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№15 おとなのかたおもい

 帰ってきてから、三笠木さんは完全にいつも通りに戻った。今日もデスクで延々キーボードをかたかた叩いている。


 けど、やっぱり左手の動きはぎこちなくて、ときおりタイプミスをする。まだ杖もついていて、しばらくはなくてはならない存在になりそうだ。


 それでも、あの日のようにバグるようなこともなく、ただ淡々としている様子は、『ああ、戻ってきたんだ』と実感するには充分だった。


「あーもー! とことんシケた男だなてめえは! 小生、驚愕の念で胸がいっぱいでござるよ!」


「それはあなたの個人的な感想であり、私はそれについて賛同する意思はありません」


「アーハイハイ、あくまでも『自分はつまんねえ男じゃありゃあせんよ』と言いたいわけだ! そういうとこやぞ!」


「あなたの発言は意味不明です。要領を得ません」


「そこは汲み取れよ、これだから人工無能は!」


「その人工無能を相手に口論をしているのがあなたです」


「は? 小生、別に口喧嘩なんてしてませんけどぅー?」


「ではこれはディベートですか?」


「うっわ、クソほどつまんねえ返答キタコレ!」


 無花果さんも、いつも通り三笠木さんとケンカをしては犬の糞を踏んだような顔をしている。よっぽど初対面でなにかあったのだろうか、このふたりの仲はずっとこんな感じだ。


 ……これが初恋だっていうんだから、三笠木さんも苦労するよな……


 パソコンの画面に向かっている三笠木さんを邪魔するように身を乗り出して、無花果さんはその黒いネクタイを引っ張って言った。


「それより! てめえがいなくて溜まるもん溜まってんだよ! 一発、『調律』付き合え!」


「……今、ですか?」


 これは以前とは違った反応で、三笠木さんは唐突な『調律』の要請に、わずかに眉をひそめて難色を示した。


 無花果さんは構わず首輪のようにネクタイを引っ張り、


「いーまーじゃーなーきゃーやーだー!! 小生、今ビーストモードだからな! ちょっとやそっとで解放してやるつもりねえからな!」


「……了解しました」


 決して強くはないちからで引かれ、三笠木さんが席を立つ。そして、ふたりして暗室へと消えていった。


 ……『恋』を自覚した三笠木さんにとって、この先『調律』も違った意味を含んでくるだろう。なにせ、惚れた女を抱くのだから。


 でも、きっと三笠木さんは自分に言い聞かせるはずだ。


 『これは『調律師』としての役割だ』、と。


 でないと、こんなアンフェア、三笠木さんなら絶対に許せないだろうから。


 肉体関係を持ったあとで恋心に気づくなんて、本当に『かわいそう』なひと。


 無花果さんにこころをつかまえられた時点で、運の尽きだ。


 この『恋』は、はっきりと明言しなければ、無花果さんには伝わらないだろう。無花果さんは、自分自身に対する好意や悪意にはひどく鈍感だ。『作品』さえ届けばあとはもうどうでもいい、とさえ思っている節がある。


 そんな風に自分をないがしろにしている無花果さんは、この『恋』に気づくことはない。


 それでも、三笠木さんの初恋は芽生えてしまった。


 『観測』されない『恋』。


 所長の言葉を借りれば、『二分の一死んでいる恋』だ。


 存在自体が不確定で、もやもやとした不定形。


 よく『恋のやまい』と言われているけど、これは『やまい』というよりは『憑き物』に近いのかもしれない。


 病気よりもっと原始的ななにかだ。


 ……ただ、三笠木さんの『恋』は、完全に『観測』されていないわけではない。


 なにしろ、僕がいるから。


 三笠木さんに『恋』を自覚させた他ならぬ僕自身が、三笠木さんの恋路を『記録』するのだ。


 そうすれば、『恋』は『二分の一死んでいる』状態にはならず、たしかにそこに存在できる。


 僕のカメラが、両目が、三笠木さんの『恋』を確定する。


 そして、おそらくは 僕だけが、『恋』 の存在を知っている。


 ……『記録者』としても、この恋路は応援しなくてはならないのだ。存在を認めて、行く末を見守らなくてはならない。


 叶うにしろ叶わないにしろ、最後まで付き合う必要がある。


 乗りかかった船だ、失恋のやけ酒くらいは付き合おう。そのころには僕も二十歳を越えているだろうから。


「……あいつ、なにさま!?!?」


 ばあん!と暗室の扉が開いて、無花果さんが飛び出してきた。シスター服の裾を直しながら、真っ赤な顔で髪を乱し、息を荒らげて怒鳴っている。


「ありえねえ!」


 ……相変わらず、『調律』でなにか気に食わないことがあったらしい。


 ぼすん!とソファに腰を投げ出すと、足と腕を組んで口をとがらせる。


「……あの、ド変態が……!!」


「私は変態ではありません」


 割とすぐに暗室からでてきた三笠木さんは、『なにか』をくずかごに投げ捨てると、そのままデスクに戻ってしまった。


 ただし、喉仏がひくひくと上下し、こころなしか耳が赤い。タイピングをする指がぎこちないのも、左手の麻痺のせいだけではないはずだ。


 ……今度はなにをやらかしたんだ、このひとは。


 もしかしたら、僕はまた、厄介事を抱え込んでしまったのかもしれない。


 『最終兵器』の『魔女』への片思いなんて、厄介事以外のなにものでもないじゃないか。


「るっせ変態! ムッツリメガネマシン! 小生をなんだと思ってんだよ!?」


「あなたは『庭』の愛すべき『魔女』で、私はその『調律師』です」


 そんな定型句を口にするあたり、やっぱり三笠木さんのスタンスはあくまでも『調律師』らしかった。


 そこからのスタートだ。


 『秘めるが花』が恋心の真髄、とはいうものの、三笠木さんもつくづく報われない。


 ……本当に、前途多難な『恋』だな……


 果たして、僕は付き合いきれるのだろうか……?


「いいか!? 小生、ソッチ方面に関してはノーマルだからな!? 小生が求めているのはあくまでも純然たるエクスタシーだけだ! 肉体的快楽だ! 余計なオプションつけんじゃねえ!」


「しかし、あなたのそれはたしかに反応していました」


「るっせるっせるっせえ!! びっくりしておしっこ漏らしちゃっただけだあんなん!!」


「それは反応と呼ぶべきではないでしょうか」


「ああああああああ深堀りするんじゃねえええええええ!!」


「なんだか、いつにも増してにぎやかだねー」


 頭を抱える無花果さんを見て、配信中の所長がにこにこ笑って茶々を入れる。


 ……これは、勘づいている顔だ。察しのいいこのひとも、そこにある『恋』を『観測』したらしい。


 目が合ったので、僕は肩をすくめて嘆息して見せる。あははー、と所長がまた笑った。


「……くにはるは、少し心拍数がおかしい……?……問題は、解決したはずなのに……」


「小鳥くん、問題というものは、ひとつ解決すればまた次が湧いてくるものなんですよ」


「……そうなの、まひろ……?」


 宇宙服で隣に座っていた小鳥くんに、そんなことを言ってため息混じりにうなずいて見せる。


 不思議そうにしている小鳥くんの頭を撫でてから、僕はソファから立ち上がって事務所の空気を入れ替えることにした。


 窓を開けると、もうすっかり秋らしくなった風が吹き込んでくる。この分だと、今年の冬の寒さも厳しくなりそうだ。


 ……なんにせよ、初恋一年生が迎える最初の冬だ。


 次の冬が来る前に決着がつくのかどうか、それは三笠木さん次第といったところか。


 ……まあ、最後までちゃんと付き合おう。焚き付けたのは僕なんだから、その責任感もある。


 それに、なんとも面白いじゃないか。


 『魔女』と『最終兵器』の恋なんて。


 いかにもこの『庭』らしい。


「聞いておくれよまひろくん! この変態AIがさあ!」


「はいはい、今行きますよ」


 きゃんきゃんわめく無花果さんにそう告げて、僕は秋風に吹かれながら窓辺を後にするのだった。

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