姉の代わりに同盟国に嫁ぎますが後宮なんて冗談じゃない。結婚前から離縁を希望します!~碧海の姫、溺愛されて幸せに~
「正気ですか、父上!?」
新緑まぶしい初夏。
高い声が非難の色を含んで、屋外にまで響いた。
その怒声にはじかれたように顔をあげた使用人たちだが、声の主が王女セラだと気づくと、何事もなかったのように作業に戻る。
スイハの王宮では、はねっかえりの第五王女がにぎやかなのは、自然の一部だった。
「正気で本気だ。おまえにはハルオーン国に嫁いでもらうことになった」
「なんで? だって? ハルオーンにはミナ姉様が嫁ぐという話だったではないですか!」
今年16のセラには、4人の姉がいる。3人の姉たちはとうに縁づいており、1つ違いのミナも今回の縁談で大国ハルオーンへの輿入れが決まっていた。
同盟国、といえば聞こえが良いが、実のところ相手は盟主的存在であり、数百年前は実質、かの国の支配下にあった。
碧海六島の長たるハルオーン。
スイハは碧海六島に属し、西端に位置する。
盟主国から"同盟強化のため、姫を妃として迎えたい"という連絡が来れば、小国スイハとしては要求通りに差し出すしかなく、適齢期でもあった第4王女ミナーディアに白羽の矢が立っていたはずであるが。
「……ミナは嫁せなくなった」
「…………なぜですか?」
鋭い視線で問い返すセラに、父王が言い淀む。
だが、理由も聞かずに「はい、わかりました」というような従順な王女でないことは……父も娘も、互いが承知しきっている。しぶしぶながら、王が明かした。
「…………からだ」
「聞こえません」
「ミナが身ごもったからだ」
(はっ、いぃぃぃ―――――???)
「ど、どういうことですか? だって姉様は未婚で……!! 相手は誰です!!」
「ゼダン・ハーカルだ」
大臣の息子にして、近衛筆頭の名がセナの耳に伝えられるや否や。
「父上! ゼダンを殺してきて良いでしょうか!?」
「ダメだ! 孫の父親を殺すな!」
「でも姉様を手籠めにしたんでしょう??」
「手ご……。おまえはもう少し言葉を選べ。そうではなく、合意だ!!」
合意、ということは両想いということ?
「一体いつから……」
「おまえもそう思うか? 儂も驚いたから無理はない。互いに秘めた恋心だったらしいが、ミナの縁談が決まって」
「感情が溢れ出し、若いふたりが暴走しちゃったわけですね?」
「言葉を選べと言っただろう。だが、まあ、そうらしい」
姉の結婚が決まったのは3か月前。そこからのスピード妊娠。
なんという早業。
おとなしいと思っていた姉と、忠実だと思っていた近衛。ふたりを見誤っていた。
「とにかく、そういうことだ。腹に子を宿す娘を、嫁として出すわけにもいかん。我が王家は娘ばかり。跡取りとして、ゼダンなら申し分ない。ミナは国に留めおくことにした。つまり、適齢となるとおまえしかいないのだ、セラ」
「確かに……コナやリナはまだ幼いですしね……。ハルオーンの新王は18でしたか……」
年の離れた妹たちを思い、セラが呟く。
18歳相手に5歳と3歳は、ないだろう。
何より妹たちが可哀そうだ。
父の後添えである現王妃が産んだ娘たちは、まだ母親から離せる年ではない。
「おまえを大国に嫁がせることを考えると、儂も頭が痛いが……」
「どういう意味です?」
「だ、だがおまえにとっては朗報だろう。自国ではこのまま嫁の貰い手も見つからぬだろうし」
「貰ってもらう必要はありません。気に入った相手がいたら、私から押し掛けます」
「やめてやれ、それは。もっと相手を尊重しろ。そ、それにだ。ハルオーンの王宮は、後宮がある」
「!! つまり私に後宮のあまた侍る女たちのひとりになれ、と――」
「違う、待て、話しを聞け。そう、たくさんいるんだ。たくさんいるということは、おまえにはお呼びがないかもしれない」
それはそれでムカつく状況では。
「三食昼寝付きで、気楽な暮らしが出来るぞ? ほぼ自給自足の我が国とは違い、あの国は豊かだ。王女自ら海に潜り、貝や魚を捕る必要などない」
もともとスイハでもその必要はなく、そんなことをしているのは王女たちの中でもセラくらいのものだったが、王には気になる行為だったらしい。
「海は……好きだから通っているのですが……。はっ! ハルオーンの王宮は海から遠いとか、ありませんよね?」
海に行けない生活なんて、耐えられない。
「海をのぞむ立派な宮殿だと聞く。きっと気に入るだろう。とにかく国のために嫁に行ってくれ。これは王女としての務めでもある」
「ちっ」
「わざとらしく舌打ちをするな! セラ、良いか? くれぐれも向こうの宮廷では姫らしく、淑やかにな? 猫は30匹くらい被っていけ」
「そんなに被ったら、歩くことさえ出来ませんよ」
「だがせめて、5匹くらいは頼むぞ。あまりに行儀が悪いと、ニセ王女を送って来たかと、戦の口実にされてはたまらん」
「…………」
憮然としつつも黙った娘に、承服の意を見て取った王は、咳払いをして告げた。
「スイハの王として命じる。王女セラティーア。同盟国ハルオーンに嫁ぎ、つつがなく役目を果たすように」
「――ご命令、承りました」
セラの礼をもって、その場での話は終わり、こうして、スイハ国第五王女は、ハルオーン国に嫁入りすることになった。
◆ ◆ ◆
(珍しいタイプの姫だな)
と、ハルオーン国王アキムは思った。
スイハからやって来たセラティーア姫との顔合わせ。
スイハの姫は、とても健康的に見えた。
その肢体はほどよく引き締まり、細身ながらも生命力に溢れ、動きの端々に機敏さが見て取れる。
意志の強い黒い瞳、シンプルに結い上げられた艶やかな黒髪。
今まで宮廷で見たどんな女性たちとも違っていた。
なにより起伏のなさが。
あまりに流線形だったので、はじめは美々しい少年が送られてきたのかと錯覚したほどだった。
だがスイハは王女しかいないと聞く。
もし王子がいたら、外に出すわけがない。
それに肌は柔らかそうだし、丸みを帯びた曲線をしている。
こういう女性もいるのだろう。
そう結論付けた。
姫は宮に収まることになったが、後宮ではなかった。
実は、ハルオーンに後宮は存在しない。
先々代王の頃。
戦争寡婦となった女性たちが宮に集められた。
彼女らを養い、またその子どもたちを保護する場所。
王宮の一角を占める宮の役割は、それだった。
だが大勢の女性を見た他国の使者が『後宮』と受け止め報告したことから、"ハルオーンには後宮がある"。
そんな話が広まった。
先王が噂を放置したこともあり、後宮の名で通っているが。
女性や子どもたちに仕事を与え、引き払わせた現在。残るのは召使たちだけであり、静かな宮は、実質、王の私的空間と化していた。
案の定、セラティーア姫も誤認していたので真実を伝え、
「妃はあなたひとりだから、自由に過ごしてくれて構いません」
そう告げた時の、姫の反応は意外だった。
明らかに"アテが外れた"とばかりの表情を見せた。
すぐに取り繕いはしていたが……あれは、何だったのか。
そして今。
彼女の様子を見に来たアキムが目にしたのは、散策中と察するにはあまりに奇異な姫の行動だった。
(……何をしているんだ?)
壁にそって歩き、庭木の影になっている城壁や地面を入念に見ている。
探しもの? いや、まるで抜け穴でも探しているような……。
もしや、よからぬ思惑を持って、宮に入ったか。
そう危ぶんだ途端。
諦めたように姿勢を起こした姫が、いきなり弾けるような笑顔を見せた。
ドキッ
(なっ……?)
彼女の視線を追うと、キラファの花を見ている。
キラファは背の低い花木で、ぎっしりと密集したように花が咲く。
揃って花開く今の季節には、とても華やかで香しい。
(あの花が、好みなのか?)
なら、部屋に飾らせるよう、あとで指示しよう。
アキムがそう思う前で、姫がひと花摘み取って。
ラッパのように口にくわえた。
(本当に何をしているんだ――???)
ダメだ、これは推察の範囲を超えている。
直接聞いてみよう。
アキムは姫に声をかけることにした。
◆ ◆ ◆
時間は少し前に遡る。
(こんなはずじゃなかった)
歴史と威容を誇るハルオーンの王宮で、広い居室を与えられたセラは、バルコニーで海を見ながら思考を巡らせていた。
(まさか妃が私ひとりだとは……。くっ、アキム王め。もっとウハウハと嫁を集めておけ! これじゃあ私の、"奥様いっぱいいるから私は要らないですね? 郷里に帰らせていただきます"作戦が使えないじゃないか!!)
実際複数いたら夫を殴りかねないくせに、とんでもない言い草である。
そもそも"後宮"が誤情報だったことが痛い。
一応嫁いで両国の面目を保ち、約束を守った上で不要返品される。
それが理想と織り込んで、ハルオーン行きを呑んだのだ。
これでは何を口実に出戻れば良いのか。
正式な婚礼は二か月後。
セラは悩んでいた。
他に女性がいないのなら、このまま妃としてハルオーンに在っても良さそうなものだが、もうひとつ、帰りたい大きな理由があった。
願い出ても、海行きの許可が得られなかったのである。
高台に建つ王宮から、海の全容はよく見える。目と鼻の先に海がある。
しかしアキム王は「何でも自由にして良い」と言ったくせに、海への外出は認めなかった。
後宮だったのなら、あるいは束縛も仕方ないのかもしれない。だが、後宮ではないというのに。
(海に行きたい……)
心を落ち着けたい時、寂しい時、悲しい時、困った時、セラはいつも海に慰めて貰っていた。
海があったからこそ、王族として毅然とした精神と態度を保つことが出来ていた。
幼い頃に生母を失って以来、海はセラを受けとめてくれる拠り所だったのに。
ぱん!!
小気味良く乾いた音が響く。
セラが自分の両頬を打っていた。
(らしくない! 切り替えよう!!)
そもそも部屋に籠ったりしてるから、思考が内向きになる。
こんな時は──そう! 探索だ!!
ハルオーンの王宮のことは、ほとんど知らない。
いざという時に備えて、抜け道でも探してみよう!
いざという時がどんな想定かは自分でもわからないが、とにかくセラは体を動かすことにした。
そして庭を巡り、咲き乱れるキラファの花と出会った。
(何ここ、楽園?)
先ほどまでの不満はどこへやら、セラはたくさんの花に歓喜していた。
しかもスイハ国では見たことがないくらいの大ぶりな花弁。
(わああ……! これはきっと、美味しい!!)
キラファは蜜が吸える花であり、外遊びが多いセラにとって、大好きなおやつだった。
(今すぐ味見をしなければ!!)
ご機嫌で花蜜を吸っていた時だった。
誰もいないはずの背後から突然、ハリのある声が話しかけて来た。
「何をされているのです? セラティーア姫」
(□×◎△※!!)
「へ、陛下???」
(なぜここに、このタイミングで?!)
気配を感じなかった。
いつから見られていたのか。
そしてこの現場をどうしよう。
さすがに私でもわかる。
(花をくわえた王女、限りなく王女らしくない!)
一瞬ですべてを把握したセラは、さも当然のことのように、にっこりと微笑みながら答えた。
「キラファの花蜜を、味わっておりました」
「蜜を?」
「はい。ハルオーンでは、どんなお味だろうと?」
見よ、私の淑女スマイル!
猫五匹分の完璧な優雅さ。
もちろん花はサッと口から外し済みだ。
これだけ堂々と言えば、スイハの習慣だと思うだろう。
我が国では、王女は蜜を吸うんだ!!
私がいま、文化を作った!!
「蜜……?」
不思議そうに首をかしげるアキムに、セラこそ首をひねった。
(あれ?)
「もしかして陛下。キラファの蜜を召し上がったことがない、とか?」
「そうですね。はちみつはありますが、花から直接蜜を吸うという経験は皆無です」
「!!??」
「ど、どうされました、姫。何か」
「す、すみません。あまりに驚いたので、猫が一匹逃げてしまったようで」
「猫?」
「大丈夫です、こちらの話。お気になさらずに。……でも……」
(蜜を吸った経験がない? え……。この人、人生ものすごく損してるんじゃない?)
まじまじとアキム王を凝視しながら、セラは失礼な評価を下した。
そして同時に、未経験に同情もした。
さらに花泥棒の共犯として、巻き込もうとも閃いた。
「陛下、もしよろしければ、お試しになりませんか?」
「え?」
「キラファの味をご存じないだなんて、失礼ながら損をされていらっしゃると思うのです」
恥じらう風を装い、上目遣いで控えめにガン推ししてみたところ。
「…………」
少しの間セラを見つめていたアキムだったが、意外にもあっさりノッてきた。
「姫がそこまでおっしゃるなら、私も試してみようと思います」
言って、アキムが花をとり、口に当てる。
セラが期待を込めて尋ねた。
「いかがでしょう?」
「実に……かわいいです。あ、いえ、美味しいです」
「良かった」
布教は成功したらしい。
セラの満面の笑みに、アキムが急にむせ込んだ。
「ぐほっ!」
「えっ? 陛下? 大丈夫ですか?」
「大丈夫です、花粉が少し喉にひっかかったようです。しかしこれに似た味なら……。姫、甘いお菓子はお好きですか?」
◆ ◆ ◆
そうしてアキムは、セラを部屋に招くと、たくさんのお菓子でもてなした。
並べられたスイーツは、どれも繊細な細工が施され、色とりどりに輝き、まるで宝物のよう。
目を丸くしたセラは大喜びで、アキムの勧めるままに様々なお菓子を楽しみ……、その日から、セラにとって不思議なことが始まった。
セラの部屋に、アキムからたくさんの贈り物が届くようになった。
華麗な布地だったり、高価なドレスだったり、花に宝石にと、置く場所に困るほど積まれていく。
そして散策するたびにアキムと偶然出会うのである。
すると決まって彼はセラを誘い、散歩や食事などを楽しんで……、そうこうするうち二人の会話はいつも明るくはずむようになっていた。
アキムと出歩くことで、城の人間やハルオーンの民たちと接する機会も増える。
未来の王妃はあたたかく受け入れられた。
丁重かつ細やかに接してくれる人々のおかげで、セラは早くも新しい環境に慣れ始めていた。
若い順応力である。
けれど依然として、海行きを許して貰えないという問題が、セラにはあった。
猫かぶり総動員バージョンで頼み込んでみても、無理だった。
「あなたのために、庭に大きな池を作りますから」との代案なら出してくれたが。
たまりかねて理由を尋ねてみたことがあった。
「海には良い思い出がないのです」
そう答えたアキムがあまりに辛そうだったので、セラはそれ以上ねだれず、うやむやのままに一月も過ぎたころ。
ある日セラが歩いていると、宮の一角が騒がしい。
なにやらたくさんの人夫たちが、調度品やら大物の家具を部屋に運び込んでいるようである。
けれどセラの部屋ではないし、家具も揃って派手やかで、セラの好みではない。
(? なんだろう?)
約束していたから、ちょうどアキムの部屋に向かうところだった。
彼に聞いてみたら、すぐにわかる。
そう思って。
アキムの部屋前の廊下に進んだセラは、息を呑んだ。
「では陛下。よろしくお願いいたします」
扉から出たところで、ひとりの女性が優雅に礼をとっていた。
室内にいるアキムに退室の挨拶をしていたところだと察するが。
そのまま彼女はこちらに歩いて来たので、自然、セラと会うこととなった。
「あら……。もしやセラティーア姫様ですか? スイハ国の」
こくり。
どうしたことか声が出ず、かろうじて頷くことで返事をした。
「わたくしはマリエラ・ミディスと申します。どうぞお見知りおきくださいませね?」
妖艶、ともいえる美女の微笑みの前に、セラは完全に固まってしまった。
(身体が動かない。なんで?)
「ふふっ、お話しにお聞きしていた通り、お可愛らしい方ですこと」
手に持つ扇子で優雅に口元を隠すと、マリエラという女性は軽く礼をして、そのまま歩き去ってしまった。
(え……、え……、いまのは、誰?)
名はマリエラと言った。
違う、そうじゃない。
私が知りたいのはそうではなくて。
誰??
アキムに一言聞けば済む。
(もし、望まぬ答えが返ってきたら?)
後宮とは嘘で、アキムは妃は私だけだと言った!
(でも気が変わったとしたら?)
とても美人だった! 胸も大きかった!! 香り立つような色気に包まれていた!!
年上に見えた、華やかな顔立ちをしていた、ゆるやかな黒髪が長くて、すごく美しかった!!
誰───────!!!!
気がつけば、セラは踵を返して、駆けていた。
なぜかとてもショックを受けて、動揺して、一刻も早くその場から立ち去りたかった。
マリエラの残り香漂う廊下から、離れたかった。
セラは、王宮の外に出た。
◆ ◆ ◆
(おかしい。セラティーアが来ない)
今日は外廷を案内しようと待ち合わせていた。
王の私的空間でありその家族が暮らす内廷、そして国政の場であり、来訪者の多い外廷。
ハルオーンの王宮はその二つの空間より、構成されている。
基本、セラが外廷に入ることはないが、王宮の全容は知っておいた方が良いだろう。
そう考え、人少なく儀式のない日を選んで、政務の場を見せてやるつもりだった。
律儀な姫である。
連絡なく遅れることなどない。
(何かあったのか?)
心配になり席を立ったアキムは、その後、姫が王宮内のどこにもいないと報告を受け青褪めた。
どうやらセラと最後に会ったのは、マリエラだという。
(もしやマリエラとの関係を誤解した?)
だとしたら早急に誤解を解かなくては!!
あわてて姫を探すよう号令し、自らも探す中。
ハッと気づいて、馬を出させた。
(まさか、海か!?)
彼女は海が好きだと言っていた。
何度も海が見たい、海に行きたいと言っていた。
水中で煌めく魚の群、波に揺れる海草、こっそり隠れてるタコやウツボ。
聞くたびに彼女の見ている海がいかに素晴らしいかを知り、ともに泳いでいるかのような錯覚を覚えた。
けれど海は。
大切な人を奪う。
セラまで奪われたくない。
とっくにセラに心を鷲掴みにされていたアキムは、セラを離したくない一心から、彼女の願いを蹴り続けてきた。
なぜ許可してやらなかった。
ひとりで見知らぬ国に来た。
気丈にふるまうが、繊細な女性だと気づいていたはずだ。
彼女はギリギリだったのだ。
ほんの些細なきっかけで、飛び出してしまう程に。
頼む、無事で。無事で居てくれ。
そうして馬を駆ったアキムが目にしたのは、波間に髪揺らすセラの姿だった。
◆ ◆ ◆
(ふぅ。ちょっと……落ち着いた)
ないまぜになった暗い気持ちを海底に沈めて、セラは大きく髪を跳ね上げた。
飛沫がはじけて、塩味のする水が顔にかかるのも、久しぶり。
夢中だった。
頭が真っ白になって、何も考えられなくなって、海に走ってしまっていた。
そんな混乱の最中にもかかわらず、門ではなく探索で見つけた脆い壁を乗り越えて外に出た点が、彼女の彼女たる所以ともいえるが。
(そろそろ帰らないと、いなくなったのがバレたら、騒ぎになってしまうかもしれない)
そういえばアキムと待ち合わせをしていた!
彼は気にしてるだろうか?
もしかしたら怒っているかも。
帰って、謝って、冷静に、アキムから話を聞いて。
後宮再開といったら、殴らせてもらって。
王を殴ったりしたら、罪に問われるかな?
罰は投獄とか強制送還?
チクリ
そ、送還は避けたい。アキムに会えなくなってしまう。
チクリ、チクリ
変だ。ずっとスイハに帰りたかったはずなのに。
それにしても。
(あれが、アキム王の好みだったわけ?)
何の遮りもなく足元まで見える自分の胸を見下ろす。
波越しの視界は、くねくねと身体が揺らいで見えた。
(男ってヤツは!!)
"姫──! セラティーア姫──!!"
(そう! 普段、あんなに私の名を呼んでおいて!!)
あ、でもそんなに大声で呼ばれたことはない。
幻聴が、大音量過ぎる。
「姫っっ!!」
まるで肉声のようにリアルで……。
えっ?
声のほうをふりかえって、セラは心底驚いた。
浜辺にアキムがいて、浜辺どころか服のまま、ずかずかと海に入り来ている。
(危ない! そこから急に深くなっているのに!!)
思ったとたん、足をとられたようにアキムの半身が沈んだ。
慌てて、アキムのもとへと泳ぐ。
「陛下?! 大丈夫ですか? どうされたのです、なぜ海へ」
「セラティーア姫! 良かった、無事で。良かった」
「!!!」
しっかりと抱きしめられ、セラは瞠目した。
必死さが伝わってくる抱き方。
気がつくと、アキムの身体は小刻みに震えている。
顔をのぞくと蒼白で、彼が自分以上に動揺していたのを感じた。
(心配して、来てくれた……?)
岸に戻るまで、しばらく。
セラはアキムに身体を預け、その胸に顔をうずめて、あたたかな鼓動を味わった。
◆ ◆ ◆
「私の母は、私のせいで、海で命を落としたのです」
砂浜にふたり、並んで座り、ぽつり、ぽつりとアキムが語り出した。
アキムが幼い頃、舟遊びをしたいと駄々をこねた。
その日は波も高く、大人たちはこぞって反対したが、なんでもワガママを通せる大国の王子として育ったアキムは、納得しなかった。
命令を強行し、海に出た結果――。
アキムを案じてついてきた母親が波にさらわれる事態となり、帰らぬ人となってしまった。
海の名手が大勢ついていても、どうにもならなかった。
荒れる海には、人の力は及ばない。
アキムの後悔は深く、己を責め、海を恨み、遠ざけるようになった。
「あなたも海に行けばそうなってしまうのではと、気が気ではなかった。大切な人をまた、海に奪われたくないと」
「それであんなにも海行きに反対されていたのですね……。話してくだされば良かったのに……。……いえ、お話しくださり、ありがとうございます……」
アキムに辛い告白をさせてしまった。
だけど彼が自分を失いたくないと思う程に、気に入ってくれていたことが、じんわりと心に染み入る。
マリエラという女性は、先王の、つまりアキムの父の愛妾だったらしい。
セラを迎えるにあたり、離宮に移り住んで貰った彼女は、気に入りの家具を引き取りがてら挨拶に寄っていただけと、アキムは話した。
本来なら前王の妾から、王妃に話しかけることは許されていない。
その発言内容も問題だった。
まだ正式な婚姻を結んでいない点、公式の場でない点、そして羨望。いろいろな思いが、その裏にあったのかもしれない。
彼女が今後、表に出てくることはないという。
調度品を運び入れているのではなく、運び出していた場面をセラが勘違いした。
つまりは、そういうことだった。
恥ずかしい。
何もかもが早合点で、こんなにも王に心配をかけてしまった。
でも。
チラリと、セラはアキムを見る。
整った横顔は、疲れてはいたが、とても男らしく頼もしく思えた。
濡れた服が張り付いた身体は均整がとれていて、鍛えていることがよくわかる。
(いい男性だな。私も男の子に生まれていたら、こんな風に育ってたのかな)
ズキリ! と胸が痛んだ。
「姫?」
(そう、"ひめ"なんだ……。だから母上が……)
「…………」
急に沈み込んだセラの様子に、アキムがいぶかしんで声をかけた。
彼の誠実な瞳が、心底自分を案じてくれているのを感じ、セラは自然と口を開いていた。
「陛下……。私も……。私の母も、私のせいで亡くなりました」
「!」
「聞いてくださいますか?」
彼になら、打ち明けても良い。
セラは、長く心に凝り固めていたしこりを砕き始めた。
「我が王家はご承知の通り、姫ばかりです。私の上にも4人の姉がいて、次の子こそ王子を、と母は周りから強く望まれていました。けれど生まれたのは私」
ほうっと哀し気なため息が口からこぼれ落ち、じわり、とセラの目が湿る。
「母は臣民に責められました。母のせいではないのに。男の子として生まれなかった……私のせいなのに」
ボロボロと、これまでずっと秘めてきた涙がこぼれだした。
あふれた水が次々と、重く服に落ちていく。
「父は必死に母を庇ったようですが、母は環境に耐えられなかった。とうとう心を病み、身を患って……。私がいけないのです。私が女だったから……」
「あなたのせいではない!!」
突然の強い語調に、セラはびっくりしてアキムを見た。
「あなたのせいではない。それがあなたのせいであるはずがない!!」
アキムの声が熱を帯びる。
「もしやずっとご自分を責めておられたのか? あなたの父上やご家族も、あなたを責めたのか!?」
「まさか! 私の父や姉妹たちは、そんなこと誰も口にはしません。だから一層辛くて……。こんなこと……誰にも話せない……。私がそう思っていたとも、気づいていないはずです……」
「……セラティーア姫。私は、先の六島会議であなたの父上とお会いしている。そしてそのお人柄をとても好ましく思い、この方のご息女なら、と、我が妃に下さるようお願いしました。
そして出会ったあなたは本当に素晴らしかった。まっすぐな魅力に溢れ、輝いていた。私はいま、こんなにもあなたに惹かれています。
あなたが男子だったら私が困ります。私はあなたが良いのです。あなた以外の妻は、もう考えられない」
一息に言いのけたアキムは、続けて諭すように優しく語りかけた。
「ずっと思い悩んでこられたのですね……。大丈夫です。誰もあなたを責めたりしない。あなたはあなたのままで、かけがえのない大切な方です」
すっと呼吸を整え、アキムが言った。
「セラティーア姫。私の妃となってください。生涯あなただけを愛すると誓います」
「…………!!」
彼は、"私が良い"と言った。
"私"そのものを望んでくれた。
もう……無理する必要はない。
──何かから、解き放たれた。──
そして、セラは初めて、アキムがセラの世界に欠かせない、大きな存在になっていたことに気づいた。
自覚した。
(彼のことが、好きだ)
なら、答えはひとつ。
「はい……。はい、陛下……。私で良ければ、喜んで……」
新しく、煌めく涙が頬を伝い落ちる。
セラはそのままアキムにしがみつき、すべての思いを涙にかえて、存分に泣いた。
アキムは、そんなセラを海のように包み込んで、穏やかに受け止めたのだった。
十分な時間が経ち、セラはそっとアキムから身を離す。
「ぐすっ……すみません、涙で濡らしてしまいましたね……」
「お気になさらずに、姫。どうせ私たちはびしょ濡れです」
アキムの言葉に、くすっ、とセラの頬が緩む。
「セラと呼んでください。親しい人たちは私をそう呼びます」
「セラ……。あなたに似合う、爽やかな響きです。では、私のこともアキムと」
「はい、アキム様」
なんだかとても照れてしまう。
どんな顔をしたら良いかわからなくて困っていたら、アキムが意味深に囁いた。
「ところで今日は、猫はお留守ですか?」
(!!)
セラがすぐに魅惑的な笑みを作る。
「いいえ、常駐の二匹が残ってますわ」
「なんと固い守りか。ありのままのあなたが見たいのに」
「"秘すれば花"、と申しますもの」
「確かに美しい花ですね。甘い蜜を隠していそうです」
「まあ」
二人はひとしきり笑い、アキムはセラに提案した。
「さあ、王宮に戻りましょう。皆心配してるだろうし、着替えねば風邪をひきます」
アキムが伸ばした手を取りながら、セラが立つと。
「けれどこんなに泣かれたら……あとで目が腫れてしまいますね?」
(本当だ! みっともないかも)
セラが慌てた時だった。
「腫れないおまじないです」
「!?!?」
アキムの唇がそっとセラの目元に触れた。そして。
「―――! ―――!! ―――!!!」
(そこは、目じゃな――い!!)
王に蜜を吸われた花は、目どころか、顔中真っ赤に染まり、濡れそぼった身体は熱い熱を帯びて……。
セラはその晩、16にして知恵熱に見舞われたのだった。
◆ ◆ ◆
春に花揺れる季節。
「セラからの手紙ですか? 父上」
スイハ国、第四王女ミナーディアが、庭の東屋に座す父王に話しかけた。
「ああ。"新しい海を見つけた"とか言って、ちっとも里帰りせず、顔を見せもしない親不孝者からの手紙だ」
「まあっ、ふふっ。"新しい海"とは、アキム王のことでしょうか?」
「知らん」
軽やかに微笑んでミナが言う。
「セラは戻ってきませんでしたね」
「あっさり餌付けされおったからな」
不機嫌そうにそっぽを向く父は、どこか子どもっぽい。
ミナはおかしそうにそんな父王を眺める。
セラがハルオーンへ嫁いでから、じき一年になる。
ハルオーンのアキム王が王妃セラティーアを熱愛していて、夫婦仲がとても良いという話は、碧海六島に知れ渡り、スイハにも伝わってきていた。
ハルオーンの後宮説は、とっくに撤回されている。
セラからの手紙は、いつも淡白な内容で、力強く明快に書かれてある。
もっともその大半が「ハルオーンの食べ物は美味しいので、皆で楽しんでください」と綴られており、大量の荷が送られてくるのが常だった。
「今回は何でしたの? お菓子ですか?」
「妊娠したらしい。生まれるのは冬だな」
セラからの手紙を、ミナにも見せる。
──子どもが出来ました。何があっても絶対に死なない母親になろうと思います。──
それは"人為"、場合によっては"運命"とも戦うという、セラの決意表明だった。
「……セラらしいですわ。あの娘なら、相手を返り討ちしにしそうです」
「いや……セラは意外に脆いところがある。だが、アキム王がついているから大丈夫だろう。あそこの王は怖いぞ? 即位後すぐの反乱への対処は、いまだ碧海六島で語り草になっている」
「とんでもないお相手に嫁ぎましたのね、我が妹は。そんなお方がぞっこんだなんて。ふふ、セラもやりますわ。まずは懐妊のお祝いを贈らないと。父上、会いに行ってやっては?」
「む……。考えておく」
願ったりのくせに仏頂面をしているのは、やせ我慢だろうか。
「でも、あの時は本当に驚きました。"ハルオーンにはセラを送ることにしたから、ゼダンと早く事をなせ"と、父上に言われるとは思いませんでした」
「こら! その話は墓まで持って行けとあれほど……! ……おまえたちがいつまでも焦れったくしていたからだ」
「遠慮と慎みの塊と言ってくださらない? セラを送りだした後、あわてて式を挙げて、私たちも大変だったのですからね?」
「おかげで幸せになれただろうが。セラはアキム王と"合う"。そう思ったまでだ」
潔癖なセラが後宮を容認するはずもなく、にも関わらず、"合う"とは。
「父上、さてはあちらの後宮事情もご存じだったのでしょう?」
「……セラを説得するのは手間がかかるのだ。普通に命じても言うことを聞かん」
本人に"帰ってくる"と錯覚させることで、ようやく赴かせた。
「寂しくなりましたね? セラと口喧嘩が出来なくなって」
「なんの。孫がいるからな。いずれおまえの息子の相手で、忙しくなる。一歳になり、随分歩けるようになってきたから、今度散歩に連れて行ってやろう」
「うふふふ、よろしくお願いいたします。おじいさま」
スイハの春風が海を渡り、ハルオーンの花を咲かせる。
キラファの季節も、すぐそこだった。
《おしまい》
お読みいただき、ありがとうございました!!
12,000文字を超える短編を書いたのは初めてです!!
読んでくださった方には感謝しかありません!!
長文におつきあいいただき、ありがとうございました(*´▽`*)/
【おまけ】
スイハは翠波、ハルオーンは春暖なイメージです。(当て字)
裏設定では、セラのスイハでの側近は年配女性で、子だくさん。家族思いの彼女を島から引き離すのは良くない、とセラが判断したため侍女なしで嫁いだ、という背景がありました。
また、「後宮ないのにどうして後宮出したの?」と思われました後宮ファンの方、すみません。そういう企画に参加した作品なのです!
約束事が決められていまして「戦争未亡人を保護し、その役割を終えた後宮」という細かな指定があるのです。
その他「コンプレックスがあること」等いろいろ取り決めがありまして。
普段自分が書かないテイストに合わせて書くので難しかったですが、楽しく読んでいただけましたなら幸いです。
プロットについての詳しくは、"あらすじ"にある【共通恋愛プロット企画】をご参照ください。
今回のお話は、相内充希様の異世界恋愛プロットをお借りしています。
セラは板胸……。
「大丈夫だ! 子どもを産めば大きくなる! それに……アキムはそれでも良いと言ってくれた♡」だそうです。
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猫じゃらし様(https://mypage.syosetu.com/1694034/)よりアキム王をいただきました!
蜜吸いシーンです! 色っぽい!!
遥彼方様(https://mypage.syosetu.com/828137/)より、マリエラ嬢をいただきました!
艶やかさ溢れる南国美女!!
相内充希様(https://mypage.syosetu.com/1415775/)より、バナーをいただきました!
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もしよかったら、3020文字な異世界恋愛短編も読んでやってください♪
『婚約破棄の噂に、夜、公爵家の侍女が忍び込んできた話。』
https://ncode.syosetu.com/n8520hq/
お星様の下にリンク貼っておきます(*´▽`*) たぶん表示されるはず。よろしくお願いします!!
あっ、お星様もよろしくお願いしますーっっ。
★★★★★ 執筆の糧です(*´艸`*)