№7 ブラッディトレイル
「三笠木さん!!」
駆け寄ろうとした僕を、三笠木さんは無事な方の手で制した。
「……致命傷ではないので、問題ありません」
「けど!」
「スナイパーです。私は屋外から狙撃されました。縁側から離れて、室内に退避します」
そう言って、三笠木さんは左腕を垂らしたまま障子を蹴破って日本家屋の内部へと入っていった。僕もそれを追う。
ここらの敵はあらかた殲滅してしまったので、室内に入ってしまえばいっときはしのげるだろう。
畳敷きの部屋に座り込んで、三笠木さんは顔色ひとつ変えずに喪服のジャケットを脱いだ。すでにワイシャツは腹まで真っ赤に染まっていて、布地に溜まった血が今もまだぽたぽたとこぼれ落ちている。
三笠木さんはジャケットの袖の部分を使って、被弾した左肩をきつく縛り上げた。
……それだけだった。
「行きましょう」
「行きましょう、って……!」
「問題ありません」
「そんなに血が出てるのに、大丈夫なはずないでしょう!」
つい、僕も声を荒らげてしまった。
だって、こんなの正気の沙汰じゃない。
こんなの……『最終兵器』だって死んでしまう。
現実味を帯びてきた『死』にからだを震わせていると、三笠木さんは片手で弾倉をイジェクトして、
「私はこの程度で行動不能になることはありません。この程度の負傷ならば何度か経験があります」
「そのたびに死にかけてきたんでしょうが!」
「問題ありません。何度か死にかけてきたということは、つまり何度か生き残ってきたということです。心配ありません。私は生還を『命令』されました。任務は遂行します」
……そうだ。
無花果さんは、『生きろ』と吠えた。
そして、三笠木さんは『イエス、マイフィグ』と答えた。
それがすべてだ。
僕にできることは、そんな『生き様』を『記録』することだけ。それ以外、物語には干渉できない。それが、『記録者』としての役割だから。
ぐ、と奥歯を噛みしめ、腹の底にある淀みを押し殺し、再びカメラを手にする。まだからだは震えているけど、シャッターは切れる。
三笠木さんは、トリガーを引く。
僕は、シャッターを切る。
そういう『共犯者』だ。
覚悟を決めろ、日下部まひろ。
がちゃん、と弾倉がリロードされる音が、再演の合図だった。
またスナイパーに狙われることを避けるためだろう、三笠木さんは屋内を進むことにした。次々に襖を蹴破って、奥へ奥へと踏み込んでいく。
左腕からの出血は、まだ止まらなかった。畳には血液の痕跡が尾を引いて、僕たちを追いかけてくる。
またも複数の敵からの襲撃を受けた。さすがの三笠木さんも、片腕だけでは二発で済ませることはできず、出会いがしらに何発も敵の頭に銃弾を叩き込む。
回避し損ねた一発が、三笠木さんの右の太腿を貫いた。それでも三笠木さんは膝をつかない。
右足を引きずり、なおも変わらないスピードで突き進む。それはまるで、修羅道をゆく悪鬼のような行進だった。
廊下の角で待ち伏せしていた敵が何人か、発砲してきた。その何発かは三笠木さんの腹や腕に着弾し、血の飛沫を散らす。こめかみをかすめた弾丸が、顔面の肉をえぐる。
それでも、三笠木さんはリロードした拳銃で応戦した。片腕で発砲するのでは、反動で照準が定まらない。三笠木さんの弾丸は何発か逸れて、しかしなんとか敵を仕留めた。
こめかみをえぐった弾丸で、顔面は半分血まみれになっている。三笠木さんは一旦メガネを外して、右肩で目元を拭ってからまたメガネをかけ直した。
そして、進む。
僕もシャッターを切り続けた。動きの鈍った三笠木さんは、僕のカメラでもとらえられるくらいになっていた。それだけダメージを受けているということだ。
それでも、進む。
襖を蹴破ると、そこは中庭のようになっていた。こんな広大な日本家屋、見たことがない。一体どれだけの敷地があって、倒すべき大将は一体どこにいるのだろうか。それまでに、何人の敵を倒せばいいのだろうか。
……僕の方が気が遠くなりそうだ。
中庭には、当然のように敵が複数待ち伏せしていた。
たん、たん、とあくまでも冷静に三笠木さんはターゲットに向かって発砲する。その間にだって、銃弾を受けるたびにからだが痙攣していた。
やがて、三笠木さんの拳銃から、かちりという音がする。弾切れだ。リロードしないということは、もう予備のマガジンはないらしい。
三笠木さんは、腰の後ろに差していた長大なグルカナイフを抜き払った。負傷した足で、ぐ、と踏み込み、銃弾の雨を掻い潜って敵に肉薄する。
順番に喉をかっさばき、腹を裂き、心臓を貫く。剣舞と言うにはあまりにも無様な、手負いの獣の足さばきで。
赤黒い血がしたたるグルカナイフを引っさげて、三笠木さんは止まらなかった。もう銃弾は尽きたというのに、今度はナイフ一本で敵を皆殺しにしようというのだ。
もう、ワイシャツは血染めになっていた。三笠木さんの血が、敵の血か、それすらもわからない。血と硝煙のにおいで頭がくらくらする。
三笠木さんはまたメガネを外して、目元に溜まった血を拭った。その瞳の焦点はすでにブレ切っている。
それでも、三笠木さんは止まらない。
足を引きずり、血の痕跡を引きながら、まっすぐ前へと進んでいく。
渡り廊下にも敵が何人も潜んでいた。サブマシンガンが乱射され、そのうち何発かは確実に三笠木さんを削る。
弾雨の中、血化粧の三笠木さんは無様なダンスを踊り続けた。
強引に敵との距離を詰めると、その頚椎ごと首をはねる。返すやいばでもうひとりの腹を引き裂き、さらに踏み込んでもうひとりの胸を袈裟懸けに切り伏せる。
きいん!と音を立てて、グルカナイフの刃が半ばから折れてしまった。敵は防塵繊維の防弾ベストを装備していたらしく、無理な斬撃が祟ったのだろう。
もう、三笠木さんに武器は残されていない。
……それでも、三笠木さんは、止まらない。
完全な徒手空拳で、敵を殺す。
骨を折り、肉を打ち、内蔵を叩き、殺す。
最後のひとりになるまで、徹底的に殺す。
……なんなんだ、このひとは。
まるっきりの『モンスター』じゃないか。
ブギーマンなんか目じゃない、本物の殺戮の使者だ。
通った後には、生きているものはだれも立っていない。
いのちあるものに『死』をもたらす、死神だ。
……けど、その死神だっていつかは死ぬ。
こんな無茶をしていたんじゃ、なおさらだ。
現に、もう三笠木さんは限界らしく、足取りがおぼつかない。立っているのが不思議なくらいの出血量、三笠木さんでなければとうの昔に倒れているはず。
何度も、もうやめようと言いそうになった。
けど、それは『記録者』として許されない行為だった。
物語には干渉できない。それが、『記録者』としての制約であり、足枷であり、守るべき一線だった。
だから、僕はシャッターを切る。
一枚写真を撮るごとに、『生きろ』と祈りを込める。
『あなたは『モンスター』として死ぬべきじゃない』、『ニンゲンとして、『庭』で死ぬべきだ』と。
それからも、三笠木さんは何人もの敵をほふった。
何発も弾丸を受けながらも、首の骨を折り、内臓を潰し、頭蓋を叩き割り、殺して殺して殺しまくった。
もう、三笠木さんが立っていた場所にはそれだけで血溜まりができていた。それだけの出血をしている。
動けるはずがないのに、動いている。殺している。
……これが、『庭』の『最終兵器』。
『モンスター』であり、同時に僕の『共犯者』でもある。
ああ、また殺した。また。また殺した。
そうやって繰り広げられる殺戮劇をフィルムに焼き付け続けている僕もまた、同じような『モンスター』だった。