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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第11章 Schrödinger's Cat in the Network
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№2 台風の日

 連日大型の台風が来ると騒ぎ立てる天気予報は、珍しく当たった。


 その日は朝からずっと空に暗雲がたれこめていて、激しい風が街中を吹きすさんでいた。遠雷が聞こえて、空気がしけっているのがわかった。


 大雨警報と暴風警報が発令されて、電車も止まり、外を出歩くひともいない。


 僕も、朝起きてスマホを確認すると、所長から出勤停止のLINEが来ていた。さすがにこの天気の中出かけたら帰宅難民になりかねないのでありがたい。


 ……とはいえ。


 今日は久々の休みだけど、やることがない。


 なんだかんだで毎日のように出勤している事務所が閉まっているとなると、自宅で好きなように過ごす他ない。


 その『好きなように』を、なんとなく思い出せないでいる。ひとりきりのとき、どうやって過ごしていたかを忘れてしまっていた。


 ……ひまだ。


 自宅アパートのベッドに転がって、なにをするでもなく天井を見上げる。


 サブスクの映画でも見るか……それとも、料理でもしてみるか……もしくは、カメラの手入れでもするか……


 ……ダメだ、どれもぴんと来ない。


 そこで思い出したのは、所長の配信のことだ。


 たしか、前にアドレスを教えてもらったような……


 スマホを確認してみると、すでにブックマークしてあった。


 普段から配信をしている姿はうんざりするくらい見てきたけど、実際に配信されているチャンネルを見るのは初めてだ。カメラ越しの所長はどんな風に映っているのか、カメラマンとしてかなり気になった。


 本当に常に配信を切らないので、いつ見にいってもやっているはずだ。スマホでブックマークしてあるサイトを開く。


 途端、急にスマホの動作が重くなった。


 ……どれだけサーバーに負荷をかけているのだろうか。


 というか、どれだけ大勢が視聴しているのだろうか。


 チャット欄のコメントはすごいスピードで流れ去っていき、配信者が追いきれるものではない。賞賛と罵倒と戯言と世迷言が超高速で流れていく。


 そんな配信画面に写った所長を見て、僕は『あれ?』と思ってしまった。


 カメラに向かってへらりと語りかけている所長は、いつも実際に見ている姿とは微妙に違って見えた。それはそうだ、カメラ越しに所長を見たことがなくて、電波越しに見る所長は初めてなのだから。


 ……けど、違う。


 この違和感の正体は、そんなものじゃない。


 なにかが食い違っているような、そんな感覚があった。


『……でねー、そのタクシー運転手がねー『サインください』って言うんだよー。僕いきなりサイン求められて困っちゃってさー、でもよくよく考えてみたらさー、カード切ったから名前書けって意味だったんだよねー、あははー、笑えるよねー……』


 口調はのんびりとしているが、視線はあたりをうろうろと泳いでいる。時折、物音にからだをすくませ、すごいペースで電子タバコを次から次へと吸っていた。


 ……これは……なにかに怯えているような……?


 ホラー映画の登場人物みたいな様子に、僕の中の不安がどんどん大きくなっていく。


『……ほらー、僕って有名人じゃーん?だからねー、もはやサインとかさー、そういうの求められないんだよねー。あははー、それ有名じゃないじゃんって?かもしれないねー。けどさー、実際あったらめんどいじゃーん?ああ、実は有名人も大変なんだよー。この間来た『しょっぱいスープ』の金沢ボンドだってねー……』


 感心するくらいぺらぺらと間断なくしゃべっているものの、やっぱり顔色が悪い。いつもの語り口も、ところどころトチっている。そうしている間にも、電子タバコのパッケージをひとつ空にしてしまった。


『……あー、ラスイチのカートン出してこなきゃー。タバコの買いだめはねー、ホント大事だよー。緊急事態に備えないとねー。防災リュックにも入ってるんだからねー。バッテリー切れたらって?あははー、モバイルバッテリー、クソでかいの持ってるからー……』


 最後のカートンを持ってきた所長は、パッケージを取り出すとそこから一本紙巻を抜き取った。


 しかし、手が震えて上手く本体に差し込めないでいる。


『……あ、あれー、おかしいなー。あははー、僕も老眼デビューかなー?ほ、ほら、来るひとは早いって言うでしょー。老眼鏡はさー、か、かっこいいやつがさー、いいよねー……』


 自分の動揺を自覚してか、余計に言葉がつたなくなる。軽快なはずの言葉選びも、今は鈍く錆び付いてしまっていた。


 ……これが、あの所長……?


 こんなの、僕が知っている安土笑太郎とは全然違う。似て非なるものだ。


 画面越しの所長は、なにかに怯えている。これは確実に言えた。


 だったら、一体なにに怯えてるんだ?


 撮影しているのはいつもの事務所のデスクで、脅威らしき影は見当たらない。だというのに、大型の肉食獣と同じ檻に閉じ込められているように振舞っている。


 なにか、不安なことでもあるんだろうか?


 だれもいないことに怯えている?


 いや、これまで事務所にひとりきりだったことは何度もあったはずだ。そのときはこんなに怯えていなかったように思う。


 もしかして、風や雷がこわいとか、そういう理由だったりするのだろうか?


 いや、いい大人の男がそれはないだろう。


 じゃあ、なにに対して怯えているのだろうか?


 なにものかがやって来るのだろうか?


 ……なにもかも、わからない。


 わからないけど、所長の顔には確実に恐怖が写っている。


 ぼんやりとした『不安』ではない、明確なカタチを持った『恐怖』だ。


 ……もしかしたら、この24時間365日ぶっ続け配信になにか関係がある……?


 だとしたら、視聴していればなにかわかるかもしれない。


 今まで、こうやって所長のことを理解しようとしたことはなかったけど、所長だって『庭』の一員だ、なにかしらの事情があって然るべきだった。


 所長はただの『ヌシ』ではない。『庭』に存在しているなら、それなりの役割を持っているはずだ。


 所長でないといけない理由と、役割を。


 だったら、僕はしっかりと『記録』しなくてはならない。たとえそれが、『庭』の造り手である『悪魔』だとしても。


 そうすることが、僕の役割だから。


 カメラの出番はないかもしれない。フィルムに焼き付けるべき『光』も『影』もないかもしれない。


 けど、僕はちゃんとこの目で見る。視線をそらさず、見届ける。


 きっと、所長もそれを望んでいるだろうから。


 『庭』が誕生したのは、無花果さんが父親の死体で最初の『作品』を生み出したときだ。その場には所長も立ち会っていたはず。


 なぜ、『庭』は作られたのか。


 どうやって、『庭』は完成したのか。


 これは、『庭』の起源を見つめるための視聴でもあるのだ。


 その一員である僕にも、当然関わりのある物語の一端をのぞく。そのために、今は画面から目を離してはいけない。


 画面の中の所長は、やっと差し込めた電子タバコを早くも一本吸い終えようとしている。その間にも手は震え、声も絶え絶えで、顔は青ざめていた。


 無様なピエロをみているような、じっとりとした重い気分になった。こんなになってまで、所長は配信を切らない。


 まるで、いのち綱にしがみつくように、自撮り棒を下ろそうとしない。


 ……いのち綱?


 そうだ、この配信を通じてのみ、僕は所長の無事を確認できる。逆に言えば、所長もだれかが見ているうちは、無様でもいち『配信者』でいられるのだ。


 配信を切ってしまったが最後、もう所長は自分でいられなくなる。そんな気がした。


 ……頼むから、そのまま配信を続けてくれ。


 でないと、なにが起こるのか気が気じゃない。


 そう願いながら、僕は飲み物を持ってくることすら忘れて、引き続き滑稽とすら言える配信に見入るのだった。

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