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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第11章 Schrödinger's Cat in the Network
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№8 『確定』のシャッター

 嵐がどんどん遠ざかっていく。風の音も雨の音も、幾分かマシになってきた。


 それでも、所長の震えは収まらない。


 存在を確定させるために、常にだれかの視線を必要とする。他者の目が、所長にとっての正気を保ついのち綱だった。


 なんてもろい存在なんだろう。


 これはもう、承認欲求なんて生やさしいものではない。


 強迫観念だ。いのちにかかわるやまいだ。


 思えば、すべての承認欲求というものは『シュレディンガーの猫』の理論に収束するものだった。


 『観測』されることによって、初めて存在を確立できる。


 『観測』されていないと、存在を論理的に証明できない。だから、不安に押し潰されそうになる。


 牧山蓮華も、カゲローさんも、きっとそうだった。


 所長がふたりのことを無下に扱わなかったのは、『同病相憐れむ』ところがあったせいなのかもしれない。


 だれか、僕を見て。


 みんな、僕はここにいるよ。


 ここにいるって、証明してよ。


 ……所長の配信には、そういう声なき悲鳴が含まれていた。へらりとした笑顔の裏側は、いつ自我が崩壊してもおかしいくない状態だった。


 だれにも悟られないように。


 しかし、だれかに見つけてほしい。見ていてほしい。


 所長の仮面があまりにも巧妙だったために、だれもそんなことには気づかなかった。


 が、その仮面も今は跡形もなく砕け散っている。


 所長が、僕にだけ初めて素顔をさらけ出してくれた。


 弱々しすぎる『モンスター』としての素顔を。


 ……だったら、 僕が『記録者』として、『共犯者』としてできることは、ひとつっきりだ。


 僕は黙って机の下から這い出ると、ソファのテーブルの上に置いてあったカメラを手に取った。


 所長の元に戻ってくると、そのままレンズを向ける。


 ……このやまいを治すためにできること。


 ぱしゃり。


 僕は無言で、シャッターを切った。


 フィルムに『光』と『影』が焼き付き、固着する。


 ……これで、充分だ。


 ぽかんとしている所長の前にかがみこんで、僕はカメラを掲げて見せた。


「たった今、所長の存在は半永久的に確定しました。僕のフィルムに焼き付いて、所長が生きているという事実は、これから先消えることはありません」


「……う、うん……?」


「いいですか。所長の存在は、これで半永久的なものになりました。もうだれかの視線がなくたって、この写真が朽ち果てない限りは、所長はずっと存在しています。ここにはたしかに存在の物的証拠があります。そもそも、この写真自体が『観測』されなければ存在できないのかもしれませんけど、だったら僕が常に持っておきます……これで、どうですかね?」


 メガネの奥の糸目をまん丸にしたまま、所長はかすれた声でつぶやいた。


「……君、神様にでもなったつもり……?」


「それは、八坂さんの専売特許でしょう」


 『俺様は、神様や』と言ってはばからなかった、傲岸不遜な刑事のことを思い出して、ふと八坂さんが『神様』になったのも所長のためだったんじゃないかと考えてしまう。


 『共犯者』とは違う、トラウマというきずなで結びついた『運命共同体』。


 ふたりがずっと関係を切らずにいたのも、そんな『呪い』があったからこそだ。


 所長が『観測』され続けるために『庭』を作ったのなら、上等だ。


 その『庭』の『記録者』しか持っていない、やまいの特効薬。それが、このカメラであり、このフィルムだ。


 目を逸らさずに、すべてを見届ける。


 僕に与えられた役割は、そういうものだった。


 言い換えれば、それはすべての事象を『観測』して、たしかにそこで起こったことだと未来に語り継ぐための役割だ。


 来たるべき『庭』の崩壊、パラダイス・ロストに備えて宇宙空間に打ち上げられた『ノアの方舟』、それが僕のカメラだった。


 ……自分で言うのもなんだけど、もしかしたらそれは、『希望』と言ってもいいのかもしれない。


 僕はカメラを膝の上に置いて、所長にほほ笑みかける。


「所長が僕を『庭』に招き入れたのだって、こうしてほしかったからじゃないんですか?」


 そう問いかけると、所長はバツが悪そうな顔をして、


「……そうだね。そうかもしれない……君を巻き込んじゃったんだ……ごめんね、まひろくん、こんなくだらないことに付き合わせちゃって……」


「くだらなくなんてないです。所長は、僕のカメラに意味を与えてくれた。言ってしまえば、所長が『観測』することによって、僕も存在していられるんです。もっと言うと、所長が『観測』するからこそ、世界は今日も回ってるんですよ」


 そうだ。


 『庭』の『ヌシ』には、『悪魔』には、それくらいでいてもらわないと困る。


 僕が『観測』してあげるから、存在してていいよ。


 それくらい言ってもらわないと。


「それはともかくとして、もう物理的に、量子力学的に『観測』結果が残っちゃったんですから、所長はたしかに存在しています。『50%』なんかじゃない、たしかにここにいる。僕のカメラが、それを証明してくれました。僕の目が、それを見ています。ずっとずっと、見てますから……」


 そして、僕は『悪魔』に対して、悪魔めいたささやきを吹きかける。


「……もう、そんなにこわがらなくて、いいんですよ」


 泣き濡れて見開かれていた所長のまなじりが、ぴくり、と動いた。


 それはやがていつもの飄々とした笑みの形を取り、ほんの少しのほろ苦さを含んで、所長は笑声をこぼす。


「……あはは、強引な子だね、君も……こんなの、いちじくちゃん以上じゃないか……まったく、とんでもない『モンスター』を招き入れちゃったもんだ……」


 へらへら。


 『悪魔』の笑みが、戻ってくる。


 やまいなんかで死ぬタマじゃないのだ、このひとは。


「……けど、そうだね。君がそういうんなら、存在してあげてもいいかなって……世界だって、僕が『観測』して、存在を確定してあげる。なんたって、僕は『神様』と対になる『悪魔』らしいから」


 そう、『庭』も世界も、『悪魔』による……いや、『観測者』による『観測』によって成り立つ。


 だから、『観測者』も消えたりはしない。絶対に。


 世界が終わる、その日まで。


「……雨、上がったみたいだね」


 ぽつりと所長がつぶやく通りに、窓の外はすっかり静かになっていた。雨上がりの日差しが、ブラインドの隙間から差し込んでくる。


 おそらくは、もう電波も復活しているだろう。


「いいんですか? 配信しなくて」


 視聴者たちも心配しているに違いない。いつもの日常に戻るためには、カメラを回さなければならないはず。


 しかし、所長はもそもそと机の下から這い出て来ながら、スマホを手に取ることはなかった。


「あははー、そりゃあ君、ヤボってもんでしょー。せっかくのヘレン・ケラー体験が台なしだよー」


「……そうなんですか?」


「そうそうー。まあ、視聴者のみなさまはそこんとこ心得てるからさー、しばらくは顔見せなくても大丈夫でしょー」


「でも……」


「……いいから。もうちょっと、このままでいさせて」


 苦笑いでそう頼む所長は、すっかり『呪い』から解放されたようだ。憑き物が落ちたような、ひどくすっきりした顔をしている。


「たまには、こういうのもいいでしょー。『ネット上から僕が消えた日』なんだからさー。ついでに、『世界に僕が存在証明をした日』でもあるんだしー」


「……たしかに」


 つられて、苦笑がこみあげてくる。


 喉元過ぎればなんとやら、このひとが凝りることなんて一生ないのだろう。


 ……そうあってほしい。


 ちょっとだけの願望を交えて、僕たちはお互いの目と目を合わせて笑い合うのだった。

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