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時は指よりやってくる 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、つぶらやさん。どうもご無沙汰ですなあ。

 お元気そうで何より。いろいろありましたが、互いの無事を今は喜ぶといたしましょう。

 なんとも、月日の流れるのは早いものです。この間までは、いろいろ無理ができたと思いきや、今や脂っこいものが身体にこたえるようになりまして。

 光陰矢のごとしとは、よく言ったものだなあと。


 ――ただ振り返るのがダイジェストで早いと思うだけで、実際に同じだけ時間がかかるなら、そうもいかない?


 ははは、鋭いご指摘。

 確かに我々は振り返り、いわば結果を見て反省し評価をするもの。そこに実際と同じ時間はかけますまい。

 その時々にいる間は、あるいは忙しく、あるいは暇を持て余し、時間の感じ方も異なるでしょう。

 それが振り返れば、ことごとくがあっという間で、そしてなつかしい。そのときどきに何を思ったとて、終着点たる今の自分がいるわけですからな。

 いわば安全地帯よりの鑑賞。映画で客席からスクリーンの中に出てくる人物の半生を眺めるようなもの。何度も見返すならともかく、区切りがあるのは自分自身が一番よく分かっておりますし。

 

 この取り返しのつかない時間を、どうにかしたい。もしくは自由に操るすべを得たいとは、世代を超えて願う者が多いのも事実。

 もし、それを実際に扱える者がいたとしたら……どうでしょうな?

 私もまた調べ物をしましてな。少し面白い話を仕入れたのです。ご興味、ございませんかな?

 

 

 それは、まだ大陸から土器作りの技術が伝わるより、前の話だったといいます。

 すなわち、縄文時代に相当いたしましょう。当時、作られた土器は低温による素焼きでこしらえられたもの。その強度はのちの弥生土器に劣り、厚めのつくりになりがちなことはよく知られているかと思います。

 それでも日常から儀式に至るまで、出番の多い道具。その生産に余念がなかったであろうことは、想像にかたくありません。

 それでも、私がうかがった、とある村でののめりこみ具合は一線を画するものかもしれませんな。

 

 かの村は、当時としては異常ともいえる死産、流産の少なさを誇ったといいます。

 一説によると、縄文時代にひとりの女が生涯に産む子供の数は8名ほどだったとか。あくまで母子ともに健康を貫けた場合であって、実際にはこのように運ばなかった例も珍しくなかったはず。

 それならば、村はどんどん大きくなったかというと、そうでもなかったようなのです。

 かの村には「指光り」という、生まれた赤子を判断する基準があったとか。

 文字通り、指が光るか否か。この基準に相当するものは、両手の指先のことごとくが蛍のように淡い光を帯び、断続的にまたたいていたといいます。


 これが確かめられると、かの子は親元より引き離され、村はずれにある蔵へと連れていかれます。

 一度蔵の中へ入った者は、許しのない限り外へ出ることを禁じられ、まだ言葉も解せないうちから土器づくりのイロハを教え込まれて、その生涯を土器づくりに捧げられるとか。

 彼らへの食事などは、決められたときに蔵の前へ用意され、食べきった器などもそのたび回収されます。排泄なども蔵の中で定められた場所で足したそうですな。


 彼らが製作したものは、あくまで粘土をこねて形を整えた状態。それらはおよそひと月の時間をかけて別の場所で乾かされ、焼く時を待ちます。

 しかし、あらかじめ規定量が決められていたそうでして。実際に焼かれるものの数は決まっていたのだとか。作成自体は日々進められますから、自然とあぶれる土器が出てくるわけです。

 それらはどうなるかというと、土器の焼き待ちをする場所とは正反対の方向。小高い丘の上へ持っていかれたのだとか。


 丘の上には、古くより木でできた「芯」がいくつも埋められております。

 土器たちはその身が柔らかいうちに、その芯によって中心をうがたれ、底へと身を横たわらせていく。

 丘より下は、男たちが狩りに、女子供たちが採集に出かける、緑豊かな森が一望できます。

 一度差し込まれた土塊たちは、屋根も日よけも用意されることはありません。ただひたすら風雨にさらされ、力尽きたものより割れ砕けて、周囲の土の上へ寝転んでいく。

 あとはそのまま、周りの土の仲間入りを果たして、元の姿へ戻っていくのみです。やがて火を浴び、生活の支えとなっていく土器候補たちに比べれば、哀しささえ覚える生涯でしょう。

 しかし、それは平時であったなら。

 彼ら、芯に貫かれるものたちには、仕事が舞い込むこともあるのです。


 その時は、これから暑くなろうという時期にもかかわらず、雪混じりの雨がしばしば村全体を叩くことのある年だったとか。

 森の中から動物たちの姿が消えます。それは早くも冬眠が必要と感じたゆえの引きこもりか、あるいはより温かい地への移動だったか。当時の人々があてにしていた獣肉は、たちまち得られる量を減らします。

 木の実などもしかり。緑の姿はそのままに、木々は実をつけなくなってしまいました。

 地面に落ちた実もあるにはありましたが、とうてい村民たちをまかなうに足りない量です。それも日ごろより明らかに少なく、獣たちがあわててため込みに走った可能性も否定はできませんでした。


 このままだと、どれほどの日を過ごしていけるか。

 村民たちの口から、そのような不安が漏れ聞こえるころ、かの蔵の戸が開いて、中の面々を指導していた大人のひとりが、皆へ伝えます。

「芯に通した器を、砕いていけ」と。


 例の丘の上に置かれる、土器になれなかったものたちのことですな。

 おのずと離脱してしまうものを差し引いても、このとき丘の上の芯たちには、それなりの土器もどきたちが刺さっていました。

 時間を追うごとに芯の数は増え、いまやそれらは20をくだりません。土器もどきたちも、乾くのを待たされる組と比べれば、ほぼ湿りっぱなしでその身はとろけていきがちです。

 通された数に対し、その高さはできたてのころよりずっと低く、もはやひとつひとつは、もちかせんべいかという平べったさとなっておりました。


 それらを、村民たちは割ります。

 自然に任せるのではなく、自らの手で。半ば乾いていたものは割り、湿っているものは形も残らぬほどに潰して。芯に通していたものを次々と、元あった姿へ戻していくのです。

 ただし、いっぺんに手をかけていくのは奨められません。ひとつを散らすたびに、空模様をうかがうようにしていたようなので。

 もどきを割り砕いてよりしばし、村民たちは空を見上げます。


 空模様を探るのです。

 晴れているなら曇り。曇っているなら晴れ。雨降りならばそれが止む……といった、天気の急な変化を確かめんとするのだとか。

 その時は実に30以上のもどきが砕かれましたが、訪れた変化は顕著なものです。

 作業はほぼみぞれの雨の中で行われましたが、その30数枚目が割れたのち。

 はかったように降りがぴたりと止み、立ち込めていた雲が、手でかき分けるかのごとく、ところどころちぎれていき、青空をのぞかせ始めます。

 しかし、変化はこれだけにとどまりません。

 無数のみぞれ、雨粒を受け、今の今までうるおいが絶えなかった足元の草たち。

 彼らの身がたちまち乾いていき、風にそよぐ元の軽やかさを取り戻していくのです。

 それほどの乾燥をもたらせるほどの力を、周囲の空気は持ちません。そしてこの異様な状態をもってして、彼らの目的は成就したといえるのです。


 ただ天気を回復させたわけではありません。

 蔵の大人いわく「時を引き寄せた」というのです。

 自分たちにとって都合のよい時間を、あの土器もどき製作にかけた時間を引き換えに呼び寄せた。等価交換に持ち込んだ、というわけですな。

 それからも、かの村は村そのものがなくなってしまうまで、この芯に通す土器もどきを作り続けたそうなのです。その指輝く子の人生のほぼすべてを捧げることによって。

 実際に効果をあげ続け、大過ない時間は長く続いたそうなのですが、それにつれて用意される芯の数も、そこへ通されるもどきの数も天井知らずに増えていったわけですな。


 どれだけの数のもどきが捧げられたときでしょう。

 千? 万? あるいはそれ以上か。

 それらがですね。一晩にして姿を消してしまったんです。ひとつも残さず。

 そして蔵の中からも、指光りの者たちはいなくなってしまったんですね。入り口は施錠され、見張りも交代でずっと立ち続けている。

 あらためられた蔵内も、人ひとりが出ていけそうな穴がどこにもない。いえ、それどころか。


 狭くなっている。

 時の流れとともに、必要に応じて広げてきた蔵が、いまは話に伝わる当初の狭さに戻っていたのですね。

 ところどころ見られた傷みと補修のあともなくなっている。たった今、作られたばかりであるかのように。

 この消失、村人たちは時を引き寄せたと思ったそうなのです。

 指光りたちがその命を賭し、もどきとして捧げた時間。それが彼らの失われた時間に相当したことで、蔵もろとも本来の時間へ帰っていったのではないかと。


 それから指光りが現れることはなくなり、出産は古来の通り、死と隣り合わせの危ういものに戻りました。

 それからいくら芯ともどきを模したものを用意しても、時を引き寄せられることはなくなります。

 最後には、洪水と土砂崩れによって村はすっかり覆われ、隠されてしまったと伝わります。

 長年、人々に占有されてきた土地。その本来の時間が引き寄せられたかのような、突然のできごとだったとか。

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