9話 安心の時
気付いた時には、既に窓から日が差し込んでいた。
場所は、警備隊詰め所の一室の椅子の上。
わたしは確かに助け出されたんだ。
ただ、すっかり寝坊してしまったらしい。
起き上がり、ドアをそっと少しだけ開けた。鍵は締まっていなかった。
「起きたのかい?」
誰かが声を掛けてきた。
わたしはさらにドアを開け、その声の主の姿を探した。
その人は警備隊の一人だった。助けに来てくれた中にいたのかもしれないが、見覚えがない。
「迎えが来ているよ」
相手はわたしの姿を見ると、微笑みかけてくれた。
わたしは部屋を出ると、彼の案内で、別の一室に入った。
そこには、隊長のランドルとトレヴァーと警備隊の隊員5人、それに、よく見知った二人とフードを目深に被った女性と思われる人物がいた。
「コーディ! ミア!」
二人の顔を見ると、思わず笑顔になる。わたしは二人の名を呼んでいた。
「メイ! 本当に無事でよかった……」
コーディはそう言って、わたしを抱きしめた。
「メイぃぃ……」
泣き出しそうな顔で、ミアまで抱きついてきた。
二人の体温が温かくて、とても安心できた。独りじゃないんだと思う。
コーディにぎゅっと抱きついて、泣き出しそうになるのを必死に抑えた。
「嬢ちゃん、よかったなぁ」
ランドルの声でわたしは我に返った。
コーディに抱きついている自分が急に恥ずかしくなってくる。
わたしは一体、何を……
警備隊の人達もいる。
こんなところで人に抱きついたことなんて、これまでの人生でない。
しかも、男に。
コーディは本当に心配してくれていたのだろう。それに、わたしのことは手のかかる妹とか思ってそうだ。
周りの人達もそんな感じで思っているだろうけど、わたしにはもう、耐えられなかった。変な汗が出てくる。
わたしはコーディから逃れようと、身を少しよじった。
「申し訳ございません。衆目の前でこんなことを」
コーディも気づいてくれたようで、わたしを放してくれた。コーディが顔を背けたので、コーディを直視しないで済んだ。
「いえ、わたしこそ、心配かけて申し訳ありません」
「メイ~~」
抱きついたままになっているミアがわたしを見上げてくる。そのミアの鼻からは鼻水が出ていて、わたしの服にしっかり付いていた。
もちろん、何も言えない。わたしもコーディに同じことをしている。
ミアに心配を掛けたのは、わたしだ。
「あの――」
わたしはフードの女性に声を掛けた。てっきりイネスかと思ったが、違った。
彼女がフードを取ると、赤い髪が目に飛び込んでくる。
「メイさん、ご無事でなによりです――」
「アリシアさん!」
ただ、アリシアは顔を赤らめ、わたしから視線を反らしている。
「アリシアさん?」
「そ、その、わ、わたくしは男の方と、ダンス以外で、そのようなことはしたことがないものですから――」
そ、それは、わたしもよ、アリシアさん!
心の中で叫ぶ。
しかも、そんなことを言われたら、また、恥ずかしくなってくる。
アリシアは、コーディとわたしの関係を家族などの親愛の情ではなく、恋愛的なものだと思っている。
なおさら、そんなふうに思われると、たまらない。
「も、申し訳ありません。わたくしったら、羨ましい――ではなくて、その……」
どこまでも暴走しそうなアリシアは止めなくてはならない。
「アリシアさん! アリシアさんがどうしてこんなところに!?」
「とても心配しておりました。コーディ様が魔王の元に赴かれることを悲観して、姿を消したのではないかとそんなふうに思い、わたくしにはとても他人事には思えなかったものですから」
アリシアはグレンのことを思い出したのだろう。伏し目がちな眼差しからは悲哀が滲んでいた。
「ありがとうございます。アリシアさん」
前にアリシアがしてくれたように、次はわたしがアリシアの手を取って祈る様にした。事実、アリシアがグレンとうまくいくようにと祈った。
それから、わたしは思い出した。コーディにわたしを誘拐した男達のことを伝えておかないといけない。
「あの、わたしを誘拐した目的が勇者を誘き出す為だということは」
「それについては、警備隊の方々から聞き及んでおります。グレンにも伝え、注意を促します」
コーディは一拍おいて、言葉を続ける。
「今回のことは、僕の責任です。僕達に関わったせいで、このような危険な目に合わせてしまいました――」
「謝らないでください。わたしは無事です。それに、誰にも予想できることではありませんでした。それ以上言ったら、怒ります」
コーディにこれ以上言葉を続けさせなかった。
「ランドルさん、あの二人から話は聞けたんでしょうか?」
「いや、勇者を連れ出すよう、依頼されただけだな。金で雇われただけの下っ端だ。何も知らなかった。依頼主もわからないし、その理由も不明だ」
予想通りの答えを聞いた。
「そうなんですか」
「嬢ちゃん、しばらくは一人で行動するなよ。誰かに付き添ってもらうように。人気のないところにも行くなよ」
警備隊の人達に見送られ、わたし達は、ゼールス家の馬車で屋敷まで戻った。
その日、外出するのは断念した。今後、暮らしていくのは平民街だ。色々知っておきたかったが、あんなことがあった後で、さすがに行きたいとは言い出せなかった。
部屋でぽつんと一人。
朝だか昼だかわからない食事を済ませた後、することがなくなってしまった。
特に健康上、問題があるわけでもなく、睡眠も取ったので、寝る気も起きない。
暇を持て余しているとき、ドアがノックされた。
メイドの人かと思ったが、予想に反して、ドアの向こうにいたのは、イネスだった。
「これから、剣の訓練をするのよ。付き合わない?」
「はい! 付き合います!」
わたしは条件反射のように即座に答えていた。
イネスは無言で頷くと、歩き出す。
わたしはイネスを追って、中庭に出た。
中庭の開けたところでイネスは立ち止まると、持っていた短めの剣を差し出してきた。
「コーディからよ。あなたにと」
わたしが戸惑っていると、
「受け取りなさい」
イネスはその剣を押し付けてくる。
短剣というものだと思うが、これがまた、高そうな物だった。
わたしなんかでも、どこからどう見ても安物には見えない。
その鞘からして、赤く輝く石が埋め込まれていて、精緻な装飾が施されている。
何かの紋章もあり、代々受け継がれていそうな代物だった。
ただ、イネスに圧倒され、仕方なく、それを受け取った。
「それはもう、あなたの物よ。大事になさい」
「は、はい」
有無を言わせないイネスの言葉に頷くしかない。
「抜いてみなさい。最初は木剣からするものだけど、時間がないから」
イネスに促され、鞘から少しだけ、抜く。
研ぎ澄まされた刃物が顔を出す。料理に使う包丁とは違う。これは武器なのだと、人に向けるものかもしれないと思うと、怖くなる。
顔を上げると、イネスがこちらをじっと見ている。
わたしは鞘から抜き去った。
抜いた短剣を目の前にかざしてみる。
尖った剣先に、光を反射する滑らかな剣身。
それは一度も使用されていないように思えた。
イネスはわたしのすぐ横に来て、わたしの手から鞘を抜き取る。持っていたベルトに鞘を取り付け、わたしの腰に巻いた。
「剣を両手でしっかり持って、構えて」
イネスの指示で、わからないなりに、剣を両手で持ち、足を開いて構えた。
イネスはわたしの握り方や態勢を無理やり修正する。
「護身用として少しは使えるようにするわよ。ここを出ていくまで、毎日、訓練をするわ」
これから毎日、訓練は強制参加らしい。
その日、イネスによる訓練はなんと3時間続いた。中々のスパルタだった。
挫けなかったのは、森で彷徨っていた時の方がずっと大変だったからだ。
あの経験のおかげ?なのか、図太くなった気がする。
それに、この世界で一人、生きていかなければならないから。強くならないといけない。
待ちに待った仕事の面接についての案内が届いたのはその翌日のことだった。
メイドの人が部屋に持って来てくれたのだ。
面接は3日後に決まった。
面接の練習もしておかなければならない。なんとしても、面接に受からなければならない。
わたしはコーディの部屋を訪ねた。
「面接の日が3日後に決まりました」
わたしがそう報告すると、
「僕達の出立の日も決まりました。あなたの面接の日の朝です。僕は見届けられませんが、あなたなら、受かると信じております。あなたが仕事に就くまでは、アリシア嬢からの口添えもあり、こちらに滞在させていただけるとのことです。そのことについては、心配する必要はありません」
言葉に詰まりそうになった。曖昧だった別れの日が明確になって、3日後にはいなくなってしまうと確定して。
「わたし、絶対に受かってみせます。コーディもわたしのことは心配無用です」
「期待しています」
コーディがわたしに優しく笑いかけてくる。
コーディの顔をまっすぐに見た。
相変わらずの見惚れるほどの端正な顔だ。
別れはやっぱり悲しくて、辛い。ほんの少し前に会ったばかりなのに。アリシアがグレンに行って欲しくないと言っていた気持ちはよくわかる。わたしよりさらに辛いだろう。
「無事に戻ってきて。四人で」
わたしの祈るような気持ちは、声に出てしまっていた。
コーディは困ったような顔をしたが、すぐに元の笑顔に戻った。
「はい」
コーディは一言だけ答えた。
この先の勇者パーティの旅路がどんなものか、わたしにはわからない。
危険のある過酷な道のりなのかもしれない。
向かう先にいるのは魔王だ。生易しいはずはないだろう。
「それと、コーディ。短剣をありがとうございます」
「僕は使うことがありませんでしたので、あなたにもらっていただけてうれしく思います。本日もイネスと訓練ですか?」
「その通りです。イネスが迎えに来ます。イネスって、厳しいです……」
「イネスはうれしいのですよ。女性で剣術がしたいという方は少ないですから」
「騎士学校には、女性もいたんですよね」
「いることはいましたが、イネス以外の女性達は趣味や道楽として行っているに過ぎないのです。イネスとは覚悟が違います」
「女騎士はいないんですか?」
「おりません。残念ながら、そのような前例もありません」
「それじゃあ、イネスは――」
「今のままでは、騎士にはなれないでしょう。それでも、騎士学校で三席にまで上り詰めたのです。イネスはけして引けを取りません」
コーディは険しい顔をしていた。
騎士になるというイネスの夢は今のままでは叶わないということだ。いくら頑張って、結果を出したとしても。
頑張っても、どうにもならないことはある。
それはわたしの少ない人生でも十分に感じてきた。
「でも、”今のままでは”、でしょう? 変えていけるかもしれません。もう、自分が変える! ぐらいの気持ちで」
「そうですね。その通りです」
コーディが言うのと同時に、ドアがノックされた。
コーディがドアを開けると、イネスがいた。
イネスと目線が合う。
「あら、邪魔だったかしら」
イネスは、コーディに意味ありげな視線を送る。
「いや、イネス。これから、メイと剣術の訓練だろうか?」
「まあ、そうね」
思ってはいたが、コーディとイネスは随分親しそうだ。
コーディはわたしに対しては、他人行儀な感じだが、イネスにはそんなことない。
もしかして、二人は恋人とか。ということは、邪魔者なのは、わたしだ。
一番最初に会ったとき、わたしを連れてきたコーディに怒っていたのかもしれない。
先ほどのイネスのことに真剣なコーディも、二人が恋人ということなら、しっくりくる。
見つめ合う二人は本当にお似合いだ。わたしとコーディでは釣り合わないにもほどがある。
コーディはイネスの疑いを晴らせたようだけど、イネスには悪いことをしてしまった。
さっきまでのコーディと二人きりの状況も、イネスにとっていい気はしないだろう。
今まで気付かなかったわたしって、かなり鈍い。
コーディもいくら子供だと思っても、わたしを抱きしめてくる辺り、かなり迂闊だと思う。
コーディとはもう少し、距離を取ろう。
「メイ、何をしているの、行くわよ」
「は、はい」
わたしはイネスを追いかけて、コーディの部屋を出た。
自分の部屋で短剣を取ると、昨日に続き、中庭での厳しいイネスによる訓練が始まったのだった。