№2 『パーツ』と『本体』
それは、ある日小鳥くんとお茶を飲んでいるときだった。
事務所の扉がゆっくりと開き、まず飛び込んできたのは赤子の鳴き声だった。
「……ああ、よすよす……すみませんだ……」
見れば、赤子をふところと背中におぶった女性が、必死に泣く子をあやしている。
生活感にあふれた、やつれた中年女性だ。着ているものも何年も前のものらしく、毛玉がついている。生きていくことに疲れたもの特有の覇気のなさで、どこか投げやりささえ感じられた。
そんな女性は、六人の子供を連れていた。
生まれてまもない赤子がふたり、ようやく立って歩けるようになったような幼児がふたり、あとは幼稚園の年少と年長あたりだろうか。
小さい子供たちは、どこかその女性の面影を宿していた。きっとみんな我が子なのだろう。
「……あの、とりあえず、入ってください」
「……ああ、すんませんだ……お邪魔します……」
ぺこぺこと頭を下げる田舎訛りの女性は、子供たちを連れてようやく事務所の中へと入ってきた。
……こんなところに子連れとは、珍しいを通り越して初めてのことだった。治安も悪いし、情操教育上の観点からしても……
「おお! ガキじゃないか! 小生、クソガキは大好きさ! さあ、おねえさんといっしょに遊ぼう!」
その教育上毒素にしかならない無花果さんが、早速歩ける子供たちを率いてどたばたと事務所を走っている。
後に残ったのは、乳幼児をふたり抱いた田舎女だけになってしまった。
「まあ、座ってください」
「……お茶、持ってくる……」
「お願いします」
ととと、と『巣』へ戻って行った小鳥くんは、程なくして緑茶の入った湯呑みをふたつ、お盆に乗せて帰ってきた。
「どうぞ」
「……はあ、すんませんだ……いただきます……」
またしてもぺこぺこと頭を下げて、田舎女は赤子にかからないように注意しながら、あたたかいお茶を飲んでようやくひと息ついた。
にしても、こうしてここへ来たということは依頼人なのだろう。いかにも貧乏子沢山家庭の主婦といった具合の女性は、どんな死体を探しに来たのか?
……そうだ。また『作品』が見られる。
暴力まがいのちからわざでこころに訴えかけてくる、『死体装飾家』の『作品』が。
それだけで、僕の胸はむずむずとうずいた。
……『墓の上で踊る者』として、けっこういい面構えになってるんじゃないだろうか。
だれかが死んだという事実の上に立脚する期待。
倫理ごと飲み込んで消化して、排泄物にしてしまう禁忌の領域に、僕はどっぷり浸かっている。
それを自覚しながらも、僕はあくまでもこの事務所の最後の常識人として振る舞わなければならない。
でないと、最悪依頼を取りこぼしてしまう。せっかくの素材が逃げてしまうのだ。
「……今日は、どちらからいらっしゃったんですか?」
まずは世間話をしようと、田舎女にたずねてみた。
無駄にぺこぺこしながら、田舎女が答える。
「……へえ、北海道の田舎街からですだ……」
「ほ、北海道……? そりゃあ、また遠くからどうも……新幹線で来られたんですか?」
「……いや、まさか……あんな高級な乗り物なんて乗ったことがありませんだ……鈍行列車乗り継いで、二日かけてここまで来ましただ……」
「……二日……」
気が遠くなるような話だ。とても現代社会のニンゲンだとは思えない。おそらく、スマホすら持っていないのだろう。
すやすやと眠る赤子たちを撫でながら、田舎女はつぶやいた。
「……明日食べてくのも難しいのに、新幹線だなんて、そんな大それたもん……わだすたちみてえなもんには、もったいねえですだ……」
どうやら、本格的に貧乏らしい。現に田舎女はがりがりに痩せていて、授乳期ゆえに乳だけが張っている状態だった。耳元から零れる遅れ髪が、余計に生活感をにおわせていた。
「……だとも、ここならお金がなぐっても探してくれるって聞いて……すがる思いで、都会さ出てきたですだ……」
なるほど。どこで見たのかは知らないけど、『代金を取らない探偵事務所』として安土探偵事務所を頼ってきたらしい。たしかに、ここは一切お代はもらっていないけど……
まずは確認事項から。
僕は居住まいを正して、田舎女に向き合った。
「ここは死体専門の探偵事務所です。ということは、奥さんが探している人物もすでに死んでいる可能性が高いんですよね?」
「……へえ、へえ……そうですだ……」
なぜか申し訳なさそうにしながら、田舎女が応じる。とりあえずは、今回も素材のあるちゃんとした依頼だ。
「死んでいる、と判断した根拠はなんですか?」
「……こんきょ、ってなんだべ……?」
教育もロクに受けてこなかったのだろう。簡単な単語につまずいた田舎女に、今度はもっと噛み砕いた言葉で問いかける。
「なぜもう死んでいると思ったんですか?」
「……ああ、そういうことだっぺか……へえ、これを見てもらいてえだ」
そう言うと、田舎女は引揚げ兵士のように肩から下げた巨大なカバンから、なにかの包みを取り出した。
ごと、とテーブルの上に置かれているのは、長さ五十センチ程の棒のようなものだった。それが、布でぐるぐる巻きにされた上にジップロックに入れられている。
「……拝見します」
その棒がなんなのか気になった僕は、ジップロックを開いて布の包みをほどいていった。一枚、二枚と布が剥がされていき、あらわになったのは。
「……っ……!」
思わず、絶句する。
それは、まぎれもなくニンゲンの右腕だったからだ。
肘から先の、おそらくは男性の腕だろう。断面は引きちぎられたようにぐちゃぐちゃになっていて、赤黒く腐った肉と黄ばんだ骨がのぞいていた。
いきなりそんなニンゲンの『パーツ』だけを見せられて、 僕はとっさに言葉が出てこなくなった。
「……へえ、すんませんですだ……」
「……まさか、これ、奥さんが……??」
「いやいや、滅相もねえ……わだすがやったんじゃねえですだ……事故でちぎれたですだ……」
「事故……? っていうか、この腕は一体だれの……?」
「……へえ、うちの主人ですだ……たぶん、だども……」
やっと脳みそが回転を始めた。
要するに、これはなにかの事故でちぎれたご主人の右腕らしい。どんな旦那さんで、どんないきさつでこんなことになったのかはわからないままだけど。
……つまるところ、今回の依頼というのは……
僕が予想していると、その通りのことを田舎女が口にした。
「だども、腕だけ残して肝心の『本体』がどこにも見つからねえだ……腕だけ残っててもしかだね、わだすは主人の『本体』を探してるだ……」
「……『本体』」
この『パーツ』と『本体』。まるで、壊れた超合金ロボットみたいな物言いに、僕は若干の違和感を覚えた。
そうしているうちに、田舎女はソファで平身低頭して、
「おねげえですだ……この腕の『本体』を探してくだせえ……腕だけじゃあ保険金もおりねえだし、こんな腕だけじゃあ葬式も上げらんね……死んだんなら、ちゃんとしてえだ……おねげえですだ……どうか、探してけろ……」
「わかりました、わかりましたから、頭を上げてください」
僕がとりなすと、田舎女はあわれを誘うような追い詰めら得た形相で身を乗り出してきた。
「探してくれるだか?」
「ええ。これから説明することに了承して、契約書にサインをしていただけたら、この依頼は成立です」
「本当に、お金はかがんねだか?」
「もちろんです。安心してください」
……これは、またしても厄介なことになりそうだ。
貧乏子沢山の田舎女が持ってきた、右腕の『パーツ』だけの死体の『本体』を探す。
一体どうしてこんなことになってしまったか。
聞きたいのは山々だけど、僕はまず、事務所のシステムについて説明しなければならないのだった。