№2 『センセイ』
その日、無花果さんはどうしてもスマホの手続きの関連でスマホショップに出向かなければならなくなった。いつの時代も本人確認というのは本人が直接出頭しなければならないもので、こればかりは仕方がない。
しかし、こんなめんどくさい用事でも、他ならぬお出かけだ。当の本人である無花果さんはうきうきと楽しげに準備をし始める。
お出かけ用のくまさんポシェットを装備して、無花果さんは当然のように僕の腕を引いて事務所を出た。子守役としても、なにかやらかしてもらっては困るので同伴しなければならない。ここにいてもやることがないし、ひとりにしておくとこっちが不安だし。
その背後から、影のように三笠木さんが付き添ってきた。以前のことのみならず、誘拐に関しては多大な実績のある無花果さんだ、『最終兵器』である三笠木さんがついていた方が『対策』としては有効、これも納得できる。
べたべたと腕を組んでゴキゲンでお外を闊歩する無花果さんと、一定距離を保って後ろをついてくる三笠木さん。間に挟まれた僕にしてみれば、なんとも奇っ怪な組み合わせだった。
やがて携帯ショップにたどりつき、店員さんにウザ絡みする無花果さんを落ち着かせ、なんとか手続きを済ませると、僕たちはようやくショップから出た。
外で待っていた三笠木さんが、腕を組んで寄りかかっていたショップの外壁から背中を離し、また後ろをついてくる……ところで、声がかかった。
「あれ、『センセイ』じゃないすか!」
せんせい? なんのことだろう。
驚いて振り返ると、そこには金髪をオールバックにしたサングラスの派手スーツの男がいた。こういう人物は本当に、チンピラか八坂さんかの二択だ。八坂さんは立派な警察関係者なのだが。
それにしても、せんせい……? 無花果さんのファンかなにかだろうか? たしかに、世界的に有名なアーティストである無花果さんは、ある意味先生だ。
しかし、その声に反応を示したのは、意外なことに三笠木さんの方だった。ほんの少しだけ眉をはね上げると、声をかけてきた男から顔をそらす。
「行きましょう」
「え、でも……」
「構いません」
「……つれねえなあ、『センセイ』?」
その場を立ち去ろうとした三笠木さんに、チンピラ風の男はしつこく絡んできた。行く手を遮るように立ちはだかると、
「あんなに世話になったってのに」
「……私にはなんのことかわかりません」
「お? なかったことにしようってか?」
「私にはわかりません」
「はは、相変わらず話通じねえな」
そうやって黄ばんだ歯を見せて笑う男は、どうやら三笠木さんの旧知らしい。先生、と言っていたから、もしかしたら昔、三笠木さんは教師でもやっていたのだろうか。そのときの生徒だったりして。
ともかく、男はなれなれしく三笠木さんの肩に腕を回し、
「なんにせよ、せっかくまた生きて会えたんだ、これもなんんかの縁ってやつだろ?」
「…………」
「今度はだんまりか。ああ、わかったよ。じゃあそっちのおねえさんたちとおしゃべりしようか」
「……やめてください。このひとたちは関係ありません」
やっと口を開いたと思ったら、僕たちは無関係だと三笠木さんは言う。生徒さんなら僕たちに紹介してくれてもいいようなものなのに、これは一体どうしたことか。
置いてけぼりの僕たちをよそに、男は気を良くして三笠木さんに擦り寄った。
「だろ? ここじゃできねえ話もあるだろうし、ちょっと顔貸してくれよ」
「私は忙しいです」
「じゃあ、ここで話そうか?」
「やめてください」
三笠木さんは、かたくなに男がしゃべるのを止めようとしている。しかし、話を聞いたり関わったりはしたがらない。なにか、僕たちに隠し事をしているような……?
先生をしていた時代に、なにかあったのだろうか?
このガラの悪い男が生徒だったなら、問題があったのかもしれない。
男はトドメとばかりに三笠木さんの耳元に口を寄せ、しかし僕たちにも聞こえるような声音で告げた。
「いやね、折り入って話したいことがあるんすよ……そっちのおねえさんたちにも関わる話ですよ?」
僕たちにも関わる話? 昔の生徒と僕たちに、なんの関係があるというのだろうか?
……なんとも、要領を得ない。
しかし、三笠木さんには伝わったらしく、軽くため息をついて男を引き剥がし、ネクタイを直して、
「……わかりました」
「さすが『センセイ』、話が早くて助かる。じゃあ、タクシーつかまえてきますんで。くれぐれも、逃げたりしないでくださいよ?」
にやにや笑う男は、そのまま大通りへ行ってしまった。
「……問題ありません」
僕たちが説明を要求するより先に、三笠木さんが口にする。いつも通りの、機械のような声音だ。
「いや、どう考えてもなんかあんだろ! 説明しろ!」
無花果さんがわめいても、三笠木さんは首を横に振るだけだった。
「はあ!? なにめんどくさいの!? らしくもねえ!」
「ともかく、なにも問題はありません。私はあの男といっしょに行きます。あなた方は先に事務所に帰ってください」
「ええと、僕たちふたりだけでも大丈夫ですか?」
「もしも誘拐されたとしても、私が奪い返しに行きます。問題はありません」
「だーかーらー! 問題あんのはてめえだろうが! なんだよ、小生たちには話せねえってか!? メガネマシンのくせに生意気だぞ!」
そこまで言われても、三笠木さんは頑として口を割らなかった。黙したまま、直立不動で拒絶の意を示すばかりだ。
「あーもういい! 昔の生徒とせいぜいつまんねー近況報告でもしてりゃいいんだ!」
「でも、無花果さん……」
「ほら、まひろくん、帰るよ!」
ぷんすかと荒々しい足取りで無花果さんが行ってしまうのと、タクシーをつかまえてきた男が戻ってきたのは同時だった。
「じゃあ、『センセイ』……込み入った話なんで、ゆっくりしてってください」
「わかりました、今行きます」
三笠木さんもまた、男のあとに続いて背を向けてしまう。
どっちについていっていいかわからない。
……けど、三笠木さんならなんとかなるだろう。それに、ただの先生と生徒の関係だ、危ないことなんてありはしない。
結局、僕は無花果さんの後に続いてその場を後にした。
去り際、三笠木さんの喪服の背中が目に入る。
その背中は、なんだかいつもよりも刺々しく感じられた。
……イヤな予感がする。
このまま、三笠木さんが帰ってこないような、そんな予感だ。
……バカバカしい。
相手は『最終兵器』、滅多なことはないに決まっている。
今まで散々見てきたじゃないか。落ち着け、まひろ。
三笠木さんは、ちゃんと帰ってくる。
「まーひーろーくーん! 置いていくよ!」
「……わかりましたよ」
無花果さんが呼ぶので、今度こそ僕はその場を立ち去った。
「……生徒さん、なんですかね?」
並んで歩きながら無花果さんに話しかけると、いかにもいらいらしていますといった口調が返ってきた。
「しらね! どうでもいいし、あんなやつ!」
……そもそも、このふたり、なんでこんなに仲が悪いんだろう……? 以前、『嫌いってわけじゃない』とは言ってたけど、これも過去になにかあったのか。
考えるほどに、まだまだ僕は『庭』に関しては知らないことだらけだと実感する。
三笠木さんにも、それなりの過去があるのだろう。
でなければ、あんな超人的な強さを手に入れられるとは思えない。
……帰ってきたら、なにかわかるだろうか。
そんなことを考えながら、 僕は無花果さんと他愛ない話をしながら、事務所へと無事帰っていくのだった。




