№14 『最終兵器』、帰還す
それから、自力でトイレに行く程度には体力を回復させた三笠木さんは、二週間後には事務所に復帰した。
これでも、ずいぶんと無理を押しての復帰だったのだ。
まだロクなものを食べられないし、以前のような超人的なちからを取り戻すには、しばらく時間がかかるだろう。
リハビリもなくいきなり退院しようとした三笠木さんを、闇医者は最初止めた。
しかし、頑として復帰しますと言い切った三笠木さんに、『自分が、生きている方が不思議なくらいの状態だったことを忘れずに』という言葉だけを告げて退院を許した。
そう、三笠木さんは死の淵から生還したてなのだ。
からだじゅう包帯まみれで、まだ抜糸も終わっておらず、右手で杖をついている状態での復帰となった。
僕が付き添って事務所に帰ると、真っ先に無花果さんからの罵声が降り掛かってくる。
「てめえ! なに二週間も無断で休んでんだよ!?」
「無断欠勤じゃないよー。僕にはちゃーんと連絡来てたからー」
所長のフォローも届かずに、無花果さんは満身創痍の三笠木さんのネクタイを引っ張って怒鳴った。
「小生に断りもなく休みやがって、ってことだよ! しかもまひろくんまで独り占めしやがって! どこまで勝手なんだよ<クソッタレが!!」
「それでも、あなたの言いつけ通りに、私は帰ってきました」
うぐ、と無花果さんが言葉を詰まらせる。こころなしか、勢いが弱まった。
目を逸らし、ぐいぐいとネクタイを引っ張り回して、それからぼそっと告げる。
「……まあ、帰ってきたんならいいけどさあ、どうでもいいよ!」
「待たせてしまって、すみませんでした」
「別にィ? 待ってなかったしィ?? 生き汚いてめえのことだから、うすらぼんやりと、どうせ今回も死なねえんだろうなぁとは思ってたけどね!」
「そういったことを、世間一般では『待っていた』と言います」
「るっせ! いちいち揚げ足取ってんじゃねえよこの人工無能が! いいか、てめえの場合、死体で帰ってこなかったことだけだよ評価できんのは! 勝手に死にかけやがって、待たされる身にもなってみろってんだ!」
「あなたは今、『待たされていた』と自分自身の口で言いました」
「…………あ」
「あなたは私を待っていたことを認めました」
「あー、ナシナシ! 今のはノーカン!!」
「……YES、マイフィグ」
ほんの少しだけ、三笠木さんの頬がゆるむ。いつもよりずっとわかりやすい感情表現に、無花果さんがぽかんとしているうちに、三笠木さんは無花果さんの頭をぽんぽんと撫でてから所長のデスクへと向かった。
かつ、かつ、と杖をつく音が響く。
所長の目前で立ち止まると、三笠木さんは深々とこうべを垂れて言った。
「長々とお休みをいただいてしまって、大変申し訳ありませんでした」
そんな改まった様子にも、所長はいつも通り配信を続けながらへらりと笑うばかりだった。
「いいよいいよー。気にしないでー。『休め』って命令したのは僕なんだしさー」
「……しかし、」
「あーもう、杓子定規なところは死にかけても治らなかったみたいだねー。君は命令を遂行しただけでしょー。結果的に、君も僕たちも不幸にならずに済んだ、それでいいじゃーん」
「……ありがとうございます」
「うんうん、聞き分けのいい子は好きだよー」
……さすがの三笠木さんも、所長には頭が上がらないか。完全に子供扱いされて、それでも三笠木さんに不服そうなところは一切なかった。
三笠木さんは頭を上げると、無理やりに背筋を正して、
「私は本日から通常業務に復帰します」
「うん、無理しないでねー。されても困るからー」
「肝に銘じます」
突き放すような言葉は、照れ隠しだろうか。
いや、三笠木さんの性格上、こういう言い方をした方が受け入れやすいと読んでのことだろう。
つくづく、このひとは『庭』を支配する『ヌシ』だ。
きっと、こうして所長が命令をしているからこそ、三笠木さんはこの『庭』に安心して存在していられる。
『命令』という体裁があるからこそ、三笠木さんは『最終兵器』でいられるのだ。
アイデンティティのすべてを所長に握られているというこの状況、もしかしてすごく危険なのでは……?
ふと思ったけど、僕はあえて口には出さなかった。
そうやってタイトロープを渡っているのは、みんな同じだ。この『庭』は極めて危うい均衡の上に成り立っている。三笠木さんも、無花果さんも、僕も例外ではない。
ぎりぎりのバランスを保ちながら、『庭』の日常はやっと戻ってきたのだ。
『最終兵器』の帰還によって。
ここへ帰ってきた『理由』は、『命令』があったからだ。三笠木さんには、その『命令』を遂行する義務があった。
けど、きっとそれだけじゃない。
三笠木さんは、『命令』じゃなく、『約束』をした。
必ず生きて帰ってくると、無花果さんに宣誓したのだ。
だから、三笠木さんがこの『庭』に存在する『理由』は、もうひとつだけ増えてしまった。
……今のところ、その『理由』を知っているのは、僕だけだ。『最終兵器』が『魔女』に『恋』をした、という事実を知っているのは、僕だけ。
無花果さんは絶対に気づかないだろうし、三笠木さんも簡単には悟らせないだろう。
所長辺りは察してくるかもしれないけど、わざわざ無花果さんに教えるとは思わない。そんな親切なニンゲンではないことくらい、よく知っている。
あとは、僕がどれくらいふたりの仲を取り持つかによるけど……相手が相手だ、絶対に骨が折れる。
そもそも、『最終兵器』の初恋だなんて、僕の手には余るかもしれない。
しかし、恋心を唯一知っている僕ががんばらなくてどうする。外野はすっこんでろと言われるかもしれないけど、お節介を焼かずにはいられなかった。
……職場のオバチャンという生き物は、こういう気持ちなのかもしれない。
ともかく、前途洋々とは行かない『恋』だ。
三笠木さんには少しづつ、『恋』というものを学習してもらう必要がある。
10も年上の大の男に、童貞の僕が教えられることなんて、そんなにないんだけど。
それでも、応援すると決めた以上、ふたりにはなんとかくっついてもらいたい。
僕が無花果さんに抱いている感情は、絶対に恋愛感情ではない。類似しているかもしれないけど、決して違うと言い切れる。だからこそ、特段嫉妬もせずに、ふたりのことを応援できる。
……無花果さんの方はどうなるか、全然予想がつかないけど。
そもそも無花果さん、恋愛なんてしたことあるのか……?
性的な経験ばっかり豊富なキムスメの可能性は高い。なにせあの無花果さんだ、どうなっても今さら驚くまい。
そうなると、恋愛初心者同士ということになるけど……
……もしかしたら、僕はとんでもない恋愛をサポートしようとしているのかもしれない。
でも、前言撤回するわけにもいかない。
「いつまでもぼさっと突っ立ってんじゃねえよ、邪魔なんだよクソデカタワーPCが! とっとと定位置戻れ! ハウス!!」
「了解しました」
やっぱりまったく気づいていない無花果さんの言葉に、三笠木さんは顔色ひとつ変えずに返した。
……本当に、これ、『恋』で間違ってないよな……?
自分で言っておいて、今になって不安が募ってくる。
常識の埒外にいるふたりの、始まったばかりの片思い。
からだは繋がっているくせに、こころは繋がっていない。そんないびつな無花果さんと三笠木さんの関係を、少しづつニンゲンらしいものにしていこう。
そうこころに決めると、僕は三笠木さんに肩を貸しながら、いつものデスクへと連れていくのだった。