№12 やめてくれ
「……神など、いません……少なくとも、私にとっては不必要です……ニンゲンは死ねばただの腐りゆく肉塊でしかなく、たましいなどは存在しません……そして、それによって引き起こされる情動は、ただの脳内物質のまやかしでしかない……」
三笠木さんが、ふいに目を細めた。奥歯がぎゅっと鳴る音がする。
「……そのはず、だったのに」
大きくため息をつき、三笠木さんは瞑目して眉根を寄せた。
「……あの『魔女』です……実にバカげた存在です……『死』に意味などを見出そうとするとは、愚か極まりない……本当に、バカげている……バカに、している」
いらだちと、あきらめと、あこがれと、いとしさと。
そのすべてを詰め込んだ声音で、三笠木さんは無花果さんのことを語った。
「……『創作活動』をおこなう春原さんを見ていると、あの日戦場に捨ててきたはずの私の感情が、どうしようもなく揺さぶられます……まるで、幻肢痛に悩まされる患者のように、私の胸が痛むのです……たましいが、たしかにここにいると、私に向かって主張するのです……」
それは、三笠木さんにとっては苦痛でしかなかっただろう。要らないものとして捨ててきたものが、まだ亡霊のように取り憑いているのだから。
どこまでも付きまとってくる、たましいの呼び声。
たしかに、三笠木さんは『作品』を理解しない。
しかし、『創作活動』 に打ち込む無花果さんの姿は、三笠木さんのニンゲンだった名残を呼び覚ました。
無花果さんのたましいと、三笠木さんのたましいが、共鳴したのだ。
ひとの『死』でしか『表現』が、生きていくための『排泄』ができない無花果さんの姿は、さぞや滑稽で無惨で『かわいそう』に見えるだろう。
しかし、三笠木さんは失ったはずのこころのどこかで、そんな無花果さんと自分を重ねてしまった。
そうなったら、一巻の終わりだ。
あとはもう、『魔女』のとりこになるしかない。
三笠木さんはつむった目元を片手で覆い、
「……春原さんは、ああなってもなお、生きようともがいている……バカげています……愚かしい……しかし、どうしようもなく情動に訴えかけてくるのです……『いのち』というものを体現するように、私に迫ってくるのです……」
いのち。感情。たましい。思い。
すべて捨てたはずのものなのに、無花果さんの姿は見るものにそんなものを思い出させる。
『お前だってニンゲンだ』、そして、『お前だって『モンスター』だ』と、その両方を突きつけてくる。
三笠木さんも例外ではなく、まんまと無花果さんに『充てられて』しまったのだ。
泣いているのだろうか?……いや、それはないか。
三笠木さんは目元に手をやったまま、途切れ途切れに続けた。
「……私がなによりもおそれることは、『兵器』でなくなることです……置いてきたはずの感情を、たましいを、揺さぶられることがこわいのです……だというのに、春原さんは容赦なく私のこころを殴りつけてきます……もう失ったはずの私のこころが、痛むのです……『ここにいる』、『見捨てないでくれ』と」
『最終兵器』がニンゲンだったころの名残。
三笠木さんの中にあるその名残は、絶対に捨てられないパズルの最後の1ピースだ。なくしてしまったら、ニンゲン『三笠木国治』は成立しないし、『モンスター』でもいられなくなってしまう。
思い出せ。
忘れるな。
『お前は機械ではなく、ただのニンゲンにすぎない』と、無花果さんはどうしようもなく訴えかけてくる。
たとえその『作品』を理解できなくても、必死に『創作活動』に打ち込んでいる、生きている無花果さんを見ると、だれもがこころのどこかを震わされる。
僕だってそうだ。
そうして『魔女』に共鳴した『共犯者』たちが集まったのが、あの『庭』なのだから。
「……だから、春原さんにはニンゲンでいてもらわないと、私は困ります……本物の『モンスター』に成り果ててしまったら、私にはどうしようもできない……私の肌身が神話的な暴力に晒されてしまいます……春原さんには、肉塊でいてもらわなければなりません……いないはずの神を、私に見せないように……」
そう、完全に神話の中の『モンスター』になってしまった無花果さんなんて、三笠木さんが散々存在を否定してきた神そのものだ。
成り果ててしまったが最後、三笠木さんのアイデンティティが音を立てて崩れ去ってしまう。
おそらくは、その自我さえも。
だからこそ、三笠木さんは無花果さんを必死にニンゲンたらしめている。『最終兵器』しかり、『調律師』しかり。ニンゲンの側に引き止めておくために、三笠木さんはその役割を果たしているのだ。
僕は、行き着く先が神であろうとなんであろうと、構いはしない。物語には干渉できず、ただ一歩引いたところからすべてを見届ける『記録者』だからだ。どんな結末が待ち受けていようとも、目を逸らさずに最後まで付き合う。
しかし、三笠木さんは違う。
無花果さんが神の領域に入ってしまったら、もうそこで『三笠木国治』というニンゲンがこころから信じてきたものは、木っ端微塵になってしまう。あたかも、地雷で弾け飛んだキリルの死体のように。
神は存在する、と認めてしまうことになるからだ。
それをよく承知しているのだろう、三笠木さんは目元を覆ったまま、声を詰まらせながら、絶息のような声音で嘆願した。
「……お願いです……これ以上、私を惹き付けないでください……私を魅了しないでください……あなたは、存在するだけで私を壊してしまう……私が信じてきたことを否定するのに、なぜあなたはそんなにも美しいのですか……」
それはまるで、信仰に悩む司祭のような告白だった。
信じたくない。しかし、信じざるを得ない。
無花果さんが『創作活動』をして生きている限り、その懊悩は三笠木さんを責めさいなんでやまない。
だから、三笠木さんは必死になって無花果さんを引き止める。ただのニンゲンでいてくれと、その腕をつかんで離さない。
……そんなの、好きだと言っているようなものじゃないか。
執着以外のなにものでもない。
三笠木さんは、本当に無花果さんのことが好きなのだ。
好きで好きで仕方ないから、その『好き』という感情そのものをこわがる。感情におびえている。
それでも、『好き』だから、目をそらせない。
どうしようもなく惹き付けられてしまう。
その二律背反の中で、三笠木さんがかろうじて取れる折衷案が、『最終兵器』『調律師』という役割だったのだろう。
一度壊れてしまったものを作り直すには、とても勇気がいる。なにせ、もういつかは壊れてしまうものだと思い知らされているのだ、また一から作り上げるなんて余程の覚悟がないとできはしない。
壊れても構わないという、覚悟が。
とりわけ、たましいに関連する部分を差し出そうとしているのだから、立ちすくんでしまっても仕方がない。
『魔女』 の『呪い』の被害者が、ここにもひとりいた。
同じように呪われている僕からしてみれば、『お気の毒様』という言葉しか思い浮かばない。
『好き』だから、こわい。
『好き』だから、離れられない。
だから、こわいけど、離れられない。
そんな単純なロジックで、この『最終兵器』は動いているのだ。
ただ、無花果さんをニンゲンのまま生かすためだけに、いのちを差し出した。文字通り、死にかけた。
そうするだけの価値があると、『好き』だと認めてしまったから。
……今回の戦争は、いわばいのちがけの告白も同然だった。
結果、三笠木さんは生き残って、『魔女』の『呪い』に引き続き悩まされ続ける羽目になってしまったわけだけど。
ぴ、ぴ、と心電図のモニターが電子音を奏でる。
ほんの少しだけ、そのテンポが早くなった気がして、僕は決意を固めて、口を開くのだった。