86話 人間ではない何か
気を失ったのか、判然としない。
真っ暗で何も見えない。
僕も死んでしまったのかもしれない。
それとも、悪い夢だったのだろうか?
試しに手を動かしてみる。
手は頭上に上げられている。
手の動く感覚はあるが、手首に冷たい金属の感触、鎖の触れ合う音が聞こえ、僅かしか動かせない。
手枷が嵌められている。
足にも、同様に枷がつけられている。
強く引っ張っても、びくともしない。
見えないのは、目隠しをされているからだとわかる。
僕は生きているのか……
また、メイを護れなかった……
夢でもなんでもない。僕は捕らえられている。
硬く冷たい感触が素肌に直接伝わる。
鉱物か何かの台にでも寝かされているのだろう。
なぜか、頭には、クッションが敷かれているのか痛くはない。
これから、拷問でもされるのだろうか。
騎士学校では、絶対に何も口外してはならないと、死んでも口を噤め、と言われた。
潔く、自決するようにと教わるのだ。
漏らして困る情報は元より何も持っていない。
その時は、そんな状況はあり得ないと高を括っていた。
周りからは何の音もしない。
僕だけが生き残ってしまったのだろうか……
暗澹たる気分になる。
もう生きていても仕方がない。
苦しめて殺してほしい。
メイを護れず、仲間を死なせた。
生きていていいはずがない。もうどこにも居場所はない。
「メイ……」
メイを呼ぶ声は空しく響くだけだった。
メイが答えることはない。
彼女は……
先ほどの嫌な場面が甦る。
頭を切られた人間が生きていられるわけがない。
僕はまた、間違えた。
メイの意志を曲げてでも、止めさせるべきだった。
もう、何もかも遅いけれど。
何の為に生きてきたのかもわからない人生だった。
護るものを失って――
メイを護ることができると息巻いていた。
弱い僕にできるはずがなかったにもかかわらず。
もう、殺してほしい……
愚かでどうしようもない僕を……
ギィィと扉が開く歪んだ音がして、誰かが部屋に入ってくる。
僕は気を失っているふりをした。
コツコツと靴音が響く。
靴音は僕の傍で止まる。
誰かがすぐ傍にいるのだ。
その誰かは僕の寝かされている台に腰掛けたのがわかった。
僕を拷問する為に来た魔王の配下だろうか?
僕の胸に手を置いてきた。
その手は、予想に反して、温かい。
「起きているんでしょう?」
メルヴァイナの声が降ってきた。
だが、そんなはずは……
メルヴァイナは、死んだはず……
「よかったわ。狂乱したりしないか、心配だったのよ。ほら、あんなことがあったでしょう?」
彼女は僕が起きていると確信して話しかけてくる。
「でも、だからって、さすがに拘束するのはよくないって、メイに怒られたのよねぇ。ちょうど、いい部屋があったものだから。たぶん、拷問室だと思うんだけど。あぁ、でもぉ、ちゃんと頭が痛くないように、クッションは置いてあげたでしょう」
僕が何も答えなくても、一方的に話してくる。
メルヴァイナの話し方からすれば、メイは生きているということだ。
あれはやはり悪夢だったのか。
ただ、何らかの問題はあったはずだ。おそらく、深手を負わされ、治癒魔法で治療されたのだろう。
メイが無事だったことに安堵する。
ただ、こんな姿をメイに見られたかもしれないことの方が問題だ。
ある意味で拷問かもしれない。
クッションよりも必要なものがあると思う。
羞恥で発狂しそうだ。
「それにしても、酷い目にあったわね。完全に油断してたわ。ほんと、悔しいわよ。お気に入りの服は再起不能だし。自分の内臓なんて、見たくないわね」
「何があったのですか」
僕は敢えて、淡々とした口調で言った。
「あぁ、罠にかかったみたいなの。もぅ、体がバラバラになったわ。あなたもね。ちゃんと治ってると思うけど」
「僕にはあなたの首が切られていたように見えたのですが」
「ええ、そうなのよ。いやねぇ」
メルヴァイナは特に誤魔化すようなことは言わなかった。
「普通、死にますよね」
「そうね。人間なら、死んでいたわ」
やはり、あれは夢ではなかった。現実に起こったことだ。
人間なら……
それは、人間ではないということだろうか。
「あなたは人間ではないのですか」
「それはあなたもでしょう? コーディ、あなたの首も切られたんだから」
僕も、か……
「どういう事ですか? 僕は人間ではないのですか?」
「あなたの言った通り、首を切り落とされれば、人間は死ぬわ。そうでないなら、あなたはもう、人間ではないの。こちら側に来た時に、そうなったのでしょう」
「そうですか。何か弊害はあるのですか?」
「あら、落ち着いているのねぇ。もっと、戸惑うかと思ったけど。弊害は、そうねぇ、年を取れないことかしら。後は、中々、死ねないこと。だから、王国で暮らしていくのは大変よ。ある程度は誤魔化せると思うけど」
「メイも、なのですね」
「ええ」
こちらに来て、何もされていない訳がなかった。
王国に戻るまで、1ヵ月あったのだ。
ただ、どうしてそんなことをする必要があるのかわからない。
「理由を聞かれても、私が困るわよ」
考えていたことがわかったかのように、メルヴァイナが牽制してくる。
メルヴァイナも魔王の元、捕らわれていたと聞いている。同じようにされていて、不思議はない。
「わかりました。それで、いつ、これを外してくださるんでしょうか」
僕は手枷を台に打ち付けた。
「そうそう、あなたの拘束を解きに来たのよね。待っていて」
メルヴァイナは手早く、両手両足の枷を外していく。
手足が自由になり、起き上がると、自分で目隠しを取った。
傍にはメルヴァイナ一人。他には誰もいない。
これまでと違い、橙色の明かりが灯っているが、全体的に薄暗い。
壁には拷問具らしきものが飾られている。
部屋の中央に、僕が寝かされていた台がある。
「これを着るといいわ」
メルヴァイナが服を投げて寄越す。
ほぼ、黒い服だ。
メルヴァイナも露出が高いのは相変わらずだが、彼女の着ている服も黒だ。
勿論、着ない訳にはいかない。
服を着ると、魔王の配下にでもなった気分だ。
「不満そうねぇ。しょうがないでしょう? あなたの着ていた服はもう、着られないんだから。用意しておいてあげただけ、感謝してよ。それとも、何も着ない方がいいなら、それでもいいけど」
「いえ、これで構いません。感謝します」
当然、この服はこの城のどこかにあったものなのだろう。
「じゃあ、これを被るといいわ。その服が恥ずかしいなら、顔を隠しておけばいいのよ」
メルヴァイナは黒い兜を僕に放り投げた。
「そういう問題ではないのですが」
とりあえずはその兜を受け取る。
「文句は言わないの。起きたのなら、行くわよ」
開いたままになっている扉を出ていくメルヴァイナについて行った。




