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閑話8

 私の中にある『恋』とやらの存在を日下部さんに指摘されてからも、私と春原さんはごく当たり前のように『調律』をおこなった。


 今日も紆余曲折の末やっと終わって、いつも通り春原さんはなぜか怒ったように顔を真っ赤にしながら下着をはいている。手酷く暑かった覚えはないのだが、いつもそうだった。


「てめえ、ほんとに左腕麻痺してんのか!? それにしてはいろいろと元気すぎんだろ!」


 春原さんは『納得がいかない』と言いたげに文句を言ってくる。


 先日の『戦争』で負傷した左腕は、繋がって動いているだけマシだと闇医者に言われた。当然だ、ライフル弾が貫通したのだから、本来ならば致命傷だ。それを無理やり動かしている今、感覚が薄れている程度で済んでむしろ僥倖だった。


 当然感覚は薄れてしまって、余程のことがなければなにも感じられない。春原さんに触れたときの温度も、感触も、透明なフィルムを一枚挟んだようにうっすらとぼやけている。


「真実です、事実、現在左手の感覚はほぼありません」


 その通りに告げて、左手を握ったり開いたりして見せる。その様子を見た春原さんは、口をとがらせながらも納得したように鼻を鳴らした。


「……ふうん」


 私の負傷について、春原さんも思うところがあるのだろう。決してこういった感慨を持ってもらいがためにしたことではないが、結果的には春原さんに負い目を感じさせることになってしまった。


 本当ならばいつの間にか死んでいたというようにしたかったのだが、他ならぬ春原さんが引き止めたのだから仕方がない。日下部さんもだが。


 おそらくは、私が生きて帰ってこなければ、その負い目は『負い目』どころではなくなっていたのだろう。


 それをおそれていたからこそ、春原さんはあんな必死の形相で『てめえの死体なんかぜってえ装飾してやんねえ!』と吐き捨てたのだ。


 でなければ、『調律』自体、続けられなかったはず。


 しかし、春原さんはそれだけでは終わらない。


 にやりとイタズラを思いついた子供のように笑うと、体液でべたべたになった私の左手の指先に唐突に特徴的な犬歯を立てた。牙が皮膚に食い込む。血が出るほどではないが、普通ならば痛みを感じるだろう。


 意趣返しのつもりだろうか。


 その光景をぼんやりと見下ろしていると、


「……こえ、いひゃいの?」


 がじがじと指先を噛みながら、春原さんが舌っ足らずに尋ねてきた。


 隠すつもりもないので、私は率直に答える。


「いいえ。歯の感触はありますが、痛みは感じません」


「へえ……じゃあ、これは?」


 すると、春原さんはまたも急に私の左指を口に含んで見せた。れろ、と熱くなった体温をともなう舌の感触が、おぼろげながら感じられる。


 春原さんが、私の指を舐める。


 舌を這わせ、ちろちろとくすぐり、くちびるで食み、吸い、舐め上げ、じゅぽじゅぽと音を立てて出し入れして。


 ねっとりと、なぶるように。


 挑発的な視線で私を見上げながら。


 ……言われなくともわかる。


 こんなもの、ただの口淫だ。


 対象がペニスではなく指であるというだけで、これはまぎれもなくフェラチオだった。


 今までこんなことはしたことがなかったのに、なぜ今更になって急に。


 私はついうらめしげな視線を春原さんに向けてしまう。


 『恋』を自覚した私にとっては、そしてその『恋』を伝えるべきではないと判断している私にとっては、それは拷問に等しいおこないだった。目の毒でしかない。


 まんまとその毒に侵されて、どうしようもなく、胸がざわつく。うずくいてたまらない。これが切ないという感情なのだろうか。それともいとおしいという感情なのだろうか。


 『恋』をした女性にこんなことをされて、どうにかならない男は、おそらくはこの地球上には存在しないだろう。でなければ、それは男ではなく別の存在だ。


 私はまだ執拗に『口淫』を施されている左手を強引に口元から引き剥がすと、ふやけたその指で春原さんを作業台に押し倒した。気がせいているせいで、少々乱雑になったが。


「……ふへ……?」


 もう『調律』は終わったはずなのに。


 またも組み敷かれた春原さんは、きょとんとして私を見上げている。


 ……どういった言葉が適切なのか、私は自分の脳内を検索した。結果出てきたのは、


「……あなたのようなニンゲンには、再度の『調律』が必要です」


「……は?」


 春原さん風に言うと、『バグった』のだろう。


 この私が。


 激情に流されるままにきつく細い手首を握りしめると、春原さんは少し痛そうに眉根を寄せた。


 しかし、そんなことに構っていられる余裕はない。


 煽ったのは、春原さんだ。


 言い訳のように、繰り返し、繰り返し、頭の中でそうつぶやく。

 

「二回目とか、そんなん言ったことない……」


「あなたがそうしたからです」


 珍しく弱々しい春原さんの言葉を遮って、私は断定的に告げた。


 なにもかも、あなたが悪い。


 私をこんな風にしたのは、あなただ。


 そういった恨みのような感情と欲をないまぜにして、私は再び春原さんの下着を取り去った。


 逃げられないようにがっちりと押さえ込んで、覆い被さるような姿勢でささやきかける。


「罰を与えなければなりません。それが必要です」


 そう春原さんにも、私にも、罰を。


 それだけの罪を犯してしまったのだから。


 肉体だけが繋がって、精神は繋がらない。


 からだは交わっていても、こころは溶け会えない。


 事実として結ばれているものの、本質は平行線のまま。


 私にとっての『調律』とは、そんな痛みを分け合い、認識して、刻み込む行為だった。


 どう考えても、限りなくむなしい行為だ。


 春原さんの『創作活動』とはわけが違う、なんの生産性もない確認行為だ。


 しかし、この行為がないと、私達は繋がっていられない。


 お互い、ニンゲンとして生きていけないのだ。


 この行為は、そういったモンスター同士の『かわいそう』な傷の舐め合いでしかない。それはよくわかっている。


 だが、それでいい。


 だからこそ、いい。


 これが私の役割であり、その役割を果たしながらも『魔女』に触れられる最大限の妥協案なのだから。


 これならば、私は『調律師』のまま『魔女』と交わることができる。免罪符を与えられたいにしえのキリスト教信者のようなものだった。


 この『恋』は、いずれ春原さんに知られてしまうだろう。そうそう隠しきれるものではないと、日下部さんは言っていた。


 しかし、そのときが来るまで、私から告げることは許されていない。おのれに許していない。


 なにがあろうとも、『イエスマイフィグ』と表情を消して従うことしかできない。


 でなければ、私は私でなくなってしまう。


 役割を、失ってしまう。


 だからこそ、私はコンドームのように『調律師』としての仮面をかぶりながら、『魔女』を壊してしまわないためのセーフセックスという『調律』を行うのだ。


 春原さんをニンゲンのままにしておくために。


 『恋』する女性が、遠くへ行ってしまわないように、『こっち側』に繋ぎ止めておく。


「ちょ、待て待て待て!!」


「あなたは黙っていてください」


 じたばたする春原さんの腰をがっちりと抱いて固定すると、私は再び高まった欲望をそのまま春原さんの内側に『突っ込んだ』。


 ……たとえ苦しいだけの行為だとしても、必要不可欠だから。


 『恋』と言うにはあまりにも滑稽な、『調律師』の愛情表現。大の大人が、聞いて呆れるとはこのことだ。


 しかし、いつかこの苦しみが昇華されるときが来ることを信じて、私は今日も『魔女』をニンゲンのままにするために『調律』をおこなうのだった。

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