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Grave Dancers ! ~死体装飾家の修辞学~  作者: エノウエアカシ
第10章 The Sickness Unto Life
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№8 終わらない『呪い』

 ……結果的に、収穫としては充分な話が聞けた。


 白鷺百合恵は、ガンで声帯を全摘出してからというもの、芸能界からしりぞいて山奥の山荘で暮らしているそうだ。おそらくは、そこで死のうとしているのだろう。目的地は決まった。


 ……いや、もはや、そんなことはどうでもいい。


 僕は、いつしかすっかり当初の目的を忘れて、白鷺百合恵の残像を必死になって追いかけていた。


 歌手として、ひとりのニンゲンとして。


 音源を聞くたびに、関係者の話を聞くたびに、残像は鮮明な輪郭を得ていった。


 会ったこともないはずの白鷺百合恵が、すぐ隣に立っているようなここちになった。


 それくらい、多角的に、総合的に、立体的に、歌手白鷺百合恵の存在が浮かび上がってくる。


 声を失った、58歳の元ベテランシャンソン歌手。


 もう、長年のファンだったような錯覚さえ覚えている。


「これはもはや、『歴史』だね!」


 事務所でお茶をすすりながら、無花果さんが言った。その通りだ、と僕はうなずき返す。


「ひとひとりの人生を『うた』にしたら、きっとこんな風になるのだろうね! そんな『カナリア』が鳴けなくなれば、そりゃあ絶望するだろう! なんたって、『カナリア』には『うた』しかないのだから!」


 もしかしたら、無花果さんは白鷺百合恵に自分を重ねているのかもしれない。


 『死体装飾家』だって、『創作活動』ができなくなったらもうおしまいだ。『表現』の手段を奪われた無花果さんは、きっと決定的に壊れてしまう。それこそ、『死』を望むほどに。


 そんな日が来ない、という確証はどこにもない。それどころか、いつ来てもおかしくはない。無花果さんだって、まだほんの少しだけニンゲンだ。完全に『あっち側』には行っていない。


 行ってはいけないのだ。


 そのために、僕がいる。


 ニンゲン、春原無花果を『こっち側』に引き止めておくために、僕は一歩引いて物語に干渉せず、『堕ちない』と決めたのだから。


 ……しかし。


 もしも、無花果さんが『作品』を作れなくなったら。


 そのとき、僕はまだ他人事として冷徹な『記録者』でいられるのだろうか。


 おのれを保っていられるのだろうか。


 一歩踏み込んで、物語に干渉してしまうのではないだろうか。


 そんなおそれが、ぎゅっと胸を締め付けた。


「……どうしたの、まひろ?」


「……なんでもないですよ、小鳥くん」


 僕の顔色を見て心配してくれた小鳥くんに、無理やり笑って見せる。


 ……信じなくては。


 無花果さんは、死んでしまうまで決して『創作活動』をやめない、と。無花果さんは、壊れものではないのだと。


 大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせる。


 そんな僕の内心を知ってか知らずか、無花果さんは湯呑みを置いてふっと笑った。


「安心したまえ、絶望程度じゃ、ひとは死なない」


「……無花果さん……」


「小生が一発、がつんと思い知らせてやんよ! 芸術の『呪い』はまだ続いてんぞってね! それと、こんなつまんねえことに小生を巻き込みやがって、って鬱憤を晴らしてやるのさ!」


 そうだ。


 『表現者』が死んだとて、『表現』に終わりはない。


 その手を離れた瞬間から、『表現』は独立したひとつのいのちを得るのだから。


 それが、『作品』を世に送り出すということだ。


 ひとのこころに爪痕を残すということだ。


 たとえ無花果さんが死んだとしても、『作品』は死なない。未来永劫、不老不死の時間をさまよい続ける。生きて、こころに素手で殴りかかってくるのだ。


 『呪い』は終わらない。


 どんな形であれ、受け継がれていく。


 そして、『表現者』の『歴史』となる。


 いや……『神話』となる。


 もはや人知の及ばない、神々の歴史書となるのだ。


 ……今はまだ、無花果さんにはニンゲンでいてもらわないと困る。


 でないと、僕のカメラが追いつけないから。


 せめて、フィルムに焼き付く存在であってほしい。


 ……そう考えてしまうのは、『記録者』のワガママだろうか?


「よっこらセックス!」


 ソファから立ち上がった無花果さんは、ぐいーっとネコ科の大型肉食獣のような仕草で伸びをして、


「気は進まねえけど、カマッテチャンが死ぬ前に見つけ出してやんねえと! ああもう、荒らしに反応する5ちゃん民みたいじゃないか! チラチラこっち見やがって、思うつぼだよ!」


「それでも、行くんですよね?」


「決まってらあ! 歌えなくなったから死にます? なにムシのいいこと言ってんだ! だったらこんな救難信号なんて発信してんじゃねえよって話だよ! 死ぬなら死ね! でなければ帰れ!」


「……無花果、それは碇ゲンドウ……」


「おっと、さすがは小鳥くんだね! ツッコミが的確ぅ!」


「いちじくちゃーん、くれぐれも穏便にねー?」


「小生の辞書に『穏便』の文字はないのだよ!」


「まひろくーん、手綱は任せたよー」


「……善処します」


 所長は僕になにもかもを丸投げしてきた。結局、今回も僕が無花果さんをなだめすかすことになるのか……思わず、よどんだため息がこぼれた。


 仕方がない、放っておいたらなにをやらかすかわからないのだから、僕がなんとかしないと。


 無花果さんのお守りだって、大切な仕事の一環なのだ。


「さあ行くよ、まひろくん! 迎えにいこうじゃないか、鳴けない『カナリア』をさ!」


「はいはい……」


 事務所の出口を指さす無花果さんに従って、再び軽トラのキーを手にする。


 たしか、現在白鷺百合恵は山奥の山荘でひとりっきりで隠居しているのだったか。


 階段をおりながら、高速を使っての経路をスマホのナビで呼び出す。


 外に停めていた軽トラに乗り込むと、無花果さんも助手席に座った。


「……無花果さん」


 ふいに、口が勝手に開く。


「なんだい、まひろくん?」


「……無花果さんは、死にませんよね……?」


 なにをバカなことを言ってるんだ、僕は。


 無花果さんはただのニンゲンだ。いつか必ず、死ぬに決まっている。その未来が近いか遠いかの違いしかない。


 けど、僕は問いかけずにはいられなかった。


 『死体装飾家』は、死ぬのかどうかと。


 『表現者』としての春原無花果が死ぬときは来るのかと。


 無花果さんは、ただほろ苦く笑って、


「そりゃあ、死ぬさ。だって小生まだニンゲンだもの。死ぬときはいさぎよく死ぬよ」


 そう言ってから、肩をすくめて見せた。


「けどね、小生の『作品』は死なない。生きてきた証は、たしかに続いていく。このスカしたツラして回り続ける世界と共にね。だから、『死体装飾家』は、死なない。『呪い』は、終わらない」


「……それだけ聞けたら、充分です」


「なんだい、君、こわいのかい?」


 からかうような口調だけど、声音は真剣だった。


 僕は正直に答える。


「こわいですよ、無花果さんが死ぬのは。ニンゲンとしても、『死体装飾家』としても」


「それってつまり、ニンゲンとしての小生も、『死体装飾家』としての小生も、どっちも愛してるってことじゃないのかね?」


 ……その通り過ぎて、ぐうの音も出なかった。


 ニンゲンにもなりきれず、『モンスター』にもなりきれない、中途半端な存在。


 そんな『かわいそう』な無花果さんを、僕は心底愛しているのだ。


 『記録者』としても、『日下部まひろ』としても。


「ぎゃはは! 告られちゃった!」


「告ってはないです」


「いーや、実質愛の告白だったね!」


「『実質0円』みたいに薄っぺらく言わないでください」


「なんだいなんだい、重い男だね君も! そんなんだから……」


「はいはい、童貞ですよ。それより、さっさと行きましょう。車、出しますから」


「ラジオでゴキゲンなナンバーをかけてくれたまえ!」


 助手席にふんぞり返る無花果さんのために、僕はラジオのスイッチを入れた。


 そして道中、いのちを歌う軽薄なポップソングを聞きながら、鳴けなくなった『カナリア』の元へ向かうのだった。

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