№3 みくると長門
「まあ見てわかると思うけどお、ウチ、トー横界隈のニンゲンなんすわあ。なんかカゲローとかゆうやつつかまったじゃん? ウチあいつのフォロワーでさあ、そんでこうゆうとこあるって知ってさあ」
よりによって、あのカゲローさんのフォロワーだったか。たしかに、迷惑系ティックトッカーとトー横キッズの相性は抜群だろう。
SNSを駆使して現代を生き抜くトー横キッズ、それがみくるさんだ。
今もまたスマホの画面をスクロールしながら、みくるさんは続ける。
「んでえ、探してほしいのは、ウチのダチの長門ってコ。あのねえ、これもウチが名前つけたあ。『ハルヒ』バカ好きすぎてえ、みくるには長門っしょ、ってさあ」
「その長門さんはどんなひとだったんですか?」
「んん、なんかねえ、ある日突然トー横出現してえ、本ばっか読んでたなあ。うっはは、突然なんはデフォなんすけどお。とにかく、むすーっとして本読んでてえ、スマホとか全然触んないしい、変なコだったあ!」
トー横に来てまで本を読んでいるとは、その長門さんとやら、相当な読書家だったらしい。あの場所では特別に異質な存在感を放っていただろう。なにせ、本を読むこと自体が珍しいことだから。
「そんでねえ、なに読んでんのお?って聞いたらさあ、なんだっけえ、しょうぺんなんとか、って言ってきてさあ、バカウケしたわあ! うっはは、なにそれ新しいギャグ?ってなったわあ。けどまあ、バカオモロイコだってことはわかったしい、オモロイが正義だからあ、速攻でLINE交換してえ、そんでウチみくるだからあんた長門ね、って名前付けたあ!」
言っているのは、もしかしたらショウペンハウエルのことだろうか。だとしたら、長門さんはまさしく本の虫と言っていい女の子だ。
僕も『ハルヒ』は知っていたので、なんとなく想像はできた。
ひっそりと、無表情で本を読んでいる目立たないメガネの女の子。みくるさんが長門と名付けるくらいだから、きっと影のある美少女だったのだろう。
しかし、そんな長門さんがなぜトー横界隈なんて場所に現れたのか。そんなところ、水と油だろうに。
それでも、長門さんはトー横という場所を選んだ。それにはなにか理由があるはずだ。
みくるさんも僕の意図を読んだらしく、へらへらと笑った。この子、案外聡いのかもしれない。
「トー横に来るのに理由なんてないよお。ただ、ガッコにも家にも居場所ないってコが、自然と集まってくんのお。そしたら、同じ感じの仲間いるしねえ。そんでえ、仲間みんなで毎日楽しく生きてくんだあ」
「……はあ……」
「長門もおんなじ感じだったと思うよお。あんま詳しくは聞かなかったけどさあ、親ガチャ失敗したとか、ガッコでいじめられてるとかさあ。でも、居場所ないのはみいんないっしょ。居場所ナシ友。ウチもさあ、片親でえ、父親とかゆうやつにレイプされまくってえ、カネせびられてえ、そんで飛び出してきたクチだしい」
さらっと重すぎる過去を語るみくるさんだったが、その表情に悲壮感じみたものは一切見当たらない。本当に、今を生きるのに一生懸命で、過ぎ去ったことなんていちいち構っていられないといった風だった。
「そんでえ、LINE交換してぼちぼち連絡取るようになってえ、ほら、ひとりで本読んでたって楽しくないっしょ?ってなってえ、ウチが無理やり連れ出してやった! うっはは! バカ楽しかったあ!」
どこにも居場所がなくて流れ着いたトー横で、長門さんはみくるさんという仲間に見出された。きっとみくるさんは面倒見のいいところがあるのだろう、自分のからにこもって本ばかり読んでいた長門さんを放っておけなかった。
だから、引きずり出した。
「最初のころのTikTokとか、動きキョドっててバカウケんの! ツラ引きつってるしさあ。でも、『ハレ晴レユカイ』とか歌って踊ってアップしてさあ、プチバズしたらみんなで乾杯してえ、長門最初ストゼロ飲んで吐いててさあ、バカウケるし! またそれTikTokに上げたら垢BAN食らってえ、垢取り直したしい!」
「けど、トー横界隈って楽しいだけじゃないんでしょう? ニュースでよくやってますよ、無法地帯とかって」
「あーね。大人からしたらウチらゴミカスみたいなもんっしょ? ウチらただ好きに遊んでるだけなのにさあ。でもさあ、生き抜くためにはカネもクスリも必要なわけよお。だからさあ、長門にも教えてあげたよお」
「……具体的には、なにを、ですか?」
「んん、いろいろやったよお。落ち込んでたからODのやり方教えたしい、最初のうちはクスリもあげてたしい。パキったら、長門も元気になってたよお。あとはねえ、カネの稼ぎ方かなあ。立ちんぼのやり方。ウチその辺コネあったしい、ラクにおぢ引ける方法とか教えたなあ」
そのくちびるから軽々と言葉が飛び立っていく。法も倫理も無視した、言ってはいけない言葉たちが。
長門さんは、文字通り『引きずり出された』のだ。自分のカラの中から、トー横という『闇』と『病み』の界隈に。
そして、いともたやすく染まった。
非日常のような日常に、まんまと『引きずり出された』。
オーバードーズを覚えて、その薬代を稼ぐために売春に手を出して。ニンゲン、堕ちるのは実に簡単だ。ラクな方に流されることに関しては、ニンゲンという生き物の右に出るものはない。
「あとはねえ、ホストも行ったなあ。ウチの推し紹介してえ、おぢから稼いだカネでシャンパン開けてえ、どんちゃん騒ぎだよお。バカ楽しかったなあ! 長門もその日のうちに推し見つけてえ、アフター行ってえ、もう次の日には行きたい行きたいってさあ、どっぷりハマってんのお。やっぱさあ、歌舞伎町にいる以上はホストはマストっしょ?」
ホストにまで入れあげていたか。歌舞伎町とはそういう場所だと聞いていたけど、そんなにあっけなく貢ぐことになるとは知らなかった。
売春で客を取って、それで稼いだお金を薬とホストにつぎ込む。
……なんてむなしい循環なのだろうか。
聞いていて、胸にあいた空洞にひゅるりと風が吹き抜けていくような気分になった。
それでも、みくるさんと長門さんは生きた。
できるだけ毎日楽しく生き抜いていくためには、なにもかもが必要だったのだ。
みくるさんはへらりと笑って、
「最後の方、長門もけっこう笑うようになってさあ。あのむすーっとして本ばっか読んでた長門がさあ。ウチそれがうれしくてえ、長門の相談にはバカ真面目に乗ったしい、いっつもいっしょにつるんでたなあ。トー横で『ハルヒ』コンビっつったらウチらってくらい顔も売れてさあ。長門楽しそうでえ、すっごい生きてる!ってゆうツラしてたなあ」
「……けど、その長門さんも……」
「ああ、ちょい待ってえ。クスリ切れてきたから一旦バキらせてえ」
……なんだか、調子を狂わされっぱなしだ。
みくるさんはあくまでもマイペースにキャリーカートから薬袋を取り出しては、また青くなった舌で大量の錠剤を飲み干していく。ずぞぞ、とストゼロをストローで飲み干すと、キャリーカートからは新しいロング缶が現れた。
そのロング缶を開けてストローを突っ込み、ぎらぎらした目でアルコールを吸いながら、
「っああ、パキってるう! ODサイコー! ヤバい踊りたくなってきた! ここ撮影おけえ?」
「勘弁してください」
「ええ、NGなんだあ。カゲローは良かったのにい?」
「あの件以来、全面禁止にしています」
「わかったわかったあ、じゃあ帰ってから踊るしい」
その帰るまでの道すがらも、またオーバードーズをしなければいけないのだろう。
小さなくちびるからのぞく舌の青さが、脳裏に鮮明に焼き付いている。
僕はしばらく、ふわふわとからだを揺らしているみくるさんが『こっち側』に戻ってくるのを待っているのだった。