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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第11章 Schrödinger's Cat in the Network
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№11 『観測』された呪縛

 教授の死を乗り越え、所長を壊してしまわないためには、『神様』にならなければならなかった。


 ……そういう、八坂さんの『理由』は理解できた。


 けど、僕にはまだ、気がかりなことがひとつ、残っていた。そのタブーをおずおずと口に出す。


「……けど、無花果さんのお父さんは……」


「……ああ、海斗大先輩な……」


 携帯灰皿でタバコを揉み消した八坂さんは、これ以上吸うつもりはないらしく、タバコも灰皿もふところにしまって、


「『あの日』から一年くらいあとやったか……大先輩が奥さんに殺されたんは。そんとき、俺様はまだ警察学校やった。俺様が知らされたんは、全部終わったあとやった。まだ小さい『魔女』がやらかしたもん含めてな」


 途端に、八坂さんの表情が渋いかげりを帯びる。


 思い出すのも忌々しいとばかりに、


「正直、俺様は反対やったんや。あの『魔女』のための『庭』なんちゅうのはな。そんなん、許されてええはずあらへん……しかし、大先輩のこと考えるとなあ、『魔女』は殺してしもたらあかん気がしてな」


 ほう、とため息をついて、八坂さんは続けた。


「『魔女』は、先輩の手助けで大先輩の死体見つけて、よりによって装飾しおった。『作品』? 笑えへん冗談やで。それをよしとした先輩の考えは、いまだに理解できんししたいとも思わへん。俺様は認めん。けど、否定もせえへん」


 認められないくせに、赦してしまうのだ、このひとは。


 他ならぬ、所長が作った『庭』だから。


 それを否定することは、そこでしか生きられない所長のことすらも否定することになるから。


 だから、八坂さんは『監視者』でしかない。


 物語には、決して立ち入らない。


 ふと、ぼやくように八坂さんが宙を見つめてつぶやいた。


「……あの研究室、呪われとったんやろうなあ……」


 ……かもしれない。


 教授が発狂して自殺し、所長は配信を切れなくなり、八坂さんは『神様』に成り代わらざるを得なくなって、無花果さんのお父さんは殺された。


 なにが悪いわけでもなく、ただ運命はそういう方向に転がってしまった。


 これが『呪い』じゃなくてなんだというんだろう。


 よっこいせ、とソファから立ち上がった八坂さんは、所長の腕を引いて立ち上がらせた。


「ほれ、気つけに一杯や! 飲み行きますよ、先輩」


「えー、だからさー、なんで下戸のオッサン同士が飲めないお酒なんて飲みに行くのさー?」


「そんなん理由なんて考えたらあきません。酒はだいたいのことどうでもええようにしてくれます。俺がバカんなれんのは先輩の前だけやし、先輩かてそうでしょ?」


「そりゃそうだけどさー」


「せやったら、はよ行きましょ。俺直帰やし、台風行ってもうたし、今ハッピーアワーやっとるし」


「わかったわかったー。お付き合いしますよー」


「ほな、準備してくださいね。俺外で待っとりますから」


 そう言い残して、八坂さんは事務所から出ていってしまった。所長が出てくるまでビルの外で待っているようだ。


「ことあるごとに飲めない酒飲もうってんだから、仕方のない後輩だよねー」


 電子タバコと財布、スマホをポケットに入れて、所長は困ったように笑う。


「だからこそ、所長も救われてるんでしょ?」


「あははー、それはあるかもねー」


 所長はもう、震えていなかった。顔色も戻っているし、いつもの飄々とした笑みを浮かべている。


 けど、いつもと違って配信はしていない。それでもどこか安心したような、肩の荷がおりたような、憑き物が落ちたようなさっぱりとした顔をしていた。


「写真、また現像して見せてよねー」


「もちろんです」


「カタチにならないと『観測』できないからねー」


「ちゃんといつも持ち歩いてますから」


「女子高生の推しじゃあるまいし、まひろくんそれってけっこうキモいよー?」


「そうしないと所長がまた配信始めちゃいますから」


「そりゃあ、僕といえば配信だからねー。視聴者のみなさまも待ってることだしー」


 そんな風にうそぶいて、けらけら笑う。本当に懲りないひとだ。もう取り憑かれたようにカメラをのぞくことはないだろうけど、配信はやっぱり続けていくらしい。愛すべき習性として染み付いてしまっているのだ。


 ふいに、所長が表情をやわらげた。心底安堵しているような、胎内回帰しているような、そんな顔だ。


「……けど、今夜からは配信切って眠れそうだ」


 にっ、と苦笑いして、所長はそんな風に言った。


 せめて、眠っているときくらいは『観測』の呪縛から逃れていてほしい。そうすれば、きっといい夢が見られるだろうから。


 嵐の中でようやく15年前の『呪い』から解放された所長は、僕の手を取ってまっすぐに目を見た。『暴力』とさえ言われた、僕の目を。


 そして、真剣な顔で告げる。


「本当にありがとう、まひろくん。僕の存在を確定してくれて。君が見てくれてるなら、これからもきっと、僕は大丈夫だ。きちんと存在していける」


「……そんな大層なこと、してませんよ」


 もったいなさすぎる賞賛の言葉を受けて、僕はつい目を逸らしてしまう。所長も、真面目な顔を崩して、ぷ、と吹き出し、


「ワカモノだねー」


「ワカモノですよ?」


「あははー、違いないねー」


 そうして、所長は僕の手を離して、いつものいい加減でちゃらんぽらんな笑顔を浮かべて事務所の出入口へと向かっていった。


 去り際に振り返り、


「けど、やっぱり君はもうちょっと、自分の視線の影響力に気をつけた方がいいよー。君が思ってるよりずっと、真実の『記録』っていうのは重大な行為だからさー。それをおこなう瞳もまた、だよー」


「……どういうことですか?」


「それは自分で考えてー。僕は大樹くん待たせてるから、これでお疲れ様ー」


 無責任なことを言い残し、所長もまた、ドアの向こうに消えていってしまった。


 ……ひとり取り残されて、考える。


 『観測』は、『呪い』にも『祈り』にもなり得る。『記録』もまたしかり、だ。


 あるときはひとを狂わせる。


 あるときはひとを救う。


 どちらにせよ、圧倒的なちからを行使していることはしっかりと覚えておかなければならない。


 自分のしていることを、今一度自覚しなければならない。


 それは、正しいか正しくないか、そういうことじゃない。正誤なんて、それこそ神様にしかわからないことだ。


 もっと、根源的なこと。


 ひとに影響を及ぼすという、僕の視線。


 カメラを介していない、ナマのまなざし。


 それは僕のたましいのまなこだ。腹の底から『観測』して『理解』して、『表現』する、そのための器官。


 ただの視覚情報に意味を与える、僕という名の『記録』装置。


 無花果さんが『死』に意味を与えるように、僕もまた、ただの事実を真実へと昇華して、それを『作品』としている。


 だからこそ、僕の視線には『暴力』が宿っている。臓腑までも喰らい散らし、暴いて排泄物にしてやろうというまなざしだからだ。


 ……にしたって、こわい、はあんまりだと思う。


「……そんなにこわいかなあ……」


 ひとりごちて、ぱちぱちとまばたきをしてみる。世界が見え、遮られ、また見える。


 ……今度鏡をのぞくときに、ちょっと気をつけてみよう。


「……えっぷし!」


 急にくしゃみが出てきた。途端に、からだに悪寒が走る。


 そういえば、台風の中をずぶ濡れになって走ってきて、服も着替えないままだった。からだはすっかり冷えていて、頭がくらくらして、痛み始める。


 これは……風邪引いたかな……?


 まあ、家に帰って風邪薬を飲んで眠ってしまえば、どうってことないだろう。


 風邪なんて滅多に引かない健康体、それくらい屁でもない。


 そんなことを考えながらがくがくと震えて、僕は替えの服を探しに自分のロッカーへと向かうのだった。

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