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№11 神様が死んだ日

 それからも、しばらくの間鎮静剤と麻酔が切れず、三笠木さんはぼうっとしてベッドで眠っていた。


 ときおり目を覚ましてはもそもそとメガネをかけて、僕がすりおろしリンゴを食べさせる。食べる量も段々と増えてきて、十日経ったくらいのころには一日に三つ食べられるようになった。


 それでも、意識は混濁したままだった。


 ……今もまた、さっきまで眠っていた三笠木さんがぼうっと目を開いた。


「起きましたか。リンゴ、食べますか?」


 読んでいたカメラ雑誌を置いて立ち上がろうとした僕の袖を、三笠木さんがつかむ。まるで迷子の子供みたいだ。


「……リンゴは、結構です……その代わり、私は少し話したいです」


 ……意外だった。


 三笠木さんから話したいだなんて、今までなかったことだから。


 しかし僕はその驚きを顔に出すことなく椅子に座り直し、


「わかりました。話、聞きますよ」


 そう言って、三笠木さんの次の言葉を待つ。


 意識がはっきりしない状態で言葉を探しているせいで、なかなか続きは出てこなかった。


 やがて、三笠木さんが語り始める。


「……私は、かつてフランス外人部隊に所属していました……いわゆる傭兵です……私の青春時代はほぼすべて、軍属の状態で過ごしました……私はそこで様々なことを学び、そして様々なものを失いました……」


 おそらくは軍人経験でもあるのだろうと思っていたけど、まさかフランス外人部隊だったとは。そんなの、プロの傭兵集団じゃないか。道理で超人的な戦闘能力なわけだ。


 三笠木さんは続ける。


「……私は多くの仲間を得て、多くの仲間を見送ってきました……戦場で兵士が死ぬことは、一般的なことです……だれもが覚悟をして、志願しました……私もまた、死ぬ覚悟はそのときに決めました……兵士は戦場で死ぬものだと、そのときに叩き込まれました……私は、なんの疑問も抱きませんでした……」


 ひと呼吸おいて、三笠木さんの不自由な左指が、きゅ、と白いシーツを握りしめる。まるで、感情を逃すように。


 それでも、珍しく三笠木さんの口調は早まっていた。


「……しかし、民間人は別です……民間人の生命は、兵士によって守られるべきです……戦場などで、死ぬべきではない……アブラハムも、ヨナも、キリルも……死ぬべきではなかった……」


 はっきりしない意識の中で、三笠木さんは思い出の中をさ迷っている。耳慣れない名前が出てきたのでよくわからなくなってきた。


 相変わらずぼんやりと、三笠木さんは話の先を続けた。


「……私はあるとき、紛争地帯に教師として潜入しました……小学校の教諭です……そのとき、その子たちは私のたった三人の生徒でした……私と初めて会ったときに、ヨナが言いました……『先生の英語は教科書に載ってるみたいだ』と……」


 ……なるほど。


 だから、三笠木さんは今もこんな風にしゃべっているのか。断ち切ることなど叶いはしない、過去の呪縛。忘れないようにと、おのれを戒めるように。


「……私達は、教師と生徒として日々を過ごしました……ときにいたずらをされ、ときに叱り、ときにいっしょに食卓を囲み、ときに教え、ときに教えられ……私たちの間には、たしかなきずなができていました……三人は、今でも私にとって誇るべき生徒です……」


 『今でも』。そんな言葉が出てくるということは……先が見えてきた。


 しかし、三笠木さんは傷のカサブタをむしるように話し続ける。


「……あるとき、私たちの目的であるテロリストたちが、小学校のある村を占拠しました……いち早くその状況を本部に知らせた私もまた、戦場に赴きました……武装した状態で村に入った私の目に飛び込んできたのは、惨状でした……家は焼け、ひとが死に、なにもかもがめちゃくちゃになっていました……」


「……三笠木さん、もういいです。いいですから、少し眠りましょう」


 どんどん顔色が悪くなっていく三笠木さんを、僕は止めようとした。これ以上話してなにかが良くなるなんてことはないような気がしたからだ。


 しかし、三笠木さんは止まらなかった。


 ぼうっとした目で、かすかに手を震わせながら、顔面蒼白で語り続ける。


「……アブラハムと、ヨナの死体を、見つけました……ふたりとも、陵辱されていました……キリルの姿がなかったので、私はあちこち探しました……私が名前を呼ぶと、物陰からキリルが飛び出してきました……『先生、助けて』、と……泣きながら、私に向かって駆け寄ってきました……」


 もういい。もういいんだ。あなたは充分に戦った。


 それ以上、傷つかなくていいから。


 ……けど、それは『記録者』が決して吐いてはいけない弱音だった。目をそらしてはいけない、耳をふさいではいけない。なにもかもを見届けるのが、僕の役割だ。


「……途中、キリルは地雷を踏みました……その瞬間、キリルのからだはばらばらに弾け飛んでしまいました……私が駆け寄ると、まだ残っていた頭部で、キリルは、キリルは……『先生』、『せんせい』、『いたいよ』と、泣きながらつぶやいてから、ようやく息絶えました……」


 ……やっぱり、バッドエンドじゃないか。


 胸にやり場のないもやもやが込み上げていく。


 しかし、三笠木さんの物語はそれで終わりではない。


 その先には、絶望が待っている。


「……私は、キリルの死体を抱えながら泣きながら吠えました……『神などいない』と、喚き散らしました……実際に、私は神の不在を確信しました……なぜなら、キリルにこのような残酷な死を与えた神など、むしろいない方が良いクソ以下の存在だからです……」


 神などいない。だから、『死』に意味などない。ニンゲン、死ねばただの肉袋。そこに意味を見出そうとする方がバカげている。


 そういう三笠木さんが『死体装飾家』の無花果さんと相容れないのは、そういう理由があってのことか。


 一番つらい部分を語り終えた三笠木さんは、わずかに弾んだ息を整えてから、


「……それから、私は単騎でテロリストたちを皆殺しにしました……武器弾薬が尽きるまで、100人ほどを殺戮しました……機械的に、効率よく、精密に……私はそのとき、『兵器』になりました……ただの、殺人マシンに成り果てたのです……」


 絶望の果てに待っていたのが、『最終兵器』の誕生だった。そのときに、三笠木さんはニンゲンとしてなにか決定的なものを失ってしまったのだろう。ひとを100人以上殺しても、なにも思わないくらいに。


「……感情は、そのときに捨てました……こころの動きなど、情動など、『兵器』には不必要だからです……ただ、殺す……そのためには、無駄な感情などむしろ邪魔になるだけです……私は、殺人マシンです……だから、なにかにこころを動かされることはない……あってはならないのです……」


 三笠木さんがそういう結論に至ってしまったのも、無理からぬことだった。目の前で自分の生徒が爆死して、それでも神様を憎まないニンゲンなんて、聖人君子なんかじゃない、ただの化け物だ。


 なにも間違っていない。


 間違っていたのは世界の方だ。


 だから、三笠木さんの中で、その日世界は、神様は死んだ。きっぱりと見切りをつけて、決別してしまった。


 きっと、同じ立場に立たされたら、僕だってそうするだろう。憎むか、無視するか。その二択しか、三笠木さんには残されていなかった。だから、無視をした。それだけの話だ。


 そうして、『最終兵器』は泣きながらこの世に生を受けた。泣いたのはきっと、そのときだけだったのだろう。涙も感情も、すべてキリルの死体といっしょに葬ってきた。


 三笠木さんがどうしてこんな話を僕にしたのかはわからない。


 けど、僕には聞く権利と義務がある。


 だから、僕はその話の先を無言でうながすのだった。

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