№1 ハードラックデイズ
あの日からも、所長は変わらず毎日毎日配信を続けていた。事務所にいるときは常にカメラを回し、間断なく視聴者に向けて話しかけている。
それでも、夜眠っている間やシャワーの時間くらいは配信を切れるようになっているらしく、あの日のシャッターは間違いではなかったと僕は密かにほっとしていた。
今日もさわがしいおしゃべりの声が事務所に響き、そんな中、僕は地味に掃除機をかけている。いくら所長を『呪い』から解き放ったとはいえ、仕事内容に変わりはなかった。掃除をして、お使いをして、それから……
「あーもう、サイッテーだよもう!!」
業務内容のひとつである子守りの対象が、ずかずかと暗室から飛び出してきた。顔を真っ赤にして、息が荒い。前髪が汗で顔にはりついていた。
……また『調律』中になにかあったのか。
後ろをとことこと子カルガモのようについてくる小鳥くんが不思議そうに見つめていると、無花果さんは乱暴な仕草でソファにからだを放り出す。
「いやもう、小生大いにファックな気分でござるよ! 何がサイテーって、そりゃあもうあいつだよあいつ! 小生の神経を逆撫でする才能でもあるのかねえあいつには!?」
「無花果さん、落ち着いてください」
「るっせー! 小生、今度ばっかりはブチ切れですよ!」
なだめる僕の言葉にも聞く耳を持たない。これは、やっぱりなにかあったに違いない。
同じく暗室から出てきて、『なにか』をゴミ箱に放り捨てた三笠木さんが、なにごともなかったかのようにいつもの定位置についてキーボードを叩き始める。
そんな澄ました様子が気に食わなかったのか、無花果さんは掃除したての床に、ぺ、と唾を吐くと、
「てめえなんざ、ただの肉棒の付属品だ! オマケでしかねえんだ!! 前戯くらいしろよヘタクソバーーーーーーカ!!」
小学生以下の罵声を発した。
しかし、いくらなんでもそれは言い過ぎではないか。さすがの三笠木さんも傷つくのでは……
「それならば、私はあなたにとって、ただのマスターベーションのための器具と同等の存在です」
「ああそうだよ! うぃんうぃん動くだけハンディ彼氏の方がマシまであるからな!」
「では、道具があればあなたは充分に満足します。私は必要ではありません。つまり、『調律』という行為もまた、不必要です」
いっそ冷徹なくらいの声音で、三笠木さんが言い放った。やっぱり、これは怒ってるな……表面上はいつも通りだけど、発言の端々にトゲが見え隠れしている。
そうやって核心を突かれた無花果さんは、急にぎくっとからだをこわばらせ、
「べっ、別にそんなこと言ってねえだろ!?」
「いいえ、あなたはそう言っています」
「そういう問題じゃなくて! 論点すりかえてんじゃねえよ!」
「しかし、究極的に言うならばその通りです。違いますか?」
「だから! そういうことじゃなくて!」
「私がいなくても問題ありません。『調律』も必要ありません」
「そうじゃなくて! 小生が言いたいのは、もうちょいそれらしくしろってことで!」
「私には不可能です。あなたが不満足ならば、私ではなく器具を頼りにしてください」
「ちっがああああああう!! ああもう!! ああああああもう!! 言えってか!? 言わせるつもりかこのヤボチンは!?!?」
……その言い争いで、だいたいの察しはついた。なんともわかりやすいふたりだ。
僕は掃除機をかけながら、できるだけかかわり合いにならないように無言を貫いた。
「ねえ、まひろくん!」
……と、思っていたら、いきなり僕に水が向けられた。
無花果さんはそのままの勢いで掃除機の前でとうせんぼをし、強制的に僕を巻き込んだ。
「こいつ、小生に屈辱を与えようとしているよ!? こんなマネが許されていいと思うかね!?」
このまま掃除機をかけ続けるわけにもいかず、僕は掃除機のスイッチを切ってため息とともに肩を落とした。
「別にいいじゃないですか」
「よかないよ! こいつ、変態オヤジみたいに小生のかわいいお口から言わせようとしてるのだよ!?」
「普段からお世話になってるんですから、それくらい言ってあげたらどうですか? 『三笠木さんじゃなきゃダメだ』って」
「おおあおああああああああ代弁しないでええええええええええ!!」
僕が言葉にしてみると、無花果さんは頭を抱えて天を仰ぎ、その場にがっくりと膝をついた。
……これ、実質自分で認めたって言ってるも同然なんだけど……?
そこに気づいていない無花果さんに一瞥もくれず、三笠木さんは淡々とした声音で、
「あなたは本当にそう思っていますか?」
「ちっ、ちげえし!!」
「本当ならば、あなた自身が発言してください」
「ちげえって言ってんだろ!」
……ああもう、埒が明かない。
見ていられなくなった僕は、渋々仲裁に入ることにした。
「三笠木さんも、あんまり意地悪言っちゃダメですよ。わかってるでしょう、無花果さんの性質上、そんなことは絶対に言えないって」
「小生の性質ってなにさ!?」
「無花果さんも、意固地にならないでください。おとなげないです」
「ぐぬぬ……!」
膝をついたまま、無花果さんは歯噛みしてこぶしを握りしめた。対して、三笠木さんは珍しく、ぴくりと眉を動かしてから、
「日下部さんがそう言うならば、私はこれ以上の追求をすることはないでしょう。春原さんの心情を代弁したその言葉が真実であると仮定します」
「くっそ! くっっっっっっそ!! 小生の臆病で尊大な自尊心を踏みにじりやがって! なんだよすねてんじゃねえよこのムッツリAIが!!」
「無花果さん」
「ああもう、わかったよ!」
そう言ったきり、無花果さんは、ぷいっと三笠木さんにそっぽを向いてしまった。
……やれやれ。わかりやすいくせにめんどくさいな、このひとたち……
「まひろくーん! 慰めておくれよ!」
掃除機をかけることをあきらめて片付けている僕に、無花果さんがべったりとくっついてきた。大げさに嘆いているけど、そんな茶番にだまされる僕ではない。
頬ずりしながらひっついてくる無花果さんをひきずりながら歩いていると、小鳥くんもそれにならって引っ付いてきた。
「……小鳥も」
「ああ、小鳥くん! またぎゅってしておくれ! 小生にムーンプリズムパワーをチャージしておくれ!」
「……いちじく、昨日お風呂、入った……?」
「小生グレムリンの亜種ゆえ、水に濡れてしまっては大変なことになるのだよ!」
「……それって、入ってないってこと……」
「応ともよ!」
「……じゃあ、くさいから、ぎゅってしない……」
「そんなあ!」
……ふたりとも、僕にしがみつきながら会話をするの、やめてくれないかな……
ふたり分の体重は、ぶら下げて歩くにはさすがに重い。
身動きが取れなくなった僕に、所長が笑いながらカメラを向けてくる。
「見て見てー、視聴者のみなさまー。うちの天使たちのたわむれだよー。微笑ましいねー」
「……所長はやっぱり、『悪魔』ですね」
「あははー、なんのことか僕わかんなーい」
外野からにぎやかすだけにぎやかして、止めに入る気はさらさらないらしい。
ここに救いはないのか……
「ねえねえ、まひろくん! 小生くさくないよねえ!?」
「……まひろは、くさくないから、ぎゅってする……」
「小生にもしてよおおおおお!!」
「……いちじく、うるさい……」
頼むから、僕を仲介して会話するのやめてほしい。
……けどまあ、これが『ここ』の日常なんだけど。
「なに笑ってるんだい、まひろくん!?」
「いえ、なんでもありません」
つい顔に出てしまった苦笑を噛み殺しながら、僕は満足するまで『日常』の音を浴び続けるのだった。