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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第11章 Schrödinger's Cat in the Network
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№5 『観測』というやまい

 外では轟々と嵐が吹き荒れている。


 窓ガラスががたがた鳴るのを聞きながら、僕と所長はふたりだけでデスクの下という狭小空間に膝を抱えて身を寄せていた。


 所長は僕の視線があると、少しマトモになる。泣き止む。


 けど、僕が少しでも目を逸らすと途端に震え出して、ぐずぐずと泣き出してしまう。


 ……こうやってだれかに見られていないと、安心できないのだろうか。


 あの配信は、常にだれかの視線に晒されている状態を維持するためにおこなっていたのだろうか。


 そうまでして見られていないと壊れてしまう所長。


 ……『原因』はなんだ?


 少し落ち着いてきたから、聞いてみてもいいかもしれない。きっと、深い病根があるだろうから、話して少しでもラクになってほしかった。


 所長はまだ小刻みに震えながら、抑揚がおかしい声音でつぶやいた。


「……こんなとき、大樹くんが、いてくれたらな……」


 大樹くん……八坂さんのことだ。僕は脳裏に、あのチンピラじみたSサイズの刑事の姿を思い浮かべた。


 これまでこんな状態になったときは、八坂さんに助けられていたらしい。大学の研究室でいっしょだったとは聞いてたけど、八坂さんはこの『原因』を知っているのだろう。だから、所長も頼るのだ。


 ここにいるべきは、本来僕ではなく八坂さんだ。


 かといって、電波が途絶している今、電話で呼び出すことはできない。そうなると、また雨の中走って警察署まで呼びに行くということになるけど……


「……八坂さん、呼んできましょうか?」


 おずおずと提案すると、案の定所長は激しい拒絶反応を見せた。


「いやだ!! ここからいなくならないで!! ぼくを、ひ、ひとりにしないで!! おねがいだから、か、『観測』してて!! でないと、でないとぼくは、消えちゃう!!」


 僕にしがみつく中年男性は、率直に言ってかっこ悪い。


 しかし、いくらカッコ悪くたって所長は必死なのだ。


「……わかりました、ここにいます」


 立ち上がりかけた僕はまたデスクの下に座り直し、それを見た所長は心底ほっとしたように手を離した。


 まるで、麻薬中毒者みたいだ。視線に晒されていないと発狂してしまうとは、こういうことか。


 ……しばらくの間、吹きすさぶ風の音と、雨が窓ガラスを叩く音だけが室内に満ちる。


 所長は、『観測』と言った。


 『観測』されていないと消えてしまう、と。


 きっと、四六時中の配信は『観測』され続けるためのものだ。ネットを介して常にだれかの視線に晒されている。『観測』されている。そうでないと、所長は一秒たりとも存在できない。自我が崩壊してしまう。


 最初は伊達や酔狂だと思っていたけど、その理由がこんなところにあっただなんて、知りもしなかった。


 いつもいつも飄々としていて、つかみどころがなくて、ダメな大人で、けど『庭』の『ヌシ』で、みんなを拾い上げてそれぞれの居場所を作ったひと。


 そのすべては、こういう本性を隠すための仮面だった。


 いや、仮面と言うよりは鎧か。


 『恐怖』から身を守るための、唯一すがれるものが、ぶっ続け配信だった。


 他者からの『観測』だった。


 『観測』のみが所長の正気を保ち、ニンゲンのフリをしたまま生かしている。


 ……所長もたいがい、業が深い。


 やっぱり僕たちと同じ『モンスター』だ。


 やまいを抱えた、強くて弱いニンゲンなのだ。


 怯えきった所長に妙なシンパシーを覚えて、僕はつい苦笑してしまった。


「……どうしたの……?」


「いえ、なんだか所長もひとの子だったんだなあ、って」


「……そりゃそうだよ……ぼくのこと、なんだと、思ってたんだよ……」


「ええと……『悪魔』?」


「……ひどいなあ……まひろくん……」


 やっと、所長がほんの少しだけマトモな笑みを見せた。


 まだ震えは止まらないけど、涙は止まってくれた。


 嵐も少しづつ遠ざかっている。


 もう大丈夫なんだ。


 所長は消えない。


 ほっとした僕に、所長はささやくような声音で語りかけた。


「……少し、昔話、していい……?」


「はい、聞きたいです」


 おずおずと投げられた問いかけに、僕はうなずいて返す。そうすると、所長はぽつりぽつりと過去のことを話し始めた。


「……僕が昔、京大の物理学研究室にいたって、知ってるよね……僕と大樹くん、四つ上の海斗先輩……ああ、いちじくちゃんのお父さんだね……他にも仲間はいたけど、だいたい三人でつるんで、楽しくやってた……」


 三バカとして有名だと聞いていた。所長と、八坂さんと……無花果さんの、お父さん。殺されてしまったという、かつての仲間。そして、刑事と探偵という真逆の道を選びながらも、離れられないでいる呪縛めいたふたりのきずな。


 その核心に踏み込むようにして、話は進む。


「……研究室の教授は、とても尊敬できるひとだった……みんな、そう思ってただろうね……公正で、ユーモアがあって、いつもみんなのことを気にかけてた……ひょっとしたら、自分の研究よりも気にかけてたかもしれない……そんな、ニンゲンとして出来上がってるひとだった……」


 過去形で語られるということは、その教授はもういなくなってしまったのだろう。まさか、所長と同じ理由で消えてしまったのではないだろうか。


 ……そんなバカな。


 しかし、ニンゲンというものは簡単に崩壊してしまうものだと、今回のことでよく思い知らされた。実際、僕は配信で、そしてこの事務所で、所長が壊れていく姿を目の当たりにしている。


 いつ、なにがきっかけで狂ってしまってもおかしくない。


 そんなぎりぎりの綱渡りで、僕たちニンゲンは理性を保っているのだ。


 所長だって、いつもの鎧がなければ、とっくの昔に精神崩壊していただろう。そうなると、僕はこの事務所と出会うことはなかった。兄の死体を見つけることもなく、無花果さんの『作品』という被写体に出会うこともなく、『モンスター』にならなくてもよかったのかもしれない。


 ……すべては『たられば』だ。


 現に、所長は壊れることなく『庭』を作り上げ、小鳥くんを、無花果さんを、三笠木さんを、そして僕を拾って憩わせた。魔女の『庭』の創造主たる『悪魔』、それが所長だ。


 だった、はずなのに……


 その教授の行方が気になったけど、話を急かすようなことはしなかった。昔に引き戻されているのか、所長はどこか遠い目をして語り続ける。


「……みんなで、量子力学について、研究してた……なつかしいなあ……波動関数、シュレディンガー方程式……みんな優秀で、けど頭おかしくてさ……あはは、僕もそのひとりなんだけど……」


 所長の頭がものすごく優秀で、そしてものすごくおかしいことは重々承知していた。けど、研究室時代からおかしかったのも、それが三人もいたのも、初耳だった。


 ずいぶんと、さわがしかっただろう。


 まるで、この『庭』みたいに。


 ……ひょっとすると、所長はかつての賑わいをなつかしんで、この『庭』を作ったのかもしれない。


 今はもうない、かつての青春。


 それを再現するために、『魔女』を、『最終兵器』を、『協奏者』を、そして『記録者』を招き入れたのかもしれない。


 それくらい、昔語りをする所長の目元はやわらいでいた。


「……とにかく、大樹くんと海斗先輩は飛び抜けて面白かった……だから、僕たちはいつもいっしょだった……教授にも、たくさんいたずらしたなあ……そのたびに、困ったように笑っててさ……楽しかった……」


 故郷を懐かしむような口ぶりだ。


 しかし、『楽園』はいつか崩壊する。


 所長の口から、パラダイス・ロストの顛末が、少しづつ語られ始める。

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