
サインされた契約書を受け取って、僕は再び三笠木さんに返す。
これで、悪魔の契約は成立した。
『祈り』と『呪い』の物語に、この田舎女も加わる羽目になったわけだ。
……『かわいそうに』。
僕がそんなことを考えていると、背負った赤子が突然火がついたように泣き出した。それに呼応するように、抱えた赤子も泣き出してしまう。
「……ああ、すんませんだべ……おっぺえの時間ですだ……」
そう言うと、田舎女はなんの躊躇もなく服をまくり上げ、べろん、と乳房をあらわにした。
目のやり場に困って視線を逸らした先では、無花果さんがすっかりガキ大将と化して年少年長の子供たちを率いてどたばた走り回っている。
「ああー、ヨダレついた手で触っちゃダメだよー」
幼児は所長が配信をしているスマホに、ヨダレでべたべたの手を伸ばそうとしていた。
「…………」
勝手にデスクの引き出しを開けようとしたもうひとりの幼児を止めながら、三笠木さんがかすかに困った顔をしている。
事務所はすっかり託児所のようになっていた。
「よっしゃあああああ小生に続けええええええ!!」
「……ことりは、ひきこもる……」
子供たちのきゃんきゃんした歓声はさぞかし耳に痛いだろう、小鳥くんはげっそりした顔でのそのそと『巣』に閉じこもってしまった。
普段からにぎやかなのはにぎやかだけど、こんな風に子供が入ってくることなんて初めてだ。
事務所メンバーの全員が子供という生き物に接したことがない人種ばかりだったので、対応に困っている。
……無花果さんは、案外子供好きらしい。
というより、同じ幼児マインドに共感して、同レベルで接しているだけだ。それ以上でも以下でもない。
やっと前後の赤子に授乳を終えた田舎女が露出した乳房をしまうのを確認して、僕は視線を戻した。
おっぱい原理主義過激派としては、授乳のためのおっぱいなど神聖すぎて目に映すことすらためらわれたのだ。
……そもそも、どうして『パーツ』だけになってしまったのか。どういう事故でそんな風になってしまって、どういう気持ちでそれを持って北海道からはるばるやって来たのか。
『本体』はどういうニンゲンで、なにをしていたのか?
『パーツ』だけを残して消えた『本体』の死体は、一体どうなってしまったのか?
僕の中には山ほどの疑問があふれていた。
なにもかもが説明不足だ。
改めて、テーブルの上に置いたままになっている右腕を観察する。
どう見ても、ナマのニンゲンの右腕だ。肘から先を引きちぎられた、ニンゲンの残骸だ。
本物のひとの腕だ。
事故でちぎれたと言っていたけど、それなら『本体』が生きている可能性だってあるじゃないか。
なのに、なぜ『死んでいる』と断言できたのだろう。
……これほどまでに聞きたいことが山積している依頼人も珍しい。
逆に言うと、事務所という日常に突然現れた『パーツ』は、それだけ衝撃的だった。
今まで、バラバラ死体が送り付けられてきたこともある。
『アトリエ』に死体のカケラが転がっていることもしょっちゅうだ。
しかし、依頼人がわざわざ『これでござい』と『パーツ』を提示してくるのは初めてのことだった。
『作品』の一部になるであろう素材のカケラが、目の前に置かれている。その右腕は、圧倒的に異質だった。存在感がいつもの素材とは桁違いだ。
ただの右腕なのに、死体は見慣れていたはずなのに。
僕は今までになく狼狽していた。
……事情を聞きたい。
この『パーツ』 がたどった足跡を、明らかにしたい。
パズルのピースでしかないカケラから、物語全体を一望したい。
この『パーツ』にはどんな『生き様』が、『死に様』があるのだろうか。『理由』が、『原因』があるのだろうか。
そして、無花果さんはどんな『作品』でもって、この『パーツ』から『祈り』と『呪い』をつむぎ上げるのか。
……これほどまでに『知りたい』と思ったのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。
はやる気持ちを抑えて、僕はなるべく真面目そうに見えるように表情をつくろって、田舎女に向き直った。
「……それじゃあ、詳しい話を聞かせてください」
聞きたくてたまらないのが正直なところだけど。
今回はどんな探偵行が繰り広げられるのか、そんなことに思いを馳せながら、僕はじりじりと田舎女が口を開くのを待つのだった。