№7 降臨
ひとが道で寝ている。
ゴミが散乱している。
昼間から路上に座り込んで酒盛りが行われている。
なんならバーベキューをしている。
前転している地雷系ファッション女子がたくさんいる。
やたらみんな踊りをスマホで撮影している。
……ここは、本当に日本国内なのだろうか。
電車に乗ってやって来たトー横について、僕が抱いた感想は、おおむねそんなところだった。
しかし、思っていたほど治安は悪そうではない。揉め事が起こっている様子もないし、みんな楽しそうに騒いでいるだけだった。
ただ、ノリが明らかにぶっ飛んでいる。僕のような陰キャにとっては、ただただ尻の据わりが悪かった。
しかし、テンションが常に振り切れている無花果さんは違うらしい。目をきらきらさせてそんな無法地帯を見つめ、
「うわあ! なんだいこれは!? お祭りでもやっているのかい!?」
「あーね。これデフォだからあ。とりま焼肉やってるからあ、肉食お」
「なんてことだ! タダで路上焼肉にありつけるなんて、ここは天国じゃないか!」
そう言って、無花果さんはみくるさんに連れられて、バーベキューの輪に入っていってしまった。僕もそれを追う。
追いついたころには、もう無花果さんは紙皿に肉を乗せて頬張っていた。きついアルコールのにおいと、よく見かける市販の焼肉のタレのにおい。肉が焼けるにおい。カオスだ。
「ふひい! こんな都会で食べる焼肉サイコー!」
「でしょお。たまに帝王が焼肉やってくれんのお。あんま量は食えないけどお、雰囲気いいっしょお」
「これぞトー横の味!」
そんな風に感動しながら、無花果さんはなんの肉かよくわからないものを平らげてしまった。ゴミ箱を探していると、みくるさんが紙皿を受け取って、その辺に放り投げてしまった。
なるほど、こんなにゴミが散らかっているわけだ。
「今夜どーするう? どっかホテル泊まるう?」
「いいや! せっかくだからここで寝るよ!」
なにが『せっかくだから』なのだろうか。というか、僕も野宿に道連れコースなのだろうか。
みくるさんは路上の一角を指さして、
「了解。その辺寝床空いてるからあ、テキトーに寝ていいよう」
「合点承知之助!」
無花果さんは早速地べたに寝転んでしまった。ごろごろと転がりながらご満悦だ。
スマホをいじっていたみくるさんは、
「とりま、LINE交換しよう」
「おけでござる! まひろくんも、そんなにぽつーんと立ってないで、スマホを出したまえ!」
「……はいはい」
そうして、僕とみくるさんもLINEを交換することになった。お互いの連絡先を登録してから、改めて無花果さんが口を開く。
「よーし、トー横満喫するぞ!」
「んじゃあ、なにするう? ホスト行くう? それか踊ってTikTokに上げるう? 酒ならそこのコンビニ行ったら売ってるしい、パキりたいならクスリわけてあげるよお」
どれもこれも、いかにも『トー横界隈』といった娯楽の数々だ。
しかし、無花果さんはそれを聞いて、はたと動きを止めた。急に電池が切れたように黙り込んで、そして頭を抱えてその場にうずくまり、
「あああああああああああ!!」
「え、どしたん、おねえさん?」
いきなり雄叫びを上げて、さすがのトー横キッズたちもこっちに視線を向けている。こんなところでも奇行が目立つなんて、つくづくこのひとはイカれてる。
なにをそんなに絶叫することがあるのか。
答えは、続く供述にあった。
無花果さんはうずくまったまま、
「……そういえば、小生、その辺だいたい網羅した生活送ってた……配信なんて所長がバカみたいにやってるし、ホストなんて行かなくても棒には不自由してないし、薬なんてよっぽどきっついの飲んでるし、服薬の関係上アルコールなんて摂取したら死んじゃうし……」
「んん? おねえさん?」
みくるさんが肩を叩くと、無花果さんは、がばっと顔を上げて、
「だいたい、お金なんて腐るほどあるじゃないかああああああ!! お小遣い制だけれども!!」
「……なんでそんな簡単なことに今まで気づかなかったんですか?」
呆れ切った僕がため息混じりに尋ねると、無花果さんは僕に掴みかかってきた。
がくがくと襟首を揺さぶり、
「だって! だって!! 自由というロマンだけを追ってたら、いつの間にかここへ来てたでござる! あーしまったー! あちゃー!」
「とりあえず落ち着きましょう、無花果さん」
「あーね。おねえさんとおにいさんには居場所、ある感じだもんねえ」
そんな狂った状態を見ても、みくるさんはやっぱり動揺していない。ヘラヘラ笑いながら新しいストゼロロング缶にストローを突っ込み、意味もなくかき回しながら、
「ここのみんなはさあ、基本、ガッコにも家にも居場所ないコばっかだからさあ。いじめられてたりい、親から虐待されてたりい、カネせびられてたりい」
「……でも、それってここへ来て解決する問題なんですか?」
つい『ごもっとも』な問いかけをしてしまった。
それでもみくるさんは気にした様子もなくへらりと笑い、
「あーね。解決はしないねえ。ちな未来もねえしカネもねえしい。うっはは、ないないづくしだあ」
ずぞ、とストゼロをストローで喉に流し込むみくるさんは、ほっとしたような息を吐きながら、
「でもさあ。ここ来ると、生きられるんだよお。だれだって、居場所ないと生きてけないじゃん。ホームってゆうやつ? 帰る場所ってかさあ。ちゃんと楽しんで生きていける場所。顔面死なずに生きてく場所」
そんなことを、腐りゆく魚の目で語るみくるさん。
「大変なことだってあるしい、めんどいこともあるしい、そもそも論ウチら単なるホームレスのゴミカスだしい。実際長門死んでるしい。それでも、生きてくのにはここ、絶対必要なんだよお。帰る場所あるだけでえ、なんかラクじゃん」
「……みくるさんは、それで満足してるんですか?」
「うん、バカ楽しければそれでおけおけ! ウチら今日を生きてけばそれで問題ないからさあ。そのために立ちんぼやるしい、パキるしい。でもさあ、そんなのひとりじゃ絶対できないじゃん。だから、仲間とか居場所とかがないとダメなんだよお」
「……仲間、ですか」
「んん。仲間だよお。みいんな、大人に居場所奪われた友同士だしい。つるんでると楽しいしい。激病んでても、話聞こか?って言ってくるしい。いっしょにバカやってさあ、ゴミカスなりにサバイブしてんだよお。みんなで生きるんなら、それもアリかなあって」
……なるほど。
どうやら、ここは僕たち『モンスター』にとっての『庭』のような場所らしい。
ここ以外では生きていけない、異端児たちの集まり。
僕たちは決して居場所を奪われたわけではないけど、それぞれ事情があって、生きづらさを感じていて、だからこそ所長が作り上げた『庭』の住人として憩っている。
『庭』がなければ、僕たちもみくるさんたちと同じように、社会から見放されたゴミ同然の扱いを受けていてもおかしくはない。
……居場所、か。
今までまったくの未知だったこの界隈が、ほんの少しだけ理解できたような気がした。
追われて、最後に流れ着いた場所。
それが、このトー横という界隈なのだ。
「なあんだ。おにいさんも割とこっち寄りのニンゲンじゃあん」
僕の表情の変化に気づいたらしく、みくるさんがへらりと笑った。やっぱり、どこか聡いところがある。
「そんなのどうだっていいのだよ! 小生、もうトー横飽きた! おうち帰りゅ!」
「ええ、そんなこと言わないでよお。雰囲気だけでも楽しめるよお?」
「本当かい!?」
「とりま、仲間紹介するからさあ。ちょっとだけ観光してきなよお」
「そいつぁ名案だぜ!」
嘆いていた無花果さんも、にわかに活気を取り戻した。なんとか野宿せずに帰ることはできるらしく、ついほっとしてしまう。
それにしても、こんなのでちゃんと死体は見つかるのだろうか?
まだ『不吉』の予感を引きずりながら、僕はみくるさんの後に続いてトー横広場を横切っていくのだった。