6話 勇者との出会い
太陽が顔を出す頃、目が覚めた。
すっかり目覚ましのアラームがなくても、日の出には起きることができる。
窓の外を見ると、宿の中庭が見える。その中にコーディの姿が見えた。
剣を何度も振り下ろしている。日課なのかもしれない。
今日には別れることになると思っていたが、それが1週間は先になった。
ずっと頼りっぱなしで、それから、さらに1週間は頼ることになりそうだ。
それなのに、わたしがコーディに返せることは何もない。
コーディには何か重大な事情がありそうだ。
そのことについても、わたしにできることはなさそう。というより、全くの他人のわたしに関わってほしくなんてないだろう。
わたしは小さくため息を吐いた。
朝食後、わたし達は出発した。
目的の街には、昼過ぎ、時計を見ると14時過ぎに到着した。予定より少し遅くなった。
着いた街は本当に大きな街だった。
宿泊した街も大きかったが、それよりさらに大きく思える。
街を取り囲む防御壁を入ると、立派な大通りがあり、馬に乗ったままそこを進む。
進んでいき、さらに内側にある防御壁を抜けると、それまでの賑やかな雰囲気とは異なり、閑静な住宅街になった。
しかも、家々はどれも大きく、大邸宅や豪邸といった方がいい。
それらを通り過ぎ、さらに進む。着いた先は見てきた邸宅の中で最も大きく、立派だった。
おそらく、街のほぼ中央だと思われる。
きっと、この街で一番エライ人が住んでいるのだろう。
その門の前で馬を下りる。もちろん、コーディに手を差し出されて。
コーディが門番と何か話をした後、すぐに門が開けられ、中に通された。
外観は立派で、中もかなりのものだった。
応接室と思われる一室にコーディとともにわたしも案内された。
わたしはコーディに並んで、高級そうなソファに腰かけた。
待っていると、突然、扉が勢いよく開けられ、ずかずかと一人の男が入ってくる。
男は金髪碧眼で、コーディにも引けを取らないほどの美形だった。
わたしのその男に対する第一印象は決まった。
この男は苦手だ。
「コーディ、ずいぶん遅かったじゃないか」
嫌味を含んだ言い方でその男が言う。
男の視線がわたしに移る。
これ見よがしにふんっと鼻を鳴らし、対面のソファにどっかと座る。
ずいぶん、感じの悪い男だ。
この男がこの屋敷の主だろうか。
「すまない、グレン。少し時間が掛かってしまった」
「まあ、いい」
グレンという男から、わたしはいないものとして完全に無視されていた。
わたしにとってもその方がいい。
コーディもわたしを紹介するつもりはないらしい。
それから、扉がノックされ、初老の男を先頭に、後二人、男女が入ってきた。
初老の男は、相応の風格があり、蓄えた髭と貫禄のある体がこの屋敷に相応しい主人だと主張しているようだった。
「ようこそおいでくださいました。フォレストレイ殿。私がこのゼールス領が領主、ジョシュア・ゼールスでございます。あなた方をお迎えできること、至極光栄にございます。どうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいますよう、なんなりとお申し付けくださいませ」
コーディが立ち上がると、わたしもとりあえず、立っておく。
「ご丁寧に感謝致します、ゼールス卿」
この後、いくつかの互いを褒める社交辞令的な挨拶があった。
「お言葉に甘えさせていただけるのでしたら、彼女に部屋の用意をお願いしたいのです。彼女をしばらくこちらに滞在させる許可をいただきたい」
「そのようなことはお安い御用です。すぐに用意をさせましょう」
コーディはわたしのことを頼んでもくれた。
すると、ゼールス卿の後ろにいた2人の内の女性の方が、前に出た。
銀髪碧眼の美女だ。
きれいな長い銀髪を後ろで束ね、スカートではなくパンツを履いている。この世界で初めてパンツスタイルの女性を見たかもしれない。
切れ長の目に整いすぎた顔立ちがきつく、冷たい印象を抱かせられる。
「あなたが女連れなんて、珍しい」
起伏のない口調で美女がコーディに向かって言う。
もう一人の男はゼールス卿の従者だろう。
銀髪の美女のようには、絶対にゼールス卿の前には出ず、ゼールス卿から何やら指示をされている。
「イネス、そんなことを言わないでほしい」
コーディの言っていた仲間というのは、感じの悪いグレンと銀髪美女イネスのことだろう。
はっきり言って、意外だった。
コーディの仲間だから、きっと、感じのいい優しい人達かと勝手に思っていた。
疲れているだろうからとの計らいで、コーディとほとんどついでのようにわたしは部屋に案内された。
案内してくれたのはメイドと思しき女性だ。
案内された部屋は昨日泊まった宿よりさらに立派に感じた。
まず、調度品が違う。カーペットやカーテンもわたしですら、かなり値の張るものだとわかる。
さすがは領主の邸宅だ。
「御用がございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」
メイドは膝を折り、恭しく礼をすると、部屋を出ていった。
わたしはその部屋に取り残された。
要はコーディと二人でこの部屋を使えということなのだろう。
昨日も思ったが、その方が合理的だろう。一般庶民のわたしには、どう考えても、昨日の出費は無駄としか思えない。まあ、ここは宿とは違うし、今更、仕方ないことだが。
それよりも、ようやく、落ち着けた。さっきは居心地がかなり悪かったし、疲れたし、昼寝でもしたい気分だった。
「本当に色々ありがとうございます。今日、寝るところも困らなくて。それと、これからどうしますか? 休憩しますか?」
「焦る必要はありませんから、休憩しましょう」
わたしの望む回答があった。
わたしは早速続きの部屋へのドアを開いた。そこは思った通り、寝室だった。
そこには大きなベッドがあった。
まるでわたしを誘っているよう……
もう走って行って、ベッドに飛び込みたい。
といっても、さすがにコーディの前でそんなことはできない。
「あ、あの、コーディ、その――」
わたしはコーディに呼びかけた。
「何でしょうか」
コーディも寝室の方の部屋に入ってきた。
「ベッドで休んでもいいですか?」
「ええ、もちろんかまいません。疲れているでしょうから。今後のことは明日からでもいいでしょう」
わたしは顔を輝かせて、ベッドに近づいた。
のんびりベッドでごろごろできる至福の時間を前に心が躍る。元の世界での休日を思い出す。
「コーディも一緒にどうですか?」
振り返って、コーディに言う。
ベッドに視線を戻すと、ベッドは寝心地がよさそうで、大きいので、広々と転がれる。
二人寝たとしても、十分な広さがある。
ふと見ると、ベッドカバーの上には、薄い透け感のあるきれいな布が置かれていた。
わたしは手に取って、広げてみた。
それは、ネグリジェというやつだ。
そこでわたしはようやく気付いた。
間違いなく勘違いされている。
というより、これじゃあ、わたしがコーディを誘っているようだ。
わたしはそのネグリジェを放り出した。
顔が熱くなってくるのを感じる。
鏡で見たら、顔が赤くなっているかもしれない。
めちゃくちゃ恥ずかしい。
もう、本当に穴があれば入りたい。逃げ出したい。
「あ、ち、違うんです。そういうことじゃ、なくて、ほんとに、違うんです」
わたしはしどろもどろになって、訴えた。
コーディをちらっと見やれば、心なしか、コーディの顔も赤く感じる。
「い、いえ、その、申し訳ありません。すぐに、別の部屋を用意してもらいます」
コーディが部屋を出ていく。
わたしは大仰にため息を吐き、ベッドに突っ伏した。
さすがに二人で一緒のベッドに寝るのは無理だ。
そもそも恋人でも何でもない。ただの他人だ。コーディはわたしを不憫に思って親切にしてくれているだけだ。
うぅ……どうしよう……
軽蔑されたかもしれない。
わたしは再び、ため息を吐いた。
その後、部屋を訪れたのは、コーディではなく、先ほど案内してくれたメイドだった。
コーディは出掛けたとのことで、この部屋もわたしが一人で使っていいとのことだった。
もうベッドでごろごろする気にはなれず、散歩でもしようと、部屋を出た。
部屋から出るなとは言われていないので、おそらく大丈夫だろう。
部屋の場所を見失わないように注意しながら、とりあえず、外を目指した。
建物の構造はわかりやすく、すぐに庭に辿り着いた。
庭はきれいに手入れされており、様々な花が咲いていて、立派な植物園のようだった。
花はちょうど見頃のようだ。
花を見ながら、ぼんやりと歩いていると、急に声が掛かり、
「わっ!」
と声が出ていた。
「驚かせてしまって、申し訳ありません」
女性の澄んだ声がした。
そこには、燃えるような鮮やかな赤い髪の華やかで美しい女性がいた。
その髪色によく合う薄い黄色のドレスに、空色の瞳。
あの銀髪美女とは違う、温かで優しい雰囲気がある。
もし男だったら、一目惚れしてもおかしくない。
というより、既に、見惚れてしまっていた。
「あなたがコーディ様が連れていらっしゃった方でしょう?」
わたしは何と答えていいか困った。
さっきのことがあったし、それに、もしこのきれいな人がコーディを想っているのだとしたら、変なことは言えない。
コーディとこの人なら、本当にお似合いのカップルだ。
「申し訳ありません。わたくしったら、ご挨拶もまだでした」
彼女は、ドレスの裾を軽くつまみ上げ、
「わたくしはアリシア・ゼールスと申します。ゼールス伯爵の長女でございます」
淑女の礼をとる。
わたしもアリシアの真似をして、スカートをつまみ上げて言う。
「メイ・コウムラと申します」
「メイさん、あなたのことを伺って、お話したいと思っていたのです」
「わたしと、ですか?」
わたしは身構えた。きっと、コーディとのことを聞かれると思った。
「ええ。あなたはこの先もコーディ様と共に行かれるのでしょうか?」
「いいえ、わたしはここまでです」
「そう、ですか――そうですよね――」
アリシアはどこか寂し気に顔を伏せた。
「わたくしはグレン様にこの旅を止めていただきたい。お止めしたい。ですが、それが許されないことは十分わかっております。わたくしにはそんなことは言えません」
アリシアがどうしてそんなことを言うのかわたしには理解できない。
「メイさん、あなたも――コーディ様を――」
アリシアはそこで口ごもった。
アリシアがわたしにそういう理由がわからない。
いや、アリシアはきっと、わたしがコーディの恋人で、わたしもコーディを止めたいと思っているんじゃないかということだろう。
アリシアが好きなのは、グレンなのだろう。あの感じの悪い男。
どうして、こんな人があんな男のことを。そう思うと、益々、あの男が憎くなる。
「余計なことを言ってしまいました」
アリシアはぎこちなく、にこっと笑う。
「グレン様は勇者に選ばれた方ですもの。共に行くコーディ様もイネス様も。とても誉れ高いことです。きっと、魔王を打ち滅ぼし、戻ってきてくださいます……」
勇者? 魔王?
まるで、本の中の世界だ。
この世界には魔王がいるのだろうか。それにしては、平和な気がする。全然、魔王に支配されている感はない。
しかも、勇者があの感じの悪い男。
というか、普通、こういう場合、異世界から来たわたしが勇者になるんじゃないのだろうか。
わたしの思考はぐるぐる回っていた。
コーディからは一切何も聞いていない。関わるなと言われていた。
それはそうだろう。一切戦えないわたしが魔王討伐とか、足手まといにしかならない。
でも、それで本当にいいのだろうか。
この世界に来た意味が魔王討伐にあるのだとしたら、もし、元の世界に戻るヒントがある、もしくは魔王討伐自体がその方法なのだとしたら。
本当にここで彼らと別れていいのだろうか。
難しい問題が一つ増えた。究極の選択のような気がする。
「メイさん?」
考え込んでいたわたしにアリシアが心配そうな顔を向けていた。
「あ、大丈夫です」
わたしはアリシアに微笑んで見せた。
アリシアはそんなわたしの手を取ると、両手でわたしの手を挟み、祈るような仕草をした。
「また、お話ししましょう」
アリシアはそう言うと、屋敷の中に入っていった。
わたしはそれを見送り、そのまましばらく、庭にいた。
花々の咲き誇る庭に西日が差している。
どこか物悲しく、不安にさせる。
この一週間で決断しなくてはならない。重要な重要な決断を。
その日、コーディに会うことはなかった。
夕食も部屋まで運ばれ、一人で食べた。
もちろんおいしかったが、一人だと味気ない。
元の世界では家族と一緒に食べていた。それが思い出されて、余計に寂しくなってくる。
帰りたい――
「帰りたい。わたしを元の世界に戻して」
わたしは小さく呟いた。
聞き届けられないことはわかっていた。
何も起こらない。
一人では広すぎる豪華な部屋。テーブルの上の豪華な食事。
何も変わっていない。
寂しいよ――
目に涙が溢れてくる。
頬を伝う前に拭い去る。
泣いてなんていられない。
精一杯、がんばらないと。諦めちゃだめだ。
わたしはマナーなんて気にせず、残さず料理を食べた。
よし! 頑張るわたしは何でもできる!
テーブルにバンッと両手を着き、勢いよく立ち上がる。
よし! 今日は寝よう!
寝室に行くと、あのネグリジェが目に飛び込んできて、ふぎゃッと変な声を上げ、視界に入らないように隠してベッドに飛び込んだ。