№6 いざ、歌舞伎町
ほどなくして、『巣』から、にゅ、と手だけが伸びてきた。こうして『手だけ』の小鳥くんを見るのも久しぶりだ。
紙切れを受け取った無花果さんは、ふむふむとその内容に視線を走らせ、
「にゃるほろにゃるほろ!」
満足げににやりと笑った。
「それで、今回はどこへ向かえば死体が見つかるんですか?」
僕の問いかけに、しかし無花果さんは大げさに肩をすくめて見せてため息をつく。
「まったく、君ってやつはすぐにそうやって結論を急ごうとする! もっとプロセスを踏みたまえよ!」
「いや、プロセスよりも先に、死体を……」
「小生、決めたのだよ!」
僕の言葉を遮って、無花果さんは高らかに宣言した。
「トー横キッズに、俺はなる!!」
「…………は?」
今、なんと言っただろうか。
聞き間違いでなければ、無花果さんはトー横デビューするというのだ。
なにがどうなってそうなったのかは、まったくわからない。もしかしたらそこには無花果さんなりの意図があるのかもしれないけど、今は全然読めない。いつものことだけど。
しかし、これは止めるべきときが来たようだ。
「待ってください、無花果さん。お願いですから正気に戻ってください」
「小生、至って真面目でござるよ!?」
「真面目なひとはいきなりトー横デビューしようとしたりなんてしません」
「いーや! 小生のこころはもう決まっているのだよ! 今すぐトー横行って、デビューしてやんよ! 探さないでください!」
忘れかけていたが、言い出したら聞かないのがこのひとだった。
僕からは、もうなにも言うことがない。
それをいいことに、無花果さんはすかさずみくるさんに擦り寄って、猫なで声を発した。
「ってわけで、頼むよう、みくるちゃん!」
怒涛の急展開に、しかしみくるさんはまったく動揺していない。肝が据わっているのか、それともなにも考えていないのか。その両方という可能性もある。
みくるさんはずるずるとストゼロをストローで飲みながら、
「うん、いいよう。来たいって言うんなら、歓迎するう。今日からおねえさんもウチらの仲間だあ」
「ヤッタネ! 小生歌舞伎町デビュー! 目指すは全国制覇!」
なにを目指しているのかわからないけど、とりあえずトー横に赴くことは決定事項らしい。
そうなると、当然僕も……
「どうせなら、まひろくんも来たまえよ! いっしょにトー横キッズになろうじゃないか!」
……来たか。
当然ながら、僕も巻き添えになるわけだ。
だいたい予想はついていたけど、どうにも理不尽すぎる展開ではないだろうか。
しかし、無花果さんひとりをトー横なんて無法地帯に放り込んでしまったら、なにが起こるかわからない。いや、なにをやらかすかわからない、と言った方が正確か。
それに、仮にも無花果さんは世界的なアーティストだ。営利誘拐されるほどの超大物、野に放つにはあまりにも危険すぎる。
……お目付け役が、必要だった。
僕は観念したようにため息をつき、
「……わかりましたよ。僕もいっしょに行きます」
「そうこなくっちゃね!」
ぱちん、と指を鳴らして、無花果さんは『してやったり』と言わんばかりの悪い笑みを浮かべる。
「やいやい! 善は急げだ! 早速トー横を目指そうじゃないか!」
「着替えとか充電器とかあ、持ってかなくていいのお?」
みくるさんの言うことももっともだ。なんせトー横に住み着く気でいるのだから、それなりの支度というものがある。
しかし、無花果さんは、ふんっ、と鼻を鳴らして、
「そんなものは必要ないさ! この身ひとつでするもんじゃないのかい、家出ってのはさ! 困ったら現地調達だよ!」
なんという無計画。なんというノープラン。なんという行き当たりばったり。
今どき、小学生だってもっと計画を立てて宿題をするだろう。
だが、残念なことに無花果さんは小卒だった。
……これは、僕も準備をしている時間はなさそうだな。
せめて、トー横というカオスの中で、身の安全くらいは確保しておきたいものだけど。
というわけで、僕は配信をしている所長にそっと視線を投げかけた。カメラを回しているけど、こっちのやり取りは全部聞こえているはずだ。
無花果さんの後見人である所長が許可しなければ、この家出は成立しない。いや、家出というのは本来保護者の意思を無視しておこなうものなんだけど、無花果さんの場合は別にここがイヤになって飛び出すわけではないのだ。
僕の視線に気づいた所長が、少しだけカメラから視線を外してこっちを見る。
所長は、にへらと笑ってうなずいて、アイコンタクトが成り立った。
それから、今度はキーボードを叩いている三笠木さんに目配せをする。パソコンの画面から一瞬だけ視線を逸らした三笠木さんは、その視線を受けて一度だけ小さくうなずいた。
……かくして、ここに無言の協定が結ばれた。
僕は無花果さんといっしょにトー横に行く。
それには所長も賛同している。
もし危ない目に遭いそうになったら、さりげなくあとをつけてくる『最終兵器』がなんとかしてくれるだろう。
だから、差し迫った危険はない。と思われる。
……あとは、無花果さんがなにかとんでもないことをやらかさないことを祈るばかりだ。
どうせ叶わない願いだろうけど、祈るのはタダだから。
無花果さんは本気で身ひとつでトー横に乗り込むつもりらしく、いそいそとみくるさんの手を引いている。
「さあ行こう! 黒船来航、いざ、歌舞伎町!」
「ちょっと待ってよお、一回パキらせてえ」
「ええい! 君はいちいちODしないと動けないのかい!? フラグを回収しないと次の展開に移れない村人Aのようだ!」
「うっはは、バカウケるう。ちょっとだけだからあ」
「わかったよ! 40秒で支度しなっ!」
ああ、無花果さんがノリノリだ。巻き込まれたこっちの身にもなってくれ。
……それにしても、無花果さんはなにをしにトー横に行くのだろうか。
今までの経験則から言うと、間違いなく死体はそこにあるはずだ。
ただ死体を見つけ出すだけなら、簡単だ。
しかし、『創作活動』のためにはそれまでにいくつかのステップを踏まなければならない。
死者の『歴史』や『思い』、『祈り』、『呪い』を紐解くための旅だ。
そうしなければ、『作品』にたましいは宿らない。
けど今回、そんなものはどこにも見当たらない気がした。
『死』がカジュアルすぎるのだ。
ポップコーンをコーラで流し込むように、『死』もまたお手軽に消費されている。
そんな『死』を、どうやって装飾するつもりだろうか。
……正直、興味がないと言えばウソになる。
なんとなく、今回は『死体装飾家』・春原無花果のキャリアの転換点になる予感がした。
大量の市販薬をストゼロで流し込んでオーバードーズを終えたみくるさんは、親しげに無花果さんと手を繋いで、
「おけ。じゃあ、行こっかあ」
「よっしゃ! 出陣じゃ! ほら、まひろくん、行くよ!」
「……はいはい」
気乗りしないけど、行くしかない。返事をして、ふたりのあとに続いて事務所をあとにする。
……それにしても、本当に身の安全は保証されてる……んだよな……?
そればかりは所長と三笠木さんにかかっている。もしもあのアイコンタクトが成り立っていなかったら、僕にいのちはないかもしれない。
いや、それより先に、無花果さんがとんでもないことをやらかさないように、しっかりと見張っておかないと。
『記録者』というのも、骨が折れる役割だ。
るんるんと足取りも軽く駅へと向かうふたりの後に続きながら、僕はこれから起こる厄介事に思いを馳せて、ひとりげんなりするのだった。