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№13 『スープ』

 『準備ができたので事務所に戻る』と言っても、みくるさんは大して驚かなかった。死体が見つかったのかどうかも聞いてこない。


 そんなみくるさんに、無花果さんはあの物的証拠を突きつけることはなかった。みくるさんが長門さんを売ったという動かぬ証拠なのに、無花果さんはみくるさんを断罪することなく『帰ろうか』と告げた。


 たったひとつの収穫物を手に、電車に乗って事務所に戻ってくると、無花果さんは早速『アトリエ』にこもってしまう。これから、『創作活動』が始まるのだ。


 僕も無事だったカメラを持ってその後を追う。


 オイルランプだけが灯る夜の『アトリエ』で、無花果さんはいつものように『創作活動』の前の祈りを捧げていた。ひざまずき、両手を組んでこうべを垂れている。触れがたいほどの神聖を感じながら、僕はまず、その儀式の様子をカメラに収めた。


「……As I do will, so mote it be.」


 『そうあれかし』、と呪文を唱えて、祈りの時間は終わった。猛然と立ち上がり、無花果さんは『創作活動』に取り掛かる。


 『素材のない作品』がどんなものになるのか、僕には想像もつかなかった。肉も野菜もなく料理を作れと言っているようなものだ。それは、まるで『スープ』のような『作品』になるだろう。


 無花果さんは、小鳥くんが用意してくれた人形を持ってきた。いわゆるダッチワイフ、ラブドールだ。可愛らしい顔が描かれたそのラブドールの腹を、無花果さんはいきなり彫刻刀で削り始めた。


 がりがりと、ラブドールの腹の部分がなくなっていく。最終的に、腹にはぽっかりと大きな穴が空いた。


 さらに、無花果さんはラブドールの両腕をちからづくでもぎ取った。決して刃物で切り取ったわけではない、無理やりにちぎった痕跡がラブドールに残される。


 腹に穴をあけられ、両腕をもがれたラブドールに、オーバーサイズのカーディガンを着せ、腕の部分をぎゅっと結んでしまう。『ハルヒ』の長門の象徴のような、それだけの着衣。


 次に、無花果さんはいくつものゴミ袋を引きずり出してきた。袋を引き裂き、中身をその場にぶちまける。


 それは、何十万粒にも及ぶラムネ菓子だった。何度もビニール袋の中身を撒いて、その場はラムネ菓子の海で埋もれてしまう。


 今度はコーラの缶だ。ペプシの缶を開けると、そこにストローを突っ込んでラムネ菓子の海のど真ん中に置く。


 そして、次に持ち出してきたのはたくさんのスマホだった。いくつものブルーライトがともるスマホを三脚自撮り棒にセットして、ラムネの海を照らす。青ざめた光に浮かび上がったラムネの海は、まるで深海のようだった。


 僕も、その様子を必死に追いかけるようにシャッターを切り続けた。指に込めるちからが強すぎて、指先が痺れてきた。


 それでも、僕はその光景を『記録』することをやめない。


 無花果さんは、加工したラブドールをその真ん中に置いた。胎児のポーズを取らせ、横たえる。


 仕上げに、その耳に拾ってきたチェリーのピアスをつけて、無花果さんはやっと動きを止めた。


 どこか呆然としたような声音で、ため息混じりに宣言する。


「……できたよ。これが今回の、私の『作品』だ」


 そう言ったきり、疲れ果てたように椅子に腰かけてぐったりしてしまう。


 ……完成してしまった。


 『素材のない作品』が。


 具材のない、『スープ』のような『作品』が。


 その相変わらずの芸術的暴力に圧倒されながら、僕はやっとファインダーから視線を外した。


 山ほどのラムネと、コーラ。決して市販薬もストゼロも使わないその表現は、『お前らがやってるのはただの生きるための摂食行為でしかない』と雄弁に語っていた。


 ただ、生きるために喰らっているのだと。


 しかし、ラブドールの腹はがらんどうだ。内臓は、もう奪い去られてしまった。いくら腹に栄養を送り込んでも、その先にあるのはうつろな穴でしかない。


 しかし、たしかにラブドールは安息の中にいた。胎児のポーズで横たわる姿は、トー横で見た道に寝そべる人々を連想させる。


 ラムネとスマホのブルーライトの揺りかごに眠り、ここが居場所だとばかりに丸くなっているラブドール。


 だが、その両腕は暴力でもってもぎ取られている。もう、差し伸べることも繋ぐことも、受け取ることも伸ばすこともできない。徹底的に無力化されていた。


 そして、その『作品』と長門さんを結びつける、唯一の鍵がチェリーのピアスだ。


 このたったひとつの安っぽいピアスによって、この『作品』は長門さんを失った世界に向けたものだと主張している。逆に言えば、これがなければ『素材のない作品』は成り立たない。


 今回は、まったく死臭がなかった。


 ただひたすらに無味無臭。


 しかし、それはたしかに僕のこころをえぐり取り、深刻なダメージを与えた。


 たった一滴の『スープ』は毒薬となり、僕のこころをむしばんだ。


 トー横という場所に安らぎの居場所を見出した長門さん。しかし、その手はどこにも届かない。望みにも、願いにも。祈りにも、呪いにも。


 奪い取られた手を、『助けて』と伸ばしたかっただろう。腕を使って、這い上がりたかっただろう。


 しかし、無力化されたラブドールにはなにも叶わない。蟻地獄のような居場所に、ただ納得したフリをしなければならない。もう、安らぎのポーズをとって黙り込むことしかできなかったのだ。


 そして、その腹も暴力的な手段で奪い取られていた。なにもこれは、臓器売買の暗喩のためだけに施した加工ではない。


 いくら食べても、生きようとしても、その先は空虚。『消化』すべき現実は、『咀嚼』の段階で強制的に止められている。『消化』して、自分のものにすることができない。ただ突きつけられるばかりのリアルだけがあった。


 そう考えると、このラブドールは粗末に打ち捨てられているようにも見えた。長門さんの『残骸』のように。


 世界中から見捨てられたところで、胎児のように丸くなっている。見せかけの安息の中でまどろんでいる。ここが居場所なのだと、自分に言い聞かせるようにして。


 ……ああ、そうか。


 この作品は、みくるさんの罪を暴き立てるようなものではない。


 ただ、居場所を探してたどり着いた、空虚で悲劇的な結末を表現しているに過ぎない。


 長門さんは裏切られた。


 しかし、それはだれが悪いわけでもない。


 すべては、トー横を自分の居場所だと選んだときから決まっていたことだ。


 そう思い込んでしまったがゆえに、長門さんは居場所に殉じて『死』を迎えた。


 ……たしかに、これは『素材のない作品』だ。


 死体などなくとも、『死体装飾家』・春原無花果は見事に『死』を表現していた。


 そんな『スープ』の毒にあてられながらも、僕は『作品』の写真を撮りまくった。様々な角度から、様々な構図で、すべてを理解した上で、僕なりに『消化』して、『排泄』していく。


 『死』を想うことは、別に死体などなくてもできる。


 そんなごく当たり前のことを、無花果さんの『作品』は訴えかけていた。


「……みくるちゃんを、呼んできてくれ」


 かすれきった声音で、無花果さんはつぶやいた。


 ……そうだ、みくるさん。


 長門さんを裏切った張本人でありながら、長門さんの死体の装飾を依頼しに来た人物。その矛盾した行為にも、意味があった。自分のしたことを隠蔽する目的があったのかもしれない。


 けど、みくるさんは、無花果さんが『長門さんの死を素材にする』ことを知っていた。知っていて、『作品』の完成まで付き合ってここまでやって来た。


 そのみくるさんにこそ、この『作品』は提示されるべきだ。


 僕は一旦カメラから顔を離し、無花果さんにうなずき返す。そして、『創作活動』が終わったことを知らせに、事務所で待っているみくるさんの元へと向かうのだった。

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