№16 変わらない味
小鳥くんとソファに並んで座ってぼうっとしているうちに、『調律』が終わったらしく、暗室から無花果さんが飛び出してくる。
「やっぱサイッテー!!」
ぷんすか怒りながら、どすんとソファに腰を下ろして足と腕を組み、
「前戯はしろって言ったけどさ! あんな変態じみたプレイ求めてねえっつの! ふん! 小生、あんなヘタクソとセックスしたことないから、逆に感動でござるよ!」
「あなたはそのヘタクソを欲しています」
同じく暗室から出てきて、『なにか』をゴミ箱に放り投げた三笠木さんが、元通りデスクにつきながら言った。
「はあ!? なにその謎自信!? てめえなんざ、ただのデカいだけの木偶の坊……」
「ならばあなたは器具に頼りますか?」
「……ぐぬぬ……!!」
もう無花果さんの本音は暴露されてしまっている。今さらハンディ彼氏とやらに浮気をする気も起こらないのだろう。
ぐうの音も出なくなった無花果さんは、ふん!と思いっきり三笠木さんにそっぽを向いた。
……まあ、いつものやり取りだな。
そうしていると、もうひとつの『いつもの』がやって来た。
ラーメン屋の出前のおじさんに代金を払って、五人分の熱々どんぶりを受け取る。
「ほらほらー、君たちー。とんこつラーメン来たからー、機嫌直しなよー」
「わあい! ラーメン! 待ち焦がれていたよ!」
快哉を叫ぶ無花果さんの前にも、電子タバコを吸いながら配信している所長の前にも、三笠木さんと宇宙服の小鳥くんの前にも、そして僕の前にもどんぶりを配膳する。
湯気の立つ油の浮いたとんこつラーメンを前にして、所長が音頭を取った。
「ってことでー、今回もお疲れ様ー。ちょーっとイレギュラーだったけど、結果オーライってことでー。それじゃあみんなー、手を合わせて」
『いただきます』
全員で割り箸を割ると、猛然ととんこつラーメンをかっこみ始める。小鳥くんだけは楽しげにラーメンを眺め、スープをスポイトで少しだけ取ってタンクの飲料水に混ぜていた。
僕も腹ぺこになっていたので、勢い良く面をすする。湯気でむせそうになるけど、この味を『帰ってきた』『終わった』と感じるくらいには、僕もこの事務所になじんでいた。
はふはふと熱いラーメンを食べていると、無花果さんはなるとを挟んだ箸で三笠木さんを指して、いつもの口ゲンカが始まった。
「だいたい、てめえの尾行はバレバレユカイなんだよ! 小生、すっかり気づいていたからね!」
「では、あなたは私が秘密裏に『始末』したニンゲンの数を把握しているはずです」
「なに急にこわいこと言い出してんの!?」
「冗談です」
「わっっっっっっかりにくいんだよてめえの笑えねえジョークは!」
「あははー、三笠木くんにしかブッパなせないブラックジョークだよねー」
「あと所長! 所長のリスナーいたでござるよ! 小生のことも知ってたし!」
「えー、うれしー。トー横界隈にまで僕の名前は轟いてるんだねー」
「よかないよ! また誘拐されたらどうしてくれるんだい!?」
「そのときは、私が再び『作戦行動』に移ります」
「うん、よろしくねー、三笠木くーん」
「ほら、ほら! 小生が乱暴されるとかさ! 虐待されるとかさ! そういう心配をしてくれてもいいのだよ!?」
「前回誘拐されたときに、ソファでふんぞりかえってポップコーン食べてたひとなんて、心配できないと思います」
「まひろくんは心配だっただろおおおおおおお!?!?」
「デスボで言われても困ります。そりゃあ、初回でしたから心配はしましたよ。けど、今は全然心配じゃないです。むしろ、心配して損しました」
「そこまで言うのかい!?」
「いちじくちゃんもさー、誘拐されてる立場だったら、もうちょっとしおらしくしてないとー。どうせ犯人側にマッサージ要求したりAV見せろって言ったり無茶ぶりしてたんでしょー」
「ぐっ、なぜバレた!?」
「……それなら、小鳥も誘拐、されてみたい……」
「いけませんよ、小鳥くん。小鳥くんは無花果さんみたいに図太くないんですから」
「だれの面の皮が厚さ30センチの重装甲だって!?」
「だれもそこまでは言ってないです。言いたい気分ですけど」
「もしも言ったとしても、あなたの厚顔無恥は修正不可能です」
「あははー、だよねー。むしろ慎ましやかないちじくちゃんとかさー、パチモン感満載だよねー」
「もしニセモノが現れたときは、そこに注目して見分けましょうか」
「……いちじくの、ニセモノ……?……2Pカラー……?」
「ぎゃはは! そいつぁ愉快だねえ! 色チの小生なんて、小生当人が見てみたいよ!」
「……真っ白シスターのガングロギャルですか?」
「あははー、それキャラ立ちすぎー」
「むしろ、実物よりも設定が過積載であると、私は指摘したいです」
「だれのキャラが薄いってんだこるぁ!?」
「安心してください、無花果さん。この世には無花果さんよりもおかしな動物なんてなかなかいないですから」
「……あの世には、いる……?」
「イタコ呼んでそいつのツラ貸せ小生がぶん殴ってやんよ!」
「なんでいちじくちゃんはすーぐ暴力で解決しようとするかなー」
「しかも、無花果さん虚弱だからザコですよね」
「まひろくん、メスガキムーブはやめたまえ! メスガキならかわいいけど、君がやったらただのかわいくないクソガキだよ!」
「かわいくなくてけっこうです」
「うっわー、かわいくねえ!」
「……小鳥は、まひろのこと、かわいいと思ってるから……」
「小鳥くんはいい子ですね」
「そりゃあ、僕の息子みたいなもんだからさー。かわいいところまで親に似ちゃったかー」
「所長、ダメな中年男性であるところのあなたは決してかわいくはありません」
「そうですよ。むしろウザいです」
「えー、なにさー。ぷりちーなオッサンがいたっていいじゃなーい」
「……しょうたろうも、たぶん、かわいい……たぶん、だけど……」
「あははー、ことりちゃーん、フォローという名の背後からの狙撃ありがとうねー」
「あれれ? 所長ちょっと泣いてるでござるか?」
「泣いてないもーん」
「そういうとこですよ」
「いやー、さっぱりわかんなーい。僕ってばさー、この事務所のマスコットキャラ的な立ち位置だからー?」
「少しはキティさんを見習ってください」
「そうそうー、仕事選んでちゃダメだよねー」
「そういうとこばっかり見習わないでください」
「サンリオに訴えられんぞ!」
「大丈夫ー、僕サンリオの株も持ってるからー」
「このブルジョワステークホルダーめ!」
わいのわいの。
とんこつラーメンを囲む食卓は、いつも通りに騒がしい。いや、今回はいつも以上かもしれない。
……とにもかくにも、なんとか帰ってこられた。
このとんこつラーメンの変わらない味が、この喧騒が、そんな実感を連れてくる。
毎回毎回、息を止めて海底に潜るようなものだから。
早々に麺を平らげて、僕はスープを飲み干そうとどんぶりを傾けた。
そんな最中にも、延々と口喧嘩は続いていく。
……こんな日常が、途切れないでいてくれますように。
それはきっと無理難題なんだろうけど、そう願わずにはいられない。
せめて、いつか未来でこの瞬間を懐かしむときに、胸が痛むことがありませんように。
……これも、割と無理難題かもしれない。
ぬるくなった濃厚なスープを飲み干して、カラのどんぶりを置く。今回もからだに悪そうな味だった。
このいつもの味を、しっかりと覚えておこう。
いつか楽園が失われても、五感で思い出せるように。
……そんなことを考えながら、僕は取っ組み合いが始まりそうになっている事務所の面々に向かって、そっとこころの中のシャッターを切るのだった。