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№9 『ごめんなさい』

 ゆっくり、ゆっくりと、三笠木さんは茶室へと向かっていった。僕はフィルムの切れたカメラを首から下げて、その後を追いかける。


 茶室の狭い入口を開くと、そこには死装束に身を包んだ小さな老人が正座していた。


「……来たか」


 まるでこうなることをすべて知っていたかのように落ち着き払っているこの老人こそが、敵の総大将なのだろう。


 三笠木さんは畳に盛大に血痕をぶちまけながら、先ほど剣客の喉を貫いたやいばの切っ先を握りしめて、老人の眼前に立ちはだかった。


「…………しつれい、します…………あなたの…………いのちを、いただきに…………きました…………」


「それくらい知っとる」


 そんな三笠木さんを見ても、老人は眉ひとつひそめない。最期の瞬間を迎えようとしている傑物とは、こういうものなのか。


 ……それにしたって、落ち着きすぎではないか。


 三笠木さんにしたって、あの剣客にしたって、自分のいのちに無頓着すぎるのだ、この世界の住人たちは。


 いのちが失われようとしているのに、どうしてこんなに平然としていられる?


 ……僕には一生理解できないだろう。


 したくもない。


「タマ、取るなら取れ。お前さんのもんだ」


 老人が、波に削られたいわおのような声音で告げる。


 三笠木さんは、流血でふさがった片目をぬぐってから、


「…………ちょうだいします…………」


 もうロクに狙いも定められず、がくがくとにぎったやいばの切っ先を揺らし、なんとか老人の喉笛にあてがった。


 老人は微動だにしない。


「…………ごめん、なさい…………」


 三笠木さんが、そうつぶやいたように聞こえた。


 次の瞬間、老人の喉をやいばが貫く。ぱしゃ、と鮮血が床の間の掛け軸に飛び散った。


 ゆっくりとその場に倒れ伏す老人は、首の骨まで貫通した刃物によって即死した。そのつぶらな瞳からは光が失われ、全身の筋肉が弛緩する。


 ……幕切れとしては、あっけなさすぎた。


 このひとりのいのちを取るために、何人殺したのか。


 三笠木さんも、なぜ死にかけているのか。


 ……わかりっこない世界だ。


「…………てきえい、なし…………おーる、くり、あ…………」


 いつものようにそう言いかけたところで、さすがの三笠木さんも立っていられなくなった。どさ、と血まみれのからだが茶室の畳に崩れ落ちる。


 むしろ、ここまで立って動いていたことがおかしいのだ。


「三笠木さん!」


 どんどん広がっていく血溜まりの中心にいる三笠木さんを助け起こし、その『死』を食い止めようとする。けど、傷なんて数え切れないくらいで、どこを押さえても別のところから血が吹き出した。


 その瞳から、光が失せていく。花火のように鮮明に輝いたあとの静寂が、『死』が訪れようとしている。


 僕は必死になってそれを止めようとした。


 三笠木さんというニンゲンを、生かそうとした。


 けれど、もうこの流れには逆らえそうにない。


 運命の車輪は、『終わり』に向かって回り続けている。御者の死神が、『乗るなら早く乗れ』と地獄行きの馬車のベルを絶え間なくかき鳴らしている。


 ……ダメだ。


 いかせるものか。


 僕はもう意識を失っている三笠木さんのからだを背負った。上背もあって筋肉もあるからだはそれだけで重いのに、返り血の分余計に重かった。昏睡しているニンゲンというのは、運ぶのがとても難しい。いつも死体を担いでいるけど、死にかけのニンゲンなんて運ぶのは初めてだ。


 ……重い。けど、まだあたたかい。


 その事実に安堵して、次にその温度が失われつつあることに戦慄する。


 早くしないと。


 このままじゃ、死神の馬車に追いつかれてしまう。


 今度はお前が進む番だ、日下部まひろ。


 逃げろ。


 僕はずるずると三笠木さんのからだを引きずって、茶室を出た。まだ転がっている剣客の死体をまたぎ越えて、血の跡を引きながら進む。


 たちまち息が上がって、心臓がばくばく言い始めた。足が上がらなくなってきて、背負った重みが増していく感覚に陥る。


 それでも、僕は止まらなかった。


 いかせるものかと、必死こいて踏ん張った。


 ずる、ずる、と絶え間なく血をこぼすからだを引きずりながら、死屍累々の戦場を逆戻りしていく。


 もう生きているのは僕たちしかいない。


 三笠木さんだって、死にかけている。


 たったひとりの生存者にはなりたくなかった。ちゃんとふたりで事務所に戻らなければ。


 でないと、無花果さんになにを言われるかわからない。


「あああああああああああ!!」


 無駄に吠えて、気合を入れる。三笠木さんのからだを背負い直して、僕も血まみれになりながら一歩一歩を刻んでいく。


「こちとら、あなたのこと頼まれてるんですよ! 僕だけじゃ、無花果さんの面倒なんて、とても見切れたもんじゃないですよ!? わかってるんですか!?!?」


 意識を失っているので聞こえるわけがないのだけど、僕は三笠木さんに向かって、というか自分に向かって喚き散らした。


「だいたい!! なんですか、『死に様』を撮影してほしい、って!! 僕は、戦場カメラマンになったつもりなんて、ないですよ!?!?」


 そうだ。みんなみんな、自分勝手すぎる。


 なんでもかんでも僕に丸投げして。こっちの身にもなってみろ。ああ、だんだん腹が立ってきた。


「僕が撮りたいのは!! あなたの『生き様』なんですよ、三笠木さん!! あなたの死に場所は、戦場なんかじゃない!! あの『魔女』の『庭』だ!! 僕たちには、あそこしかないじゃないか!! 他に行くあてなんて、どこにもないだろ!?!?」


 だというのに、勝手に死にに行って。そんなの許されるはずがない。


 いくつもの死体を越えて、僕はとうとう日本家屋の外に出た。それでも、軽トラが停めてある門までまだ庭園が広がっている。先は長い。


 いつしか、夜空には丸い月がのぼっていた。去りゆこうとしている夏をしのばせる、十五夜近くの月だ。


「ああもう!! たしかにね!! 僕たちのこと守って、身代わりになって、それで戦死とか、めちゃくちゃカッコイイじゃないですか!! けどね!! そんな上っ面だけのカッコ良さなんて、クソの役にも立たないでしょう!!」


 ずる、ずる。


 まだまだ血はあふれ出し、人体にはこれほどの血液が詰まっていたのかと驚いてしまう。


 赤い足跡を刻みながら、ドーベルマンの死骸をよけ、最後のひと踏ん張りだ。


「死ぬな、とは言いませんよ!! みんな、いつかは死ぬんだ!! けど、ひとりだけ華々しく散ろうだなんて、今さらムシが良すぎるんですよ!! あんたは『モンスター』だろう!! もっともがき苦しめよ!! みっともなくあがいて……生きろよ!!」


 もうそれは独白でしかなかった。もしかしたら、この瞬間にも三笠木さんのいのちの火は消えてしまっているのかもしれない。僕はただ、いつもどおり死体を担いでいるだけなのかもしれない。


 けど、僕は託されたんだ。


 だったら、最後まであがいてやる。


 それが、『モンスター』の無様な『生き様』だ。


 なんとかたどり着いた軽トラの助手席に、三笠木さんのからだを押し込んだ。おそるおそる心臓に手を当ててみると、まだかすかに動いている。


 まだ、間に合う。


 急いで運転席に飛び乗ると、血まみれのままエンジンをかけてハンドルを切った。対向車から見たら、ちょっとした事件になるかもしれないけど、構うものか。


 ……たしか、所長が前に闇医者のことを配信で話していた。どこにあったか、必死に思い出そうとする。


 いや、思い出してからじゃ遅い。走りながら思い出そう。


 とにかく『間に合え』と願いながら、僕は半死人を乗せた軽トラで、深夜の街を疾走するのだった。

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