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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第11章 Schrödinger's Cat in the Network
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№1 ないしょの話

 あの『生きている素材』の装飾以降、特に依頼人も来ず、事務所は平和そのものだった。裏を返すと、ひまだった。


 それでも所長は配信を続けているし、三笠木さんはキーボードを叩いているし、無花果さんはソファで骨格標本とたわむれているし、小鳥くんは僕の後を追いかけてくる。


 なにげない日常風景がしばらく続いていた。


 そんなある日、いつものように事務所の掃除をしていると、ふと無花果さんと小鳥くんがひそひそとなにやら話をしている姿が目に入った。


 無花果さんはにやにや笑いながらなにごとかささやいていて、小鳥くんは宇宙服の中できょとんとしている。


 ……また無花果さんがよからぬことを企んでるな……


 小鳥くんに要らぬことを吹き込まないでほしい、そもそも、無花果さんは存在自体が教育に悪い。『保護者』としては極力近づいてほしくないものだ。


 しかし、無花果さんんだって立派な外の世界の住人。小鳥くんが触れていくべき他者だ。毒だとか薬だとか、そんなことは言っていられない。


 ……死に至るような劇薬だった場合は、しかるべき対処をするけど。


 どうせロクでもないことを吹き込んでいるんだろうな、と僕は軽くため息をついた。


 そして窓を吹いていると、とことこと小鳥くんが歩み寄ってくる。そして、


「……まひろ、セックスって、なに?」


 ……こういうことか。


  僕は事務所のソファで笑いをこらえている無花果さんをひとにらみして、その意図を汲み取った。


 まるで小学生みたいな質問に対して、僕は窓を拭く手を休め、腰をかがめて小鳥くんと視線の高さをそろえた。


 ……困ったな。どこから説明すればいいのか。


 それでも、なんとか笑顔で応える。


「難しい質問ですね」


「……難しいことなの?」


「ええ、とても。なにせ、セックスっていうのは、ひとによっていろんな意味を持ちますからね」


「……ひとによって、違う……?」


「はい。あるひとは『愛情確認のため』だったり、あるひとは『動物として当然の情動を発散するため』だったり、あるひとは『子孫を残すため』だったり……もっといろいろ、たくさんあります。ひとの数だけ、セックスの意味があります」


 言い含めるように解説すると、小鳥くんは宇宙服姿で首をかしげ、


「……むずかしい……」


「けど、もしかしたらそんなに難しい話じゃないかもしれませんね。小鳥くんには小鳥くんの『セックス』があるはずです。いつかそれが見つかるはずですよ」


「……小鳥も、セックスできるかな……?」


「それは、宇宙服を脱いだときですね」


 今の小鳥くんにセックスなんてさせたら、どんなことが起こるか分からない。自慰ですらああだったのに、下手をすればそのまま二重の意味で昇天しかねない。


「けど、これだけは言えます」


 だから、僕はそのヘルメットのくちびるの辺りに、とん、と人差し指を当てて言った。


「『秘めるが花』」


 そう、秘め事なのだから、セックスなんてものは本来、ないしょにしておかなければならないのだ。それを、無花果さんと来たら。風情もへったくれもない。


 童貞が思い描くファンタジーだと笑わば笑え。童貞だからこそ見られる夢もあるのだから。


 意趣返しに、僕はくすくす笑っているシスター姿の痴女に向かってわざとらしく声を張り上げた。


「そうでしょう、無花果さん?」


 その言葉に、とうとうこらえきれなくなったらしい無花果さんは、ぶばっと吹き出した。


「ぎゃはは! こいつぁしてやられたねえ! 小生、完全にしっぺ返しを喰らったよ!」


 手を叩いて爆笑する無花果さんは、ひどく愉快そうに、


「童貞に聞いてみたらどんな答えが返ってくるかと思ったら、そう来たか! いやあ、あっぱれあっぱれ! 童貞ナメてましたあサーセン!」


「小鳥くんまで巻き込まないでくださいよ」


「いやいや、これも『暴露療法』の一環だよ! 世の中に存在するのが綺麗事のみだったらよかったのにねえ! 毒耐性つけとかないと、世間の荒波にもってかれんぞ! ねー、小鳥くん!」


「……小鳥は、世間的にも、がんばる……」


「その意気やヨシっ! 揉まれて成長したまえ、ワカモノよ!」


「オバサンは黙っててください」


「だれがババアだこるああああ!?!?」


「そういうところですよ、無花果さん」


「あれ? なんか小生がダメージ喰らう流れになってる?」


「当たり前です」


 あきれたため息をついて、僕は再度小鳥くんに向き直った。そしてふっと微笑みかけ、


「そういう話は、ふたりきりのときだけにしましょう」


「……わかった……」


 不思議そうにしていた小鳥くんは、こくりとうなずいて了解した。


 これでひとまずは安心だ。


 また余計なことを吹き込まないように、無花果さんには一度釘をさしておかないといけない。


 ……僕も、すっかり『保護者』が板に付いてきたな。


 なにせ、実の親も同然の所長直々のご指名なのだから、しっかりしないと。


 小鳥くんの将来を預かっているのだ。ひとひとりの人生の責任を負っていると自覚しなくてはならない。


 だから、慎重になってなりすぎることはないのだ。想定されるあらゆる苦痛や障壁を取り除き、できるだけ歩きやすいように道を舗装する。外の道は危険なので、ただでさえ『暴露』されている状態の小鳥くんには歩行の補助が必要だった。


 過保護だと言うなかれ。


 親ごころとはこういうものだ。


 窓を拭きながら、隣から離れない小鳥くんに笑いかけ、その道行きが明るいことを願う。


 もし小鳥くんに『反抗期』が来たら、こういう余計なお世話を鬱陶しく思うかもしれない。


 けど、だから今だけは、散々に甘やかしたい。


「……どうしたの、まひろ?」


「なんでもないですよ」


 ちょっと泣きそうになってしまった。


 心配してくれる小鳥くんのヘルメットの頭をなでると、僕は窓を拭き終えた。雑巾をバケツに入れて給湯室に持っていき、洗って干しておく。


 今度はお使いだ。


「コンビニ行ってきますけど、みなさんいつものでいいですか?」


「うん、おねがーい、まひろくーん」


「よろしくお願いします、日下部さん」


「チョコバットと蒲焼さん太郎、忘れないでくれたまえよ!」


「はいはい……」


 所長は電子タバコとエナドリ、三笠木さんは缶コーヒーとブドウ糖のタブレット、無花果さんはチョコバットと蒲焼さん太郎。僕もスポーツドリンクと惣菜パンでも買ってこよう。


 各自のオーダーを聞き受けると、僕はスマホと財布を手に事務所を出ていく。


 外の気温は今日も最高記録更新中で、日差しが熱いというか痛い。刺さる。


 ……最近じゃ男性の日傘も珍しくないし、僕も帽子くらいはかぶってこようかな……


 たぶん、このままだと熱中症になる。僕が倒れてしまったら、事務所の治安はめちゃくちゃになり、無法地帯と化すだろう。


 それだけは避けなければならない。


 みすみす依頼人を逃してしまってはいけない。


 ……やっぱり、僕が踏ん張るしかないのか……事務所の最後の良心として。


「……あれ、雨……?」


 ふいに頬に水滴が触れる感覚があって、僕は空を見上げた。日差しはさしているけど、大きな雲が出ている。この季節特有のゲリラ豪雨というやつだろうか。ちょっと出かけているタイミングで雨に降られてしまってはどうしようもない。


 大きい台風も近づいてきているらしいし、地球の気候はこれから先どうなるのだろうか。


「……お使い済ませて、早く事務所帰ろ……」


 独り言をつぶやきながら、突然の雨に降られないことを祈る。


 雨の予感もなにもない熱烈な紫外線に辟易しながら、僕は駆け足気味にあのやる気のない店員のいる最寄りのコンビニに急ぐのだった。

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