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№1 食わなすぎ問題

 いつも通り掃除機をかけているところだった。床はできるだけ清潔にしておかなければならないという信条があるので、毎日掃除機は念入りにかけている。


 ソファ付近まで進んだところで、掃除機の行く手を阻むものがあった。がっ、がっ、と障害物を押しのけようとしても、なかなか動かない。


 ……よく見ると、それは床に寝転がった無花果さんだった。


「……そんなところで寝てたら邪魔ですよ」


 またなにかかまってほしいという主張なのだろうか。掃除機の電源を切ると、僕は無花果さんを見下ろしてそう告げた。


 ……動かない。


「……いや、ね……小生、これでも一応、倒れてるつもりなんだけれどもね……」


「……倒れてる……?」


 いきなり雲行きがあやしくなってきた。僕は掃除機を放り出すと、顔色を真っ青にした無花果さんを助け起こし、ソファに座らせる。まだからだがぐらぐらしていて不安定だ。


「……いや、たまにあるのだよ……気にしないでくれたまえ……」


 よくあることだとはいえ、倒れるなんて一大事だ。


 思い当たることがあって、僕は無花果さんと向き合って尋ねた。


「無花果さん、昨日の晩御飯、なに食べました?」


 生徒を叱る教師の気持ちで問いかけると、無花果さんはもごもごと口を動かしながら、


「……チョコバットふたつと……あと、夜食にがりがりくん……」


「今朝は?」


「……は、蜂蜜をすすったでござる……」


 ……やっぱり。


 普段の摂食行為を『服薬』としてとらえている無花果さんのことだ、放っておいたらロクなものを食べないだろう。おそらく、チョコバットだって頭の薬を飲むために仕方なしに食べたに違いない。


 僕は重々しくため息をついて、


「プーさんじゃないんですから、もうちょっとマトモなもの食べてくださいよ……」


「……だって……」


「だってじゃありません。なんでもいいから食べてください」


「えー、なにー、いちじくちゃんまた倒れてるのー?」


 所長が電子タバコを吸いながら配信していたのを中断して、こちらに視線を向けてくる。どうやら、本当に珍しいことではないらしい。


 そして、所長には特段心配したようなところはない。


「三笠木くーん、なんとかしてよー」


 またしてもドラえもんを頼るのび太くんのように三笠木さんに無茶振りをした。


 しかし、三笠木さんはキーボードを叩きながらも、


「それが『命令』ならば、了解しました」


「……了解すんのかよ……!?」


 僕のスポーツドリンクを飲ませていると、無花果さんがかすれた声を上げた。


 そんな無花果さんを眺めながら、三笠木さんはメガネの位置を直す。


「あなたは『調律』と同時に『食育』を必要としています。なので、私はあなたの食事も管理します」


「……はあ……!?」


「つまり、可能ならばあなたの家に私が住むということです」


「わー、それってもしかして同棲ってやつー?」


 とんでもないことになってきた。


 いくら『調律』というきずなで繋がっているとはいえ、犬猿の仲であるふたりを同じ屋根の下に住まわせるのは、正直心配事の種を増やすだけのような気がする。


 三笠木さんは、所長の言葉を否定も肯定もせず、


「必要ならば、そうします」


「……冗談じゃねえ……! そうなったら小生、本気でトー横に戻るからね!?!?」


 それも勘弁してほしい。もう二度とあんなところには行きたくない。


 無花果さんも一歩も譲らないようだ。


 同棲か、トー横か。なんという究極の二択だろう。


 しかし、今回は三笠木さんが譲歩してくれた。


 ほんの少しだけ肩を落として、


「ならば、私はあなたの居住地に夕食を持参します」


「わーお、それってさー、実質通い妻じゃーん」


「所長は黙っているべきです」


 囃し立てようとしていた所長に、三笠木さんがぴしゃりと言い放った。


 無花果さんはその折衷案にも不満らしく、少し回復した顔色で首をぶんぶか横に振り、


「ヤダヤダヤダ! プライベートまでこいつと関わるのなんて、小生ヤダアアアアア!!」


「あなたは考え違いをしています。これは業務の一環です」


「それでもヤダ!! そもそも、てめえに料理なんてニンゲンのマネごとできんのかよ!?」


「そこにレシピがあるのならば、私はそれを再現できます」


「うっわ、つっまんねー! そんなん回転寿司の寿司握りマシンといっしょじゃん! いらっしゃいませって言ってくれるだけ、配膳マシンの方が愛想いいし!」


「これは『食育』です。これは、あなたが今後健康に生きていくためには必要不可欠です」


「ファックオフ、健康的で文化的な最低限度の生活!」


「あなたは日本国憲法序文を侮辱すべきではありません」


「せめて! まひろくんも来ておくれよ!」


 急に水を向けられて、僕はつい目を白黒させてしまった。


「え、なんで僕まで……」


「だって! こいつと差し向かいのメシなんてぜってーおいしくないし! だったらまひろくんとたわむれながら食べたいじゃないか!」


 僕は、そんなところまで子守りに向かわなければならないのか……


 けど、正直無花果さんの私生活には、前々から興味があった。


 どんなところに住んでいて、どんな風に寝て、どんな風に余暇を過ごして、どんな風に目覚めるのか。


 もしかしたら、そこにはニンゲンである無花果さんがいるかもしれない。


 興味がないといったらウソになる。


 なので、僕はおずおずと答えた。


「……じゃあ、たまになら、ご相伴にあずかります」


「ヤッタネ!」


 無花果さんは指を鳴らそうとしたが、ぱちんという音はならなかった。こんなところまで調子が悪いらしい。


 三笠木さんはといえば、一ミリほど眉尻を下げて、


「でしたら、事前に連絡をください。私は三人分の夕食を用意するでしょう」


「はい、お願いします。三笠木さんの料理って、ちょっと食べてみたいですし」


「これで冷食レンチンとかだったら、小生本格的に殴るからな!?」


「安心してください。私はレシピの再現に関して能力を発揮できます」


「いいか!? ヘタなもん出すんじゃねえぞ!? 小生もう、海原雄山と化すからな!?」


 なんだかんだ言いながら、無花果さんは三笠木さんの『食育』を受ける気でいるようだ。これでひとまず安心、と言いたいところだけど……


 本当に、無花果さんは自分のからだのことに関しては無頓着なひとだ。着飾ったりすることはもちろんないし、ロクに食べないしお風呂にも入らない。こんなんで社会生活を送れているのは、『芸術家だから』多目に見てもらっている部分はあるだろう。


 そもそもの話、生きていくことについては三笠木さんに頼りすぎではないだろうか……?


 『調律』といい、『食育』といい、動物として生きていくために、三笠木さんがいないと無花果さんは成り立たない。


 依存しすぎ、な気がするのは僕だけだろうか……?


 こんなこと、本人たちに言ったら絶対に全否定されるのは目に見えてるから言わないけど。


「もうさー、君たち付き合っちゃいなよー」


「ごめんこうむるでござる! なにが楽しくてこんなんといっしょに生活しなきゃならん!? ねーまひろくん! 小生、付き合うならまひろくんがいい!」


「お願いですから、巻き込まないでくださいね」


「だって小生、まひろくんにゾッコンラブだし!」


「なぜ私では不服なのか、理解しかねます」


「てめえ、そういうとこだぞ!?」


「おー、なになに、三角関係発生ー? オジサンちょっとどきどきしちゃうなー」


「所長は黙っていたまえ!」


 その後も、無花果さんはありえないありえないとブツクサ繰り返していた。


 やがて体調も落ち着いてきて、スポーツドリンクが空になるころにはすっかり元の無花果さんに戻る。


 ……三笠木さんの眉尻が、ずっと一ミリ下がっていたことは、僕だけが知っていればいい。


 くっついてくる無花果さんをはがしながら、僕はまた掃除機をかけ始めるのだった。

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