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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第10章 The Sickness Unto Life
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№9 大ウソつき

 高速を降りて山間部に向かい、やがて僕たちは白鷺百合恵のいる山荘の目前へとたどりついた。


 足早に軽トラから飛び出すと、玄関ドアを開こうとする。


 けど、鍵がかかっていて開かない。がちゃがちゃとドアノブを回していると、後ろから無花果さんの声がした。


「どいてろっっっ!!」


 助走をつけた無花果さんが、扉に向かってドロップキックをお見舞いする。


 ばあん!とちょうつがいから弾け飛んだ扉は、山荘の内側へと倒れて強制的に開いた。


「……無茶するもんじゃないですよ」


「なにを言っているんだい? フランス語でも『善は急げ』と言うだろうンヌ!」


 フランスでは言わないと思うけど、とにかく僕たちは山荘内へと足を踏み入れた。


 一番奥の部屋が寝室なのだろうか、無花果さんはその扉も蹴り破ってしまった。


 ……いた。


 今まさに、天井から垂れ下がったロープの輪に首を通そうとしている、イブニングドレス姿のひとりの老女。


 それが、白鷺百合恵だった。


 かつては舞台に上った足で踏み台に上り、あと少しで首を吊るぞというところだ。


 ……ぎりぎりセーフか。


 そのかさついたくちびるが、ぱく、ぱく、と動く。声帯を全摘出しているという話は本当のようで、声が出ていない。


 驚いた顔をしている白鷺百合恵に向かって、無花果さんは、ふんと鼻を鳴らして笑った。


「やれやれ! まさか本当に首に縄をかけて今か今かと待っているとはね! 想像通りすぎて気持ち悪いくらいだよ!」


 ぐ、と歯噛みするのがわかった。


 すかさず首に縄をかけた白鷺百合恵が踏み台を蹴る。ぶらん、小柄な体躯がロープからぶら下がった。


 反射的に首をかきむしってもがいているところを見ると、一撃で首の骨を折ることには失敗したようだ。


「まひろくん!」


「はい!」


 返事をして、僕は用意していた高枝切り鋏を取り出す。そして、ばちん、と太いクレモナロープを切断してしまった。


 縄を切られて、老女のからだが床に転がる。激しく咳き込み、真っ青になって空気をむさぼる。


「はいはい、よかったねえ! 自殺失敗して!」


 たった今首を吊ろうとしていたニンゲンに向ける言葉ではない。が、無花果さんは大げさにため息をついて、助け起こすでもなく、


「あーんなカマッテチャン全開の手紙寄越してさあ、本当は見つけて止めてほしかったんだろう? 極太ゴシック体ででかでかと書いてあったよ、『たすけて』ってね!」


 せせら笑っては、白鷺百合恵の胸ぐらをつかんで無理やりに立ち上がらせた。


 そして、その頬にこぶしをぶち込む。


 派手に倒れた白鷺百合恵を前にして、か弱い老女ひとりを殴った直後とは思えない調子で、無花果さんは殴ったこぶしを抱えて声を上げた。


「いってええええええ! 絶対手首ひねった! こんなことならあの人工無能でひとさまを殴る練習しとくんだった!」


 ……勝手すぎる。


 勝手に押しかけて、勝手に止めて、勝手に笑って、勝手に殴って、勝手に痛がって。


 そんな嵐に巻き込まれた白鷺百合恵は、ひたすらに混乱したような顔をして頬を押さえている。


 そんな老女をまた立たせると、胸ぐらをつかんだまま無花果さんはため息のような笑い声をこぼした。


「無様だねえ! ああ、無様すぎる! とてもあんなすごい『うた』を歌っていた歌手の末路だとは思えないよ!」


 なにか言おうとしても、言い返せない。


 声を失った白鷺百合恵は、弱々しく無花果さんをにらみつけている。


「死ぬのは別にいいよ。どうぞご勝手に。死にたきゃとっとと死ね。自殺だろうとなんだろうと、それだってひとつの『死』のあり方だ。小生、自殺否定論者じゃないからね。否定も肯定もしないよ。けどな、」


 ふいに、無花果さんが胸ぐらをつかむ手にちからを込めた。鼻同士が触れ合うくらい近くに顔を寄せ、その声音ががらっと変わる。


「本当は死にたくねえのに死にたいなんてほざいてんじゃねえよ! 見つけてほしくてあんなこすっからい手紙寄越したんだろうが! 歌えなくなったから死ぬ!? もう意味がない!? 未練なんてない!? ぜーんぶウソだ! まだ歌い足りなってことはバレバレなんだよ!!」


 間近で怒鳴り声に晒されて、なんなら唾まで飛ばされて、白鷺百合恵は目を見開いた。構わず、無花果さんは続ける。


「あああああああああいらいらするうううううう!! 至極くらだねえ茶番に付き合わせやがって!! 死にたくないけど死にそうとか、意味がわかんねえよ!! じゃあさっさと死んどけって話だよ!! 生きてんのか死んでんのかはっきりしろ!! 生きたいのか死にたいのか、ちゃんと正直になれよ!! そんな自分にウソまでついて、見つけて見つけてって言葉だけはいっちょまえでさあ!」


 がくがくと襟首を揺さぶって、無花果さんは一段と大きな声で怒鳴り散らした。


「なにが真実の『うた』だよ!! 白鷺百合恵!! お前は、他のだれよりも大ウソつきだ!!」


 老女の中で、なにかがぷつんと途切れる音が聞こえた気がした。


 無花果さんが手を離した途端、白鷺百合恵はその場に崩れ落ちて両手で顔を覆う。声は聞こえないけど、その下には涙が流れているのがわかった。


 大ウソつきだとののしられ、自分のやってきたことを全否定され、それでも泣きながら生きている。


 たしかに、歌手としての白鷺百合恵は死んだのかもしれない。


 けど、ニンゲンとしての白鷺百合恵は、見事に死に損なった。


 泣き声のない号泣というのも初めて見るけど、こんなにかなしい光景だったのか。荒らぐ呼吸の音だけが静寂に染み込み、まるでトーキーのように別世界の出来事だと感じられた。


 この世のものとは思えない、悲嘆の絶景。


 それでも、無花果さんは容赦しない。


「ったく、手間取らせやがって! おい、大ウソつきの白鷺百合恵!」


 びく、とむせび泣く老女の肩が大きく跳ねる。


「このまま終わるだなんて、ダサいこというんじゃねえぞ!お前は『表現者』だろうが! まだ歌い足りないんだったら、小生が最後に一度だけ鳴かせてやんよ、Canary!」


 このタイミングで差し伸べる救いの手の、なんと残酷なことか。なんと狡猾なことか。


 白鷺百合恵は、泣きながら何度もうなずいた。


 『魔女』との契約が、成立してしまった。


 声も言葉もサインもハンコも要らない。ほんの少し、甘えてしまえばそれでいい。


 『魔女』にとっては、それで充分だ。


 顔を泣き腫らした白鷺百合恵を、無花果さんは無理やり引っ立てた。無言で腕をつかんで、そのまま寝室をあとにする。僕も高枝切りばさみをその辺に放り捨てて続いた。


 無花果さんは白鷺百合恵を軽トラの助手席に押し込むと、自分は荷台に体育座りをして、


「さあまひろくん、出してくれたまえ!」


「……いいんですか?」


 なにが、とは言わなかった。けど、無花果さんには通じたようで、ふん!とそっぽを向くと、


「良かないよ! 仕方なしにだよ!」


「……はいはい」


 聞くだけ無粋だったか。苦笑いして、僕も軽トラの運転席に座る。


 キーを回してエンジンをかけると、ハンドルを切ってそのまま山荘をあとにした。


 切り忘れたラジオが、軽薄なポップソングを歌っている。毒にも薬にもならない歌だ。


 そんなメロディと、ずっと泣き続けている白鷺百合恵の無言が重なった。涙は止まることがなく、車中でも途切れることはなかった。


 ……ここに泣き声があれば、少しは救われたのにな。


 荷台にいる無花果さんは知らないだろうけど、ポップソングが流れる車中は氷点下まで冷え込んでいる。


 やるせない思いで胸をいっぱいにしながら、僕は国道を突っ切って事務所へと向かう高速道路へと軽トラを乗り入れるのだった。

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