4話 恵まれすぎていた、私の生活。
「イーリス!」
一日の大半を寝て過ごす日々が続いていた。ペロが居る時はフワフワの体毛に身を預け、居ない時は身体を丸めて寒さを凌いでいた。食料調達は最小限に留め、体力の消耗を防ぐだけの日々。
そんな日々に、声が響いた。わたしの名前を呼ぶ声が。
わたしの大好きな人の声が。
「イーリス!大丈夫か!?」
グイッと身体を抱き起こされる。眠気眼でボンヤリと見つめれば、大好きな人の姿が……。そんな訳ないのに。
「アドリアーノ……?」
また、助けてくれたの……?
「アル!イーリスは大丈夫!?ずっと起きないんだ……」
知らない人……知らない人だ。アドリアーノと仲が良いのかな?随分親しげだ。まだ眠くて、視界が霞んでいてよく見えない。ゆるゆると目を擦る。
「あっこら!エドヴァルド!どこ行くんだ!」
バタバタと何かが逃げる物音がしたと思ったら、アドリアーノが突然、知らない人の名前を叫んだ。
「んぁ……なに……?だれ?……アドリアーノ?なんで……?」
わたしは訳も分からず、寝ぼけた頭で状況を把握しようとする。
「……ヴェローニカが、倒れた」
「えっ!?ヴェローニカが!?痛っ!!!」
ヴェローニカが倒れたと聞いて飛び起きれば、ものすごい勢いでアドリアーノに頭突きをしてしまった。アドリアーノもその衝撃と痛みで、抱き上げていたわたしを地面に落とす。自業自得だが、わたしは二重の痛みに襲われる。
「……ずいぶん元気みたいだな」
アドリアーノは不満そうにブツブツと「聞いていた話と違うぞ……」と零していた。
「どうしてアドリアーノがここに……?ヴェローニカが倒れたって、どうして……?」
わたしは混乱した頭のまま疑問を口に出す。
「詳しい説明は後だ。イーリスは先ず身体を浄化して、不調がないか調べよう」
そう言ってアドリアーノは馬車が停まっている方へわたしをエスコートしようとしたが、わたしはそれを遮った。
「まって!ペロを見なかった!?」
「……ペロ?」
「そう!この位の大きさで、体はフワフワの体毛で覆われてて、でも手足と尻尾は鱗でツヤツヤで、クルンっとした角が2本生えてるの!」
わたしがペロの特徴を身振り手振りで伝えれば、アドリアーノの表情はどんどん怪訝なものに変わっていった。
確かに、ペロは魔物だ。魔物が危険な存在というのは、今ならば分かる。それでもペロは、わたしの大切な存在だ。ひとりぼっちのわたしを支えてくれた、大切な存在。
アドリアーノにそれを分かってもらいたくて、必死に説明する。
「いや、ペロは見ていない。見ていないが……きっと大丈夫だ」
何故かアドリアーノは、わたしよりもペロの無事を信じている様な口ぶりだった。わたしを宥める為に言っている風でもなく、本当に無事だと分かっているような、そんな口ぶりで……。わたしはアドリアーノの言葉を信じて、馬車へ向かった。
手早く浄化と健康状態の確認をされ、馬車の中へ案内される。ふかふかのシートと浄化の香で充満している馬車の中。幸せな時間を過ごしていた以前のわたしには、当然の様に身近にあった物。本当に、贅沢な生活をさせてもらっていた。
手軽な食事として、ふかふかの白いパンと温かなスープを出してもらい、戸惑ってしまう。
「あの、アドリアーノ。わたし、追放……されたんじゃ……?」
手に力を入れれば、パンは簡単に形を変えた。贅沢な食べ物だ。本当だったら、わたしなんかが一生目にする事すら無かった様な贅沢品。それを、アドリアーノの厚意でずっと叶えられていた。
アドリアーノに助けて貰ってからの生活全てが、わたしには勿体ない位の贅沢だったのだ。アドリアーノに助けて貰ったわたしの生そのものが、恵まれすぎていたのだ。
「すまない、イーリス……詳しい説明は皆の前で、謝罪も含めさせてくれ。そのせいでヴェローニカが倒れてしまって……あぁ、俺のせいだ……」
アドリアーノは両手で頭を抱え、前屈みになり蹲る。いつもは自信たっぷりで威厳すら放っているアドリアーノだが、ひとたびヴェローニカが関わるとへにゃへにゃになってしまうのだ。
アドリアーノはその事を「ヴェローニカを愛している純然たる証明だ!」なんて自信満々に自慢して居たけれど、渦中のヴェローニカは、その事に頭を悩ませていた。
だから、ヴェローニカが倒れてしまった今のアドリアーノは、へにゃへにゃで、他に何も手が付かなくて、何も考えられない状態である事は、わたしにはよく理解できた。
今アドリアーノに理由を聞いても答えて貰えそうにないので、大人しく待つ事にした。
でも良かった……嫌われたわけじゃなかったんだ……。
わたしは少しの安堵感を胸に抱きながら、良質な馬車に身を委ねた。
馬車がヴェローニカの居る王城に向かう迄の間、アドリアーノはずっと「すまないイーリス……」だとか「俺がもっと慎重になれば……」だとか「ヴェローニカに何かあれば、俺は……」だとか……まとまりの無い呟きを永遠としていた。
わたしはそんなアドリアーノを、いつもの様に励ますのだった。