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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第11章 Schrödinger's Cat in the Network
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№3 落雷

 とはいえ、今すぐ事務所に向かうことはできない。外の天気は大荒れで、すでに大雨が降っていた。僕にできることは、こうして配信を見守る他ない。


『……は、はは……見てよー、めっちゃ手ぇ震えてるー。あー、これ別に禁断症状とかじゃないからー。クスリキメてるだろってー?あははー、そ、そんなことないよー。僕はねー、至って善良な、し、市民だからさー……』


 ……やっぱり、いつもの所長じゃない。


 それは他の視聴者たちも気づいているのか、猛スピードで流れていくコメント欄にも心配する声があった。どうやら、だれが見てもおかしい状態らしい。


 その中でも、古株らしい視聴者からコメントがあった。


『雷来てるみたいだし、またいつものアレじゃね?』


『前回は発狂しただけで済んだけど、今回はどうなるかな笑』


 『いつものアレ』?


 『発狂』?


 不穏な単語を見つけるたびに、胸がざわついていく。


 雷に関係があるらしいけど、発狂するようなことが起こるらしい。停電? 暗闇が怖い? そんなことは一言も聞いたことがないけど……


 そうしているうちにも、所長の様子はどんどんおかしくなっていく。


 デスクから立ち上がったと思うと、所長は電子タバコをくわえたまま事務所の中をぐるぐると歩き回り始めた。落ち着かない様子でフィルターを噛み、


『……だからさー、僕は思うんだよねー。ほら、そういうのって、やっぱり見られてナンボじゃない?だってさ、だ、だってさ、僕たちは見られて初めて存在できるんだからさー。あははー、あは、は、配信者なんて因果なもんだよねー、ホント、困っちゃうなー……』


 画面の向こうで遠雷が落ちる音が聞こえた。目に見えて飛び上がると、所長は自撮り棒を取り落としそうになる。実際、電子タバコは落としてしまった。


 小刻みに震える手で電子タバコを拾い上げ、まだ吸いかけの紙巻をぽっきり折ってしまうと、新しい紙巻を本体にセットする。けど、手が震えてなかなか入らない。


 それでも、所長はしゃべり続けた。


『……あー、やっばー、雷どんどん近づいてくるよー。……ひっ、う、あ、また、落ちた……ああ、今度は近いね……また近くなった……今度はどこに落ちるんだろうね……絶対ヤバいってこれ……どうしようか……どうしよう……』


 とうとう紙巻を本体に入れるのをあきらめて投げ捨てると、所長は電子タバコの代わりに爪を噛み始めた。がじがじと親指の爪に歯を立てながら、今にも叫び出しそうなのをこらえているのが見て取れた。


『……っあー、また落ちたよ……今度はまた近いね……あ、はは、は……どうしよ……どうにかなっちゃいそう……お、おしっこチビりそう……ない、ちゃったら、ごめんね……っていうか、この配信、続けられるかどうかだよね……』


 もはや偏執狂じみた様子で、必死にカメラにかじりついている。自撮り棒にすがるように、なんとかいのちを取り留めている。精神の均衡をぎりぎりで保っている。


 それが、今の所長だ。


 所長はふと、ぎゅっと目をつむって思い切り息を吐き出した。どうにかして落ち着こうとしているらしい。


 そして、


『……この配信さ、と、途切れたら……そのときは、僕は、き、消えちゃったと、おおお、思ってね……』


 揺らぐ声音に冗談の色はない。


 ……本気で、言ってる……?


 配信が切れたら、消えるだって?


 そんなバカな話があるか?


 けど、そもそもからして、途切れることなく四六時中配信を切らない理由は、そういうところにあるような気がした。


 『切らない』のではない。


 『切れない』のだ。


 配信を切ってしまえば、もう自分は消えてしまうものだと本気で思い込んでいる。


 ずいぶんと病的な思い込みだ。もはや強迫観念だった。


 理由はまったくわからないけど、所長は配信によって生かされている。存在を許されている。


 だから、だれかに見ていてもらわないと存在できない。


 あの所長が、そんなにはかない存在だとは考えもしなかった。


 けど、これもまた『記録』しなければならない。所長の『恐怖』、そしてその恐怖が構築された『歴史』……ことの発端を。


 いつしか所長の言葉は妄言以外のなにものでもなくなった。正気を失って、わけのわからないことばかりを口走っている。頭をかきむしり、泣きそうな顔をして笑っている。


 コメント欄も、『バグったか?』『いつものアレでしょー』『心配です』などの言葉であふれ返っていた。古株は何度か体験したことのある現象らしいけど、比較的新しい視聴者は戸惑いを隠せないでいる。


 それくらい、所長は狂ってしまっていた。


 事務所をぐるぐると歩き回り、奇声を上げて、ぶつぶつとなにか意味の取れないことをつぶやく。


 ひとが壊れていく過程というものを、リアルタイムで世界に向けて発信している。


 この配信は、つまるところそういうものだった。


 所長が、狂っていく。


 狂って、最後は、消えてしまって……


 僕の中の不安が頂点に達したときだった。


 ばあん!とひどい音がスマホから聞こえてきて、それっきり配信画面は暗転してしまった。


 コメント欄は混乱状態で繋がったままだ。つまり、サーバーの問題ではなく所長のスマホの問題で配信が切れてしまったということだ。


 真っ暗になった画面に視線を落として、ばくばくと心臓が高鳴る音を自覚する。いやな汗が背中を伝った。あの、遺言めいた最後の言葉が脳裏にリフレインする。


 ……所長が、消えてしまう……?


 バカげてる、と一蹴してしまうには、あの狂態はあまりにも悲痛すぎた。狂っていくところを見せて、それはまるでSOS信号のように見えた。


 『助けて』と言っていたのだ、所長は。


 ……気がつくと、僕はスマホを握りしめて、部屋着のままアパートのドアから飛び出していた。


 外はごうごうと風がうなり、電信柱さえきしんでいる。バケツをひっくり返したような大雨が降っていて、側溝から雨水が逆流していた。


 アパートから出て少し走っただけで、たちまち僕はずぶ濡れになってしまう。突っかけてきたスニーカーも水浸しで、歩くたびに、じゅぶっ!じゅぶっ!と音を立てる。


 それでも、僕は走った。もはやプールに浸かってきたんじゃないかというくらいの濡れ鼠だけど、知ったことか。


 今すぐ向かわなければ、所長が消えてしまう。


 いつしか、その強迫観念は僕にまで伝染していた。


 あの所長が、『ヌシ』がいなくなるなんて、そんなことあってはいけない。あってほしくない。


 消えるなら、せめて僕のカメラが見ているときにしてくれ。僕を『記録者』に選んだのはあんただろう。


 そんなことを考えながら息を切らせて走っていると、目の前で巨大な看板が落ちて砕けた。少しタイミングが違っていたら、 僕も巻き込まれていただろう。


 それでもなお、僕は走る。水を吸った服は重くて、すぐに足に来てしまった。普段の運動不足が祟って、膝が笑う。視界が悪く、まっすぐ歩くことさえ困難だった。


 けど、僕には向かうべき場所がある。


 待っているひとがいる。


 所長のSOSは、たしかに受け取った。


 だったら、僕が助けにいく。台風だろうと、大雨警報暴風警報が発令されていようとも、雷が落ちようとも、なんであろうとも、僕にしかできないことなのだ。


 お願いだから、間に合ってくれ……!


 所長が完全に壊れてしまうまでに事務所にたどり着けるよう、腹の底から祈る。


 今行くから、消えるな。


 あんたが消えたらどうしようもないじゃないか。


 またしても近くに雷が落ちる音を聞きながら、僕は息を上げながら必死になって大雨の中を泳ぎ、事務所へと走るのだった。

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